第35話 見習い職員 6
黒太刀は静かに、そして大量に食べ席を立った。
本来なら、周囲の客と店員の視線が気になるところだが、俺はそれどころじゃなかった。
まさかこの場であのスキルを取るかどうかの決断を迫られることになるとは思わなかった。
もっともあの黒太刀と夕食を共にしたことも大事件ではあるんだが、それを上回る問題。
だが黒太刀は、そんな悩み続ける俺をよそに、勝手に自分の探索者証を翳し、全額の会計を終えてしまう。
一回りくらい若く見える女性に奢られている三十前後の男。
今ここには同級生もいるのに。
もう二度と同窓会には顔を出せない。今までも一度も出席したことはないが、仮にこのまま引退し、相応に加齢し続けたとしても、絶対に奴等の前には出られない。
多分俺、飯代にも困窮するような状態で田舎に逃げ戻った男だと思われた。
店を出ると外はすっかり暗くなっており、何軒かの店はもう閉められ、通行人も疎ら。
聞いたところによると、この商店街の名前を冠したチームが作られており、店主たちは閉店後にダンジョンに向かい、全国の商店街と順位を競っているらしい。
明かりの落とされた全ての店舗ではないだろうが、何人かは今この時ダンジョンにいるんだろうか。
「雑賀、来い」
気付くと黒太刀が何も無い道の真ん中に扉を出していた。
家、って【居室】のことか。
そんなのんびりした感想は、促され中に入った瞬間に吹き飛んだ。
正直、SSの【居室】を舐めてた。
レベルいくつだ、これ。
馬鹿みたいな大広間に、人、人、人。
主不在の【居室】に住みつけるってことは【眷属】か。普通の人間なら、主が外に出たと同時に【居室】から吐き出されるはずだから。
そもそも【眷属】ってレベルに応じて契約できる数が決まるんだったか。
何人いるんだよ、本当に。
何もかも桁違いで、やっぱり俺には到達できないところにいる人だ。
それこそ、人間を辞めない限り。
「ダグラス、来い」
「はぁい、主様。お呼びかしら? 靴職人だけで良いの? 特別にアタシも協力するわよ、いい男だし」
人混みから一歩前に出たのは、特殊な着崩し方で着物を着るイケメン。
言葉遣いがアレだが、多分、言葉だけ。心も身体も男だな、これは。
そんなに値踏みするように見た覚えはないんだが、ダグラスと呼ばれた男は「ふぅん?」と艶っぽく顎に指を添える。
「やぁね、あんた。アタシが男だって一目で見抜くんじゃないわよ」
「すみませんでした……」
これは本当に俺が謝るべきなのか。違う気がしたが、ここの眷属達はどう見ても俺より強い。逆らっちゃいけないやつだ。
広間の片隅で、手も使わずにモップ掛けをしているメイド服の眷属すらも、俺よりレベルが高そうだ。
「あら、素直ね。早速測っちゃうわね」
宣言と共にダグラスの首に掛かっていた何本ものメジャーが俺の全身に巻き付いた。
何のスキルだ、これ。
「とりあえず今回は靴だけ用意しろ。服はまたの機会に」
「御意。マルクとアンナに足のデータ送るわ」
手も使わずにメジャーを巻き付けて採寸するスキルも初めて見たが、慣れた手つきでタブレットの操作をしていることも普通じゃない。
こんなに現代社会に適応するものなのか、眷属って。
「雑賀、眷属達はいつまでも私と共に存在する。【不老】を取っても、一人にはならない」
この【居室】を見る限り、一人でいたい時も誰か彼かそばにいて落ち着かなそうではあるんだが。
こんなに表情豊かに人間味溢れる眷属に囲まれて生活していれば、少なくとも寂しくはならないのかもしれない。
「靴が出来るまで、茶でも飲んで待て」
そう案内されたカフェバーのような部屋にも眷属が数十人。
体格的に剣を握ってそうな奴から、戦闘とは無縁そうな学者風の奴まで。
さっきのダグラスもそうだが、戦えそうにないモンスターもダンジョンにいるのか?
人型ってことは、スケルトンかゾンビか。もしくは、去年海外のダンジョンの百何十階層だったかで初めて確認された吸血鬼か。
眷属になったモンスターは、主人の支配する空間の中では姿を変えることがある。
死霊系ならば生前の姿になる。
今は普通の西洋人に見えている為、何のモンスターなのか全く想像がつかない。
「ダグラスさんって、どういう立ち位置でダンジョンにいたんです?」
考えてもわからないことは尋ねた方が早い。
壁際のソファ席に案内され、革張りのメニューを受け取りながら聞いてみる。
「全員、一つの国家の全国民だ。ダグラスは服飾デザイナーだが、パン屋もいれば大工もいる」
待ってほしい。
何の心の準備も無く開いてしまったドリンクメニューの、その異常な品数の多さに驚けばいいのか。
それとも、黒太刀のスケールの大き過ぎるとんでもない発言に驚けばいいのか。
目から耳から、有り得ない情報を与えられ。
俺はまずどちらについて言及すればいいのか。
「主様、全国民と言いましても、迷宮に世界が飲まれる前に辛うじて王城に逃げ込むことができた僅かな人間のみなのですよ」
温かいお絞りを持って現れたイケメンのボーイが、言葉足らずな黒太刀の台詞を補う。
いや、補い切れてない。もっと訳が分からない。
「我々の世界は迷宮から溢れた魔物に蹂躙され滅びました。我々生き残りも、最終的には城の結界の中で命を落としたのです。主様が城ごと我々を眷属化して下さったことで、今はこうしてそれぞれ特技を活かしてお仕えしております」
城ごと、って何だ。それって何人なんだ。俺の人生で聞いたこともない単位が飛び出した。




