第110話 MAZE 8
椎名がベッドから出られるようになったのは一時間ほど後のこと。
よくわからない銀剣のファン達は既に立ち去っていた。
山の中腹にあるホテルまで走って帰るのだと言う。
自分もそろそろ帰ろう。電車のあるうちに。
救護室の職員に軽く頭を下げ、協会支部の廊下を進む。
途中で、まだドロップの買い取りを頼んでいなかったことを思い出し、椎名はふらつく足で窓口へ向かう。
核モンスターの麻痺攻撃はかなり効いた。まだ足が縺れそうになる。
それでも窓口で【収納】からドロップ品を次々に取り出し、待合スペースに腰を下ろす。
まだ支部内は人でごった返しており、探索者や職員が忙しなく行き交う。
椎名が小さく息を吐いた時、目の前を一人の男が横切り、買い取り窓口に立った。
「お待たせいたしました、銀様。こちらが査定結果になります」
職員がやや緊張した面持ちで手元のタブレットを男に見せている。
自分以外にもまだドロップの査定待ちの人間がいたことに少し驚き、椎名は顔を上げる。
窓口に立つのは革の上下を身に着けた小柄な短髪の男。
この辺りでは見かけたことのない探索者だ。
「俺の口座に振り込んでおけ」
「はい、かしこまりました!」
なんとも横柄な男だ。もっとも探索者の大半はあんなものだが。
よくある光景だと思いながら眺めていた時、その隣の窓口の職員が自分の名を呼んだことで、椎名は慌てて立ち上がる。
が、急に立ったことでまた足がふらついた。
あ、転ぶ。
と思ったと同時、正面から伸びて来た腕に支えられる。ふわりと。
既視感。
反射的に顔を上げると、目付きの悪い男が嫌そうな顔でこちらを見ていた。
身長、ほぼ自分と同じ。
両耳、大量のピアス。口の端にも小さなリングピアス一つ。
椎名の苦手なタイプ。
それでも助けて貰ったのだから、と椎名はしぶしぶ口を開く。
「ありがと……」
「チッ……気ぃつけろ」
助け方はスマートだったのに、口を開くと最悪だ。
椎名はなんとか両足に力を込め、男の腕を丁重に自分の身体から引き剥がす。
男はそのまま外へ向かって歩き出した。
その背を見ながら、椎名はついその後ろを着いて行く。
理由は無い。このまま行かせてはならない気がしただけ。
男は正面玄関から外に出ると、しばし立ち止まり、何かを考えた後、路上に一台の自動二輪を出した。手にはいつの間にかヘルメット。
信じられないが、【収納】の中にオートバイを入れていたとしか思えない。
大型のバイクに跨りながら、椎名の方をちらりと見る。椎名の存在に気づいていたらしい。
「用があんならさっさと言え」
「あ、その……えっと……」
この人、目恐い。
何も考えずに来てしまったため、椎名は慌てて何か言わねばと焦る。
早くしないと帰ってしまう、間違いなく。
「あ、あの……私、体調激ヤバで、その、駅まで乗せて貰えたらなって……」
「あ?」
言いながら、椎名は到底初対面の人間に要求する内容ではないことに気づく。
とんでもなく厚かましい女だと思われたかもしれない。
「乗るって、これにか?」
これ、と自分が跨るオートバイを指差す。
今も膝ががくがくしている。手もまだ少し痺れている。乗せて貰ったとしても、途中で振り落とされる未来しか見えない。
そもそもこのバイクは二人乗りができるタイプなのか。
それ以前に、自分のこの服装でオートバイに果たして乗れるものなのだろうか。
更に大問題が一つ。自分は生まれてこの方、オートバイの後ろに乗ったことがない。
要求が無茶苦茶だ。椎名は恥ずかしくなり俯いた。
どうして自分は、このひどくガラの悪い男を引き留める為に必死になっているのか。
駅まで行きたいのなら、窓口の職員に頼めばタクシーくらい呼んで貰える。
窓口で思い出したが、自分は今、ドロップの査定中だ。このまま帰って良いわけがない。
そんな椎名を見ながら、男は何を思ったのか大きな溜息を吐きながらオートバイから降りた。
「馬鹿なのか、てめぇは? 怪我人が単車に二ケツできるわけねぇだろ」
まったくもってその通り。椎名が俯くと、男はまた溜息を吐いた。
「駅までしか行かねぇぞ」
「え……?」
顔を上げると、いつの間にかオートバイは消えていた。代わりにそこにあったのはミニバン一台。
車も【収納】に入れている。聞いたこともない【収納】の使い方に呆気に取られる椎名に向かって、男は助手席の扉を開いた。
「さっさと乗れ」
高級車のドアを開ける執事のような動き。ギャップに目眩がしそうだ。
大股にならないよう気をつけながら、そっと乗り込むと、男は素早く運転席側に回り込む。さっきから思っていたが、歩き方も綺麗だ。
◇
発進してからはしばらく無言の時間が続いた。だが、ぼんやりしていてはあっという間に駅に着く。
椎名は恐る恐る隣の男の様子を伺った。
右手はハンドル、左手はアームレストに無造作に置かれている。
普通に正面を向いているため、横顔しか見えない。
この角度から見ると、実は整った顔をしていることがわかる。人相が悪いのは全部あの目付きとピアスのせいだ。
そんなことを考えながら、椎名はまだ自分が吊り橋にいると自覚した。
「じろじろ見るんじゃねぇ、気が散る」
「あ、ごめんなさい!」
視線を敏感に感じ取れるのは、レベルが高い証拠。
「……あのダンジョン、よく行くの……? お礼もしたいから、今度一緒にダンジョンに……」
「今日はたまたま来ただけ。この辺は滅多に来ねぇ。次いつ来るかもわからねぇ。だから礼はいらない」
一気にまくし立てられ、椎名は気落ちする。
明らかに迷惑そうな態度に椎名は気まずくなりながら、最低限の情報を得ようと果敢に質問を重ねる。
「……私、椎名水城。あの、貴方は……?」
答えて貰えない気がする。きっともうこんな面倒な女とは関わりたくないはず。
「銀」
「……え?」
なのに即答。
「銀だ」
「ぎ……銀……?」
オウム返しに呟くと、舌打ちが返って来た。
「チッ……呼び捨てかよ」
「ご……ごめん!」
まさか教えて貰えるとは。銀、銀か。いやでもこれは本当に本名なのか。
「ほら、着いたぞ」
椎名が口の中で何度も繰り返し名を呟いている間に、車は駅前に着いていた。
素早く運転席から降りると、男は助手席に回り、再びドアを開いた。
そして、スッと上に向けた掌を差し出して来た。
待て待て。
映画や漫画で観たことはある。自分の手を乗せればいいはず。だがどっちの手を乗せればいいのか。
椎名は狼狽し、固まった。
「早く手ぇ出せ」
自分の人生で、男性にエスコートをされたことなど一度もない。
動悸が激しくなる。ここも吊り橋。
びくびくしながら手を乗せると、優しく手を引いてくれた。
身長はさほど変わらないのに、自分より大きな温かい手。剣ダコも拳ダコもない手。
モンスターを殴り殺す自分が恥ずかしくなるような手。
「気ぃつけて帰れよ」
男はすぐに手を離すと、また車に乗込み走り去る。
残された椎名は、その後部のナンバープレートをしっかりと記憶する。
この地域を走る車とは異なる名称。こんなところで九州の地名を見るとは思わなかった。
男が触れた手を見下ろし、椎名は恍惚とした表情で呟いた。
「本物の貴公子だ……銀剣様……」




