第30話 見習い職員 1
日本探索者協会は、全国のダンジョンに隣接する位置に支部を構えている。
都市によっては二から三ほど、農村でも最低一つはダンジョンを抱えている。
ダンジョンの数だけ協会支部も存在しており、各支部は二十四時間体制でダンジョンの監視と探索者のサポートを行っている。
つまり、常に職員不足に喘いでいるわけだ。
「というわけで、だ。雑賀さん、職員にならないか?」
俺が事故でランクAになった、あの氾濫現象から五年。
何の因果か、俺は探索者協会職員にスカウトされている。
◇
その日、協会の受付にいたのは、顔馴染みの石原さんだった。
ここ数ヶ月、考えに考え、悩みに悩み抜いた末の決断を告げる相手として石原さんは最適なように思えた。
「石原さん、俺、引退して地元に帰ろうと思うんです」
鳩が豆鉄砲食らったような顔ってのは、こういうのを言うんだろう。
石原さんは二秒動きを完全に止め。ゆっくり俺の顔を凝視し、瞬き三回。
「さ、雑賀さん? なんでよりにもよって俺に言うの?」
やっぱり石原さんに言うのは正解だった。
このシチュエーション、普通なら「どうして辞めるんですか」「考え直して下さい」が先に来る。
「引退するのって、何か手続き必要なんでしょうか?」
「いや待って。話進めないで。誰か巻き込みたいからちょっとだけ待って」
素早く石原さんはカウンターの前に『休憩中。隣の窓口をご利用下さい』と書かれた札を置く。
どんな時でもそつなく仕事をこなす人だ。
「すみませーん! 小早川さん呼んでくださーい!」
石原さんは俺から目を離さずに他の職員に声を掛ける。
心配しなくてもこのまま勝手に帰るなんて真似はしない。
「声がでかい。お客様に迷惑だろう、石原」
ベストの前を開け、ワイシャツのボタンを二つ外した小早川さんが近づいて来た。
「一大事です。うちの支部のエースが田舎に帰るって言ってます」
「へえ? うちに高ランクがたった三人しかいないって知ってるはずの雑賀さんが、そんな無慈悲なことを本気で言うくらい切羽詰まってるって話かい?」
この人も話が早い。
この五年、必死に努力した。レベルもスキルレベルも上がった。
より深い階層で戦えるようにもなった。
でもそれだけだ。
あの日見たあの人には全く追い付いていない。
今年で俺も三十。
おじさんになった自覚は当然無いし、体力も衰えていない。
だが、この先、一体何年ダンジョンに潜れば、あの人に近づけるのか。潜り続けていれば、本当に近づくのか。
限界はまだ見えてはいない。ただ、それが見えてしまう日はそう遠くはないんじゃないかと思う。
その時に気付いた。潮時なんじゃないかと。
そんな時、実家の妹から電話があった。
いつまでそんな不安定で危ない仕事をするつもりなのか、お父さんも帰って来いと言っている、地元も最近は景気が良い、仕事はある。
考えておく、と答えは保留にした。
保留にはしたが、電話を切った瞬間、なんとなく気持ちは固まった。
大学進学と同時にこの地方都市に出て来て、そのまま就職。学生の時には長期休暇のたびに家に帰っていたが、就職してからは忙しいふりをして戻らなかった。
会社を辞めてからは顔を出し難くなり、ランクAになったことでそんな遠くには行けないから、と一度も帰っていない地元。
帰ろうか。
そう思った。
「三人じゃないですよね? この前、水田くんがランクAになったでしょう」
あの時あの場所にいた金髪の青年も、最近黒髪に戻してランクAになった。
俺が居なくなっても、数は変わらない。
「で、帰って何をするのか聞きたいな」
小早川さんはにやりと笑った。
何を考えているのかすぐには分からなかったが、いきなり協会職員が足りないという話が始まり、そして俺に職員を勧めて来た。
「日本中、どこの町にもダンジョンがあるんだ。雑賀さんの地元にもあるんだろう?」
「……二つほど。隣町にもありますし」
探索者協会職員。資格はランクD以上であることのみ。
「職員見習いの研修ってことなら、雑賀さんが制限範囲外に出ても問題はないしな」
