第63話 紫紺の暗殺者 13
師匠の薬は想像以上に効いた。
翌日、【回復魔法】を掛けるまでもなく血は止まっていたし、痛みもかなり引いた。
それでも【回復魔法】は、不審に思われない程度に使う。
銀剣の持たせてくれた品々は、師匠が帰った後でこっそり口にした。甘い物があって本当に良かった。
初日だけ幼馴染も姿を見せたが、以降、小屋に現れるのは師匠だけ。
都合三日、動けない俺のところに通ってくれたおかげで、師匠と少し打ち解けることができたように思う。
まず、師匠の外見から二十歳前後と判断したが、実際は十九だった。数え年だから、満年齢でいうとまだ十七歳。
ダンジョンには十八歳未満は潜れないので、このまま円満に連れ帰れたとしてもしばらくは探索者になれない。
それ以前に、未成年を家族から引き離して遠い未来に連れて行くって、ただの誘拐じゃなかろうか。
もっと大人の、出来れば天涯孤独な人を紹介して貰えたらとても助かるんだが。
師匠は物心がついた頃には既に家業を継ぐための訓練を開始していたそうだ。言葉を選びながらの抽象的な説明だったが、つまるところ忍者修行だろう。
集落が山中のどこにあるのかはけして漏らさない。それ以前に、この小屋の建つ位置すら俺に教えない。
麓の近くでは少し前に大きな戦があり、以降も常に小競り合いのようなものが続いているとは語っていた。俺もそれの敗残兵と見倣されているようだ。
目下の問題は、怪我が治った後、俺をどうするかなんだろう。
師匠は俺の出自について何か手がかりはないかと俺が身に着けていたボロ切れを弄っていたが、当然何も出て来ない。
「普通、家紋の入った短刀の一つくらいは忍ばせていると思うんだが……」
黒太刀の眷属達は優秀だ。
学者風の頬の痩けた眷属が、趣味の古本屋巡りで掻き集めたという資料を引っ張り出し、室町時代と安土桃山時代の衣類の素材に近い物を使って一から縫い上げた小袖と袴は、今のところ何の違和感も抱かれていない。
スケルトンが休日に古本屋巡りをしていることについては何も突っ込めなかったが。
生前は大学の教授のような職業だったらしい。黒太刀からは『教授』と呼ばれていた。
行く当てがないのでここでお世話になりたい、と言うのはまだ早いか。
血と泥と煤に塗れ、穴だらけの小袖のどこにも何も特徴がないと知り、明らかに落胆する師匠。
その姿に少しだけ申し訳ない気持ちになりつつ、歩けるように足と脇腹の傷を治す前に、もっと親しくならなければとも感じる。
何しろ俺は、SSにお膳立てしてもらってここにいる。結果を出さずに帰るなんて、考えたくもない。
それにしても。
この那智と名乗った少年。身のこなしは確かに忍者っぽいんだが、俺の杜撰な記憶喪失設定を信じている辺り、人が良過ぎる。こんなに簡単に騙されて、忍者として大丈夫なんだろうか。
もっとも、銀剣による本当にミリ単位で急所を避けた手傷が、普通ならば狙って出来るような次元ではなかった為、集落に近づくために故意に付けられた狂言だとは思われなかっただけなのだが。
この時の俺はまだそれを知らなかったので、那智のことを、ただの素直な少年だと考えていた。
◇
更に三日が経った。
そろそろケチャップとマヨネーズが恋しい。
俺はと言えば、どうにか立ち上がって歩ける程度に【回復魔法】を調整し、那智の後ろについて初めて小屋の外へ出た。
出たのだが。
初めてこの時代に着いた時と、ほぼ同じ鬱蒼とした林のど真ん中。
木しかない。
師匠が使っているはずの、集落へ続く道も見分けられない。土にも草にも踏み締められた形跡が無い。
こういうところが忍者なんだろうな。
本当に歩いて通って来ているのか疑わしいほど、何も無い。
さすがに空は飛ばないだろうから、猿のように枝から枝へ跳んでいるか、足跡を残さずに歩けるかのどちらかだとは思うんだが。
ちょっと見てみたい。
今日、師匠が帰る時、こっそり引き戸に隙間を開けて覗くのはどうだろう。
いや、気づかれそうだからやめよう。
「川の水を汲んである」
小屋の前には、冷水たっぷりの桶。
つまり身体を洗えと。
非常に申し訳ない。地面に顔を擦り付けて謝りたい。
さすがに我慢できず、三日目の夜に自分の【居室】に這って行き、風呂に入った。
ついでに昨夜も、湯に浸かって来た。
川と小屋の距離はわからないが、わざわざ汲んで来てくれたというのに。
本当に、申し訳ない。
何とも言えない表情で桶を眺めていたせいだろうか。
師匠が何かに気づき目を見開く。
「おまえまさか……一人で身体洗ったことがないのか?」
あ、偶然って恐い。また新たな勘違いによる、謎設定の裏付けが進んでしまった。
「人に洗って貰う身分……? どこかの城主の御曹司……?」
お坊ちゃん設定が促進されていくが、俺のせいではないと思いたい。
結果。洗って貰った。
そもそも左腕が動かせないので一人では満足に洗えなかったが。
師匠に風呂に入れて貰う弟子なんて、普通いないよな。
「古傷が一つもない。初陣か?」
一応、ここに来る直前までは十年分の戦いの痕跡が全身にあった。
あったんだが、【不老】のおかげで全て無かったことになり、獣の爪痕や噛み傷、魔法による裂傷に火傷、何もかもが奇麗に消え去った。
あったらあったで、今までどんな野生動物と戦って来たのかと疑問を抱かれることになったろうから、むしろ無くなって良かったのかもしれない。
「本当におまえ、どこから来たんだ……?」
化け物が闊歩する世界になった、遠い未来から。
絶対に信じないだろう、冗談みたいな真実。
今夜からもう少し、【回復魔法】を強めに使おう。
いい加減、修行がしたい。そして何より、これ以上、師匠の手を煩わせるのは心苦しい。




