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第62話 紫紺の暗殺者 12

 銀剣ぎんつるぎは、俺に演技力は無さそうだと判断した。

 そこで用意されたのは、ベタな記憶喪失の振りをするという作戦。


 実際、今がいつで、ここがどこなのかもわからないうえに、地名や年号を聞いたところでこの地域の情勢もぴんと来ない。

 だったら記憶を失っている人と変わらないんじゃないか、というのがSS(ダブル)達の結論。


 何を尋ねられても俺の身の上について答えようがない。その困惑は本物なので使える、と。


 そして今、俺は師匠候補の青年の前で、本当に困った顔をするしかない。


 軽く十五分程度一人きりで待った後、突然扉が開き、師匠が小屋に上がり込んで来た。俺が起き上がっているのを見ても特に驚いた様子は無かった。

 俺の記憶が無いらしいとわかるまでは。


 幸い、言葉は通じた。

 昔の人は古文のように「そうろう」とか言うんじゃないかと心配だったが、特定事象のミッションによる補正なのか、普通に現代の言い回しに聞こえる。


「……名は?」

「名……」


 雑賀さいがたつきです、とは言えない。

 雑賀は鉄砲衆の縁者だと思われそうだし、樹はこの時代にそぐわない気がする。


 結果、自分の名前も忘れた人、のような雰囲気が出た。


 俺の傍らで胡座を掻いて座る師匠は、溜息の後、天を仰いだ。

 その座り方、褌丸見えなんだが。昔の人は往来で下着が見えていても気にしなかった、という話は本当だった。


「その傷、誰にやられた?」

「傷……」


 脳裏に浮かぶ、銀剣の迫力のある笑顔。

 国内最強の探索者にやられました、なんて言えるはずもない。


 これも、何か思い出したくない辛い記憶を辿る苦悩に満ちた顔、に見えたようだ。


「頭を打ったせいか……」

「………」


 このために俺、角材で殴られたんだろうか。

 曖昧に笑う俺を前にして、師匠は途方に暮れている。


「足の裏は柔らかい。手は固い。……武家の出か」


 現代っ子なので靴を履いて過ごし、十年以上得物を構えて戦って来た結果だ。


 今のところ、銀剣の考えた設定通り。


「今は傷を癒やすことが先だ。これを」


 と脇に置いてあった包みを差し出す。

 衣類だ。下着付き。


 着替えを用意してくれる優しい師匠らしい。

 ただ、俺が一人でこれを着られるかというと。

 手渡されたそれをしばらく見下ろした後、師匠に尋ねてみる。


「水を貰えますか……?」

「ああ、待っていろ」


 そう言って師匠は小屋の外へ出る。

 賭けに勝った。思わず拳を握る。


 見渡したところ、水甕らしきものはなかったので、水を要求すれば外に行くだろうとの判断は正しかった。

 とはいえ、小屋のすぐ横に甕があるかもしれないので、即座に【収納】から、黒太刀くろたちに借りた日本の服飾の歴史についての図説が載った本を取り出す。

 褌の絞め方、褌の絞め方。


 ページを捲り、布を片手に手順をおさらい。

 いざ実践、と思ったところで、左肩が動かないことに気づいた。


 銀剣の技術の凄まじさ。

 絶妙な位置を射抜かれたことで、腕がほぼ動かせない。これ、本当に元通りに治るんだろうか。いや、黒太刀の眷属に【回復魔法】特化のスケルトンがいるらしいので、多分大丈夫なんだろうが。


 それどころか、脇腹の怪我のせいで前に屈むこともできない。


 一人で着替えられない理由付けとしては上手い手なんだろうが、その為に大怪我を負わされたんだろうか、俺。


 これ、ある程度治るまで修行も始められない。

 そんなことを考えていた時だった。

 木製の建付けの悪すぎる扉が小さな音を立てた。


 師匠が引き戸を開けた、と理解すると同時に本を【収納】に戻す。

 今更だが、足音がしない。動きにも無駄が無い。


「ああそうか、腕が使えないのか」


 俺の様子を見て即座に判断。

 再び傍らに腰を下ろし、木のお椀に入った水を差し出す。


「俺は那智なち。あんたのことは……ひとまず紫根しこんと呼ぶ。本当の名はそのうち思い出すだろう」


 銀剣のしたり顔が目に浮かぶ。俺に着せた小袖が紫色だった時から嫌な予感はしていた。


 名前の無い男の、当座の呼び名として候補に上がるよう狙ったんだろうが。

 まんまと俺は、こんな遠くに来てまで『シコン』と呼ばれる羽目に陥っている。


     ◇


 師匠が淀み無く吐いてくる噓によると、ここは師匠の住む集落から少し離れた場所で、師匠が一人になりたい時の為に自力で建てた小屋。

 集落の年寄りは少しばかり人見知りなので、たとえそれが瀕死の重傷を負って身動きの取れない人間であったとしても、余所者を歓迎することはない。

 だからといって見殺しにするつもりはないので、多少不便かもしれないがここで養生してほしい。


 でも、師匠。


 この小屋、かなり年季が入っているし、ここ数年の間に建てたというのは無理がある。

 何度も『他より少しだけ』とか『ほん少しばかり』と強調するのがあからさまに怪しい。

 

 想定通り、師匠は忍者で、集落というのは隠れ里。


 話の途中で、師匠の幼馴染だという柔和な顔立ちの青年が俺に薬を持って来たが、やはり足音はしないし、入って来るまで気配を全く感じなかった。

 ついでにその幼馴染の名前はみずち

 何と言うか、どう考えても普通の農民の名前じゃない。


 その幼馴染が手渡してくれた、ドロリとした何で出来ているのかよくわからない飲み薬だが。

 俺はダンジョン由来の物であればその詳細を【鑑定】で見ることができるが、ダンジョンに無関係の物を見る【解析】は持っていないので、この薬が何なのかまったくわからない。

 幸い、【毒耐性】はあるので、仮に何かの毒物だったとしても多分、問題はない。

 どちらかといえば本当に毒だった場合、それが効かないことで更に怪しまれる危険はあるが、わざわざここに運び込んだ後で殺しにかかりはしないと思いたい。


 真緑色の液体を、思い切って一気飲み。

 何となくそんな気はしていたが、案の定、苦味しかなかった。

 飲み干した後口もずっと苦い。

 口直し的な何かが欲しい。

 銀剣が「嗜好品を持って行け」と【収納】に詰めさせた飴を今すぐ取り出したい。


「顔に似合わない飲みっぷりだな」


 殺伐とした時代を生きる人からすれば、俺の面構えは生温いんだろう。

 これも、うまくお坊ちゃん設定を後押ししてくれている。


「蛟、手を貸せ」


 この苦い薬が何に効くのか教えてもくれず、師匠はすぐに新しい木綿の布を取り出す。包帯、だと思う。


 俺は多分、この時代の平均からするとかなり背が高い。まだ二人しか人間に出会っていないが、二人共に俺より小柄。

 大男の全身に包帯を巻くのはけして楽ではないはず。

 何か軟膏のようなものが塗られた葉っぱを交換し、二人がかりで布を巻く。

 それを終えたところでやっと着物を着せて貰えた。

 

 師匠に下着まで履かせて貰う弟子って何なんだろう。

 今気付いたが、早めに立ち上がれるように【回復魔法】を調整しないと、下の世話までして貰うことになるんじゃないのか、これ。

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