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第61話 紫紺の暗殺者 11

 何かの結界を抜けるような鳥肌の立つ感覚の後。

 俺は林の中に立っていた。


 現代の都市の中とは違う、新緑と土の匂いがした。

 何より空気が美味い。

 周囲を軽く見回すと、林と言うより山奥。獣道もなく、どこに向かって進めば良いのかすらわからない。


 残念ながら俺は、植生で地方を判断できるような知識を持ち合わせていないし、枝や葉を見ても木の名前すら浮かばない。


 見渡す限り、似たような樹木の茂る風景の連続。

 

 本当に過去の日本に来てしまったらしい。ダンジョン、本当に何でも有りだな。


 それより、肝心の人里がどこにも無い。


 スキルを使えば周辺の状況は把握出来るんだが、今俺は、自分を長髪に見せる為の【幻影魔法】の維持に魔力の殆どを注ぎ込んでいる。


 昔の人はどうして髪を伸ばしているんだ。髪型の偽装が必須って何なんだ。


 首の後ろで長い髪を一纏めにし、血と泥と煤で汚れた小袖は少し着崩された感じにし、腹が見え隠れする状態。形振なりふり構わず必死に逃げて来ました、のアピール。

 袴は俺の脛のちょうど真ん中辺りまでの長さ。裾は紐で縛られている。

 草鞋わらじはどこかで脱げた、というていで裸足。履き慣れていないので靴擦れ防止の為、そもそも着用を断念。


 そして。


 左腕に刀で切りつけられた傷、三箇所。

 右足に槍で二箇所。

 左脇腹に刀が掠めた傷、一箇所。

 左肩の後ろには矢が刺さったまま。

 右頬にも矢が掠った。

 駄目押しに、角材で頭を殴られた。焼けた天井から梁が落ちて来た、という設定らしい。

 手と足と顔、数箇所に火傷。


 髪型以外は全部本物。


 全て銀剣ぎんつるぎが真剣な表情でつけた、『一見、瀕死の重傷だが運良くどれも致命傷ではない』という状態。


 肩の矢も切り傷も、神経をぎりぎりの位置で避けていて、脇腹の傷はそれなりに深いが内臓手前で止められている。


 とは言っても。

 痛いものは痛いし、止血はわざとしていないのでこのままでは本当に失血死でゲームオーバー。

 