職員。いや、結局、有事には駆り出させるし、遭難者が出たら捜索に潜るし、危険なことに変わりないんじゃないか。
「あ、俺、雑賀さんの実家に近い方の支部に連絡入れて来ます」
仕事の早過ぎる石原さんが動き出す。
なんで俺の実家の場所知ってるんだろう。
「実家って、ここに書いてある本籍地で良いんですよね?」
そういえばそんな項目が、探索者登録の時に書いた申込書にあったような気がする。
◇
翌日。
俺は電車で地元に戻った。
全国の探索者情報を載せているブログ『たんたび』を眺めて過ごせば、地元まではあっという間だ。
駅が近づくと、駅前広場に黒い小山のような物が見えた。
ダンジョンだ。
もう一箇所は商店街の方にある。
俺の実家に近いのは、商店街の方。
駅舎はいつの間にか作り替えられていた。
知らない街に来たようで落ち着かない。
まずは実家に顔を出す。
他に寝泊まりする当てがないから。
駅からバスに乗り、そして。
庭の広い日本家屋ばかりが点在する地域。マンションだらけの所にいたからか、隣の家が遠過ぎるように感じる。
ご近所も昔と殆ど変わらない。
俺、本当にこれからここに住むんだろうか。この景色の中にいる自分の姿をうまく思い浮かべることができない。
まあ、今考えても仕方がない。
「ただいま」
玄関に鍵を掛けない風習。変わらない。
靴を脱いでいると、奥から妹が小走りで近づく音。習慣的に【索敵】と【気配察知】が勝手に仕事をするから、姿が見える前から誰なのかがわかる。
「兄さん、今日来るならそう言ってよ!」
「急に決まったんだよ」
本当に、急に。
俺の意志と無関係に、強引に。
「こっちで仕事探すの?」
「とりあえず一週間、探索者協会で働く」
「はあ?」
色々と秘守義務があるはずなのに、気軽なお試し期間があるって変な組織だよな。情報漏洩とか心配しないんだろうか。
「協会って、ランクD以上じゃないと働けないんじゃないの?」
「おまえね……何年探索者やってると思ってんだ」
職業探索者歴六年で、未だにランクDの奴なんて聞いたこともない。
「ランクBかCってとこ?」
俺、そんなに弱そうに見えるんだろうか。もっと高ランクだと言っても信じそうにないからやめておく。
「旦那は仕事?」
「あのさあ、今日平日だよ? やだやだ、これだから自由業は」
妹は去年結婚し、新居の資金を貯める為に実家に住んでいる。
結婚式場は俺に許されている行動範囲内ぎりぎりの位置にあったので、式に出席することはできた。
「おまえはなんで平日に家にいるんだ?」
「リフレッシュ休暇。私も一週間家にいるから。それで? 一週間経ったらまた向こうに戻るの?」
「いや……マンション引き払った」
これも石原さんが昨日部屋まで着いて来て、「荷造りして下さい。解約は俺やっとくんで」と笑顔で告げたからだ。ものの数十分でマンションから追い出された。
「はあ? 家具とか全部捨てて来たの?」
「いや、全部ちゃんと保管してる」
部屋の家財道具一式は【収納】に全部納め、何も手に持たないのも不自然なので、家族への土産物だけを入れた収納袋を背負ってここまで来た。
「兄さん、しばらく見ない間に人として駄目な方向に進んでない? で、ここで暮らすってことでいいの?」
「とりあえず一週間は」
どこの協会支部も上階は職員寮になっていたはず。正式採用されたら寮に入ることになる。
ベストの制服で支部内で働く自分も全くイメージできないが、小早川さんと石原さんがたった一日で全部お膳立てしてくれたのだから、とりあえず一週間頑張ってみようとは思う。
夕方になり、両親と妹の旦那が帰宅する。
前触れもなく帰って来た俺に驚きはしたものの、比較的温かく迎え入れてくれたように思える。
ただちょっと、何かのドラマでありそうな、都会で夢破れて舞い戻ったドラ息子を当たり障りなく歓迎する雰囲気に似ていたことだけは引っ掛かりはしたが。
どっちかって言うと、俺、成功して錦飾ってる方の部類なんだよな。主に貯金額の面で。




