第52話 紫紺の暗殺者 2
手のひらと足の裏が痛い。
そんなことを言っている場合ではないので、構わず改札に駆け込む。
二台とも赤色灯が点灯している。
氾濫現象発生中は、支部内での受付手続きを省略して、直接ゲートに飛び込んで良いことになっている。
ゲート当番の職員の横をすり抜け、警告音の鳴り響く改札に探索者証を近付ける。
そういえばずっと【隠形】を使ったままだ。ゲート前の職員は全く俺の存在に気づいていない。
どうせ改札を通過すれば、俺が入場したと記録されるのだから、今更姿を見せる必要もないだろう。
入場時の小さな電子音を掻き消すほどの大音量の中、改札を通り、【収納】からこのダンジョンのコインを取り出す。
俺が持っている最も深い層のコインは六十五階層の物。
人が多いという理由であまり近寄らなかったのは失敗だったかもしれない。
氾濫現象発生時の規定に従い、二十階層行きのそれを一つ、投入口へ。
装置全体から淡い光が溢れ、すぐ横にある大きな一枚岩にしか見えない物体の中央に亀裂が入り、左右にスライドする。
高さは四メートル、奥行きと横幅も四メートル。
簡単に言うと大きなエレベーターの内籠のような空間。
内部は謎の光源で明るく照らされている。
改札から先はダンジョンの世界。電気は通っていないから、この明かりの仕組みは全くわからない。
定員は三十人らしい。
もっと乗れると思うが、探索者によっては巨大な武器を携えて乗り込むこともあるので重量の問題なのか。
いや、ダンジョン内にある設備に力学が絡むわけがないから、違う理由があるんだろうが。
俺は中に乗り込み、ドアのような部分の横にある操作盤で扉を閉じる。
一秒も経たないうちに再び開いた扉の先は二十階層。
岩に囲まれた薄暗い空間。
右手の大きな扉と、左に下に降りる階段があるだけの場所。
念の為、扉の中の様子を伺おうと薄めに開くと、聞こえるのは金属音。
隙間から中の気配だけを読み取る。
階層ボス、興奮状態。
周囲に探索者、一人、二人、全部で六人。
多分、下から戻って来たランクCかDが三人と、これから下に向かうんだろう、ランクBと思われる二人。もう一人は動きが良い。ランクAか?
ここは任せて良さそうだ。
俺はそっと扉を閉め、階段の方へ向かうことにした。
足で降りている時間は惜しいので、飛び降りる。
自由落下の力を借りて【飛行】を加速。
そのまま二十一階層の【地図】でモンスターの位置を確認。
ダンジョン内で常時表示させているお陰で、【地図】と【時計】が最もスキルレベルが高い。
今の俺の【地図】には、このフロア全体のマップと、フロア内の全てのモンスターの位置が赤色の光点で表示されている。
平常時なら殆どその場から動かない点もあるんだが、今は全ての光が高速でこちらに向かっている。
「……走ってる?」
上層を目指す、とは聞いていたが、走るのか。
核モンスターだけ違う色で表示される機能が欲しい。
モンスターの位置と数しかわからない。
どうしたものか。
実は氾濫現象に遭遇するのはこれが二度目。
前回は十年前のあれなので、経験したうちに入らない。
ここで迎え撃つのが正解なのか。
それともすぐ上の階層ボスの相手をしていた探索者に任せるか。
あの様子ならそのうち降りて来るだろうし。
「……進むか」
最短距離で二十二階層へ降りる階段へ行こう。
この階層は迷路のような洞窟になっていて、三十七個の分岐で脇道が作られている。
実際のところ、下へ向かう道はたった一本。
他の通路から湧き出るモンスター全部を相手にするよりも、まだ下の階に取り残されているかもしれないランクEを救出する方が先だ。
普段、ランクEは三十階層までの単独潜行が許可されている。
普段なら問題ない。
この階層のモンスターの今の素早さは、【地図】で見る限り、平常時の五十階層のモンスター並みだ。
ランクEでは対処が難しいはず。
ダンジョン内で【地図】は、自分が今いる階層の分しかモンスターの表示ができない。
階段で繋がってはいても、階層ごとにそれぞれ別の次元の世界だと言われる所以だ。
確かに、洞窟の階段を下った先に草原があるとか、別の世界に移動したと考える方が正しいんだろう。
下の階の様子は下に降りなければ何も確認できない以上、俺は二十二階層へ行くしかない。
再び地面を蹴り上げ、空中へ。
地面から一メートルほどの高さを維持し、【飛行】で道なりに進む。
表示したままの【地図】の最初の光点まであと十五メートル。
小さく息を吸い、思い切り【反響定位】を発動。
コウモリ由来の、周囲の全てを把握するスキル。
近づいているのは二足歩行の生き物。身長三メートル。細く長い手足。
手には長い棒。いや、手元が短くて先端に行くにつれ太くなっている。
野球のバットに近いが、そんなわけはない。棍棒だろう。
ゴツゴツした岩場を裸足で駆けて来る。
「……この階層にサイクロプス?」
あれがいるのは四十五階層だ。足で走る以外の移動方法を持たないモンスターが、こんな階層まで十数分で上って来れるわけがない。普通なら。
似たような体型のモンスターばかり、続々とこちらへ向かっている。
考えたくないが、核モンスターの正体がわかった気がした。
今はそれよりも。
最初のサイクロプスと邂逅するまであと二秒。
死角になっている分岐の向こう。
長過ぎる手足が岩場にぶつかる音。
肺があるのかどうか知らないが、荒い呼吸音。
動物的な唸り声。
顔のど真ん中のでかい一つ目が俺を認識するより先に、俺はヤツの顔の位置まで跳ぶ。
右手の短剣で目を、左手の短剣で喉笛を。
一気に掻き切る。
皮膚と肉を突き破る感触。眼球に食い込む切っ先。
次の瞬間には巨人は黒い粒子になり、そして消え去る。
着地しながらそれを確認。
同時に、地に落ちる魔力結晶と趣味の悪いネックレス。
まんま眼球のデザインの飾りがびっしり連なるネックレスとか、正直、俺は首に巻き付きたくはない。
「これ、一個一万円なんだよなぁ……」
見た目はひどいが、これを着けていると、実は刃の付いた武器の切れ味を上げる効果がある。
こういうところの攻撃力こそ数値で表してほしい。
例えば、「攻撃力+3」とかそういう感じで。
実際には数字になっていないので、具体的にどの程度のプラスなのか不明だが、普段より深く刺さるとか、表面を滑るだけだった相手に切り傷をつけられたとか、多少ではあるが攻撃力が上がると評判だ。
俺も一度だけ使ってみた。
確かに上がった。ただ、本当に多少だった。
首元でジャラジャラ煩いのと、デザインの趣味の悪さで、一度使ってすぐに売った。