 徒歩で移動できるような近場で城が燃えるような戦が一切起こっていなかったら、この怪我人はどこから現れたのかと、逆に怪しまれるんじゃなかろうか。


 ただ今は、怪しんでくれる人間がまったく見当たらないことを心配すべきではあるが。


 修行ミッションなのだから、誰もいない場所に飛ばされるはずはない。俺の師匠候補はこの近くにいるはず。


 ほんの少しだけ、小太刀術を教えてくれる剣術道場の前に出ることを期待したんだが、人のいない山奥だったことで俺も諦めがついた。

 多分、近くにあるんだろう、忍びの隠れ里が。

 予想通りの忍者修行コース。


 適当に歩けば師匠に行き当たるだろうか。

 出血で本当に意識が飛びそうになりながら、馴れない裸足での山道にゆっくりと歩を進める。


 俺も一応【回復魔法】を持っているので、最悪の場合、自力で怪我の治療はできる。

 今は師匠に助けて貰うために治さずにいるが、実は銀剣に滅多打ちにされている時点でもう意識は飛びかけていた。

 限界寸前。

 このまま倒れたら死ぬ。

 その前に自力で治すか、師匠に出会うかしなければ。


 風が生温くて気持ち悪い。嫌な汗が頬を伝う。それが傷に染みるのもつらい。


 ふと。

 少しだけ。

 空気が変わったような気がした。

 耳を打つ、独特の音。

 多分、川がある。


 密集する木々の枝葉の音が煩い。微かなせせらぎを頼りに進んだ先。


 開けた場所。

 苔生した岩が幾つも重なった景色。

 川自体は浅そうだ。流れも緩やか。


 そして。その中に立って俺を凝視する、二十そこそこの青年。


 髪は長い。ポニーテールのように高い位置で無造作に結わえられている。

 袖無しの小袖の丈は太腿の半ばまで。アスリートのように鍛えられた手足の筋肉が目立つ。

 ダグラスの時代考証、あながち間違いでも無かった。


 銀剣より幾分かましな程度の、ひどく目つきの悪い青年は、困惑したように俺を見つめている。

 はじめまして、師匠。


 ここからが勝負だというのに、何故か青年の顔を見たら気が抜けた。

 演技ではなく、俺の視界は本当に暗転する。


     ◇


 背中に、ベッドとは違う固い感触。違和感で目が覚める。


 粗末な小さな小屋の中に寝かされている。天井が低い。狭い。

 屋根のある所に運んでくれたということは、助けて貰えたと思っていい。


 良し。作戦の第一段階は成功。

 あのまま川辺に放置されなくて良かった。


 空中に【時計】を表示。現在時刻は十七時。

 倒れてから六時間半経過。この時代に着いてからは七時間。つまり、この山の中に着いたのは午前十時頃だったことになる。


 そもそも、終日ダンジョンに潜り、夕方続け様に二度目の潜行、そして夕食の後は黒太刀くろたちの【居室】で三時間過ごしたところで追い立てられるようにここに来た。

 いい加減、眠気に襲われるタイミングだったからか、非常にすっきりと目が覚めた。


 少し身体を動かすと、何とも言えないゴワゴワした物が掛け布団代わりに乗っていることに気づいた。

 血と泥と煤に塗れ、いたるところが破れていたダグラス渾身の衣装は脱がされたようで、ゴワついた物が直接肌に当たってむず痒い。


 パンツをやめて褌にしたのは正解だったらしい。それすらも今は身につけていないが。

 全身をチェックされたのは他に傷がないかの確認の為か、それとも暗器の存在を疑って調べた為か。

 悪いが俺の武器は全部【収納】の中。ある意味、暗器だ。


 で、肝心の俺の師匠だが。

 この小屋に人の気配はない。

 いや、相手は忍者。一目しか見ていないが、多分、忍者。あそこで出会ったからには、俺の師匠の忍者。

 俺の【気配察知】を上回る能力を有している可能性もある。


 目が覚めたところで尋問されて叩き出されたりしないよな?

 銀剣と黒太刀は、当然のように俺が忍者を二人連れ帰ると思っている。失敗できない。

 なんとしてでも弟子入りさせてもらわなければ。


 ゆっくり半身を起こしたところで、脇腹に痛み。

 これと肩の傷はしばらく放置。

 足と腕の傷は、弱めに【回復魔法】を掛ける。

 人より少しだけ回復が速い、と思われる程度に。


 身体を動かしたことによる俺の気配の変化で師匠が現れるかと思ったが、相変わらず小屋の中は俺一人。

 見れば、全ての傷に何かの葉っぱが貼られていて、かなり染みる。一応、応急処置的な何かは施してくれているので、放置して帰ったわけではないと思いたい。


 本当に【痛苦耐性】持ってて良かった。

 いきなり刃物を向けて来た銀剣は「おまえ耐性持ってんだから痛ぇわけねぇだろ」と遠慮なく俺に刃を当てたが、軽減されるだけで全く痛くないわけじゃない。

 それでも全身傷だらけにされてもどうにか耐えられる程度で済んでいるから有り難い。

 師匠が戻って来たらもっと痛い素振りを見せなければならないかもしれないが。


 意識を失っても【幻影魔法】は切れなかったらしく、背中に髪の束の感触。突然髪が短くなったりしたら、師匠に物の怪扱いされるところだった。


 しばらく半身を起こした姿勢で待機。

 というか、服がないので外に出られない。


 そして最大の問題。

 仮に衣服を渡されたとしても、自力で褌を絞められる自信がない。

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