第109話 MAZE 7
氾濫現象が発生してから五十分。
ツインテールにゴシック・アンド・ロリータファッションで固めた椎名水城は九十階層にいた。
協会職員の【拡声】を聞いたのは八十階層だった。本来であれば一度二十階層に戻らなければならないことくらいは勿論知っていたが、他にも探索者はいるだろうと無視し、そのまま下層に降りた。
そして、凶暴化したモンスターを嬉々として倒し続け、勢いよく開いた九十階層の階層ボスの部屋の扉の奥。
見慣れた九十階層ボスの巨大蜘蛛の隣に、見覚えのないドラゴンがいた。
百階層の白竜ならば一度だけ見た。だがこんな黒竜は知らない。
身体も少し大きいような気もする。
百階層よりもっと下の階層から転送されて来た核モンスターだと、すぐにわかった。
自分はランクS、尻尾を巻いて逃げるなど有り得ない。
念の為、【鑑定】。何も見えない。
だが構わず向かって行った。
昨日ドロップしたばかりの新品のナックルを装着し、思い切り殴りつけた。
何らかのダメージは与えられるだろうと踏んでいたのだが、相手は無反応。
これはやばいかも、と思った瞬間、五メートルはある長い尻尾が眼前に迫っていた。
あ、死ぬ。
危機的状況。それでも目は閉じなかった。
そのお陰で、凄い物を見ることができた。
突然、自分のウエスト付近にするりと回された腕。衝撃は無かった。とてもソフトに、紳士的に。
そのまま誰かと一緒に後方に跳んでいた。尻尾の射程外まで、十メートル程。
腕の主を辿って横を見る。
「……SS」
噂の仮面の探索者が、自分の身体をしっかりと抱き寄せていた。
左腕はしっかりと自分の腰を抱え、右手には銀色の大剣。
ヒールの靴を履いて潜行していた自分と、あまり変わらない身長。
全体的に細い。だが回された腕の感触でわかる。着痩せするタイプ。細いながらもちゃんと筋肉がついている。
「あ……ありがと」
「………」
返事はない。
代わりに、そっと左腕が外された。
その手を自分の胸に当て、片膝を軽く曲げ一礼。
まるで、断りなく淑女に触れたことを謝罪する貴公子の仕草。
そんな場合ではないというのに胸が高鳴った。
これが吊り橋効果。分かっていながら動悸は収まらない。
すると、ほぼ無視していた黒竜の口から、怪しげな煙が吐かれた。
何かの状態異常を引き起こすものだと瞬時に悟る。防御結界を張ったが効果無し。
麻痺状態になり、膝から崩れ落ちそうになる自分の腰を、再びSSが引き寄せ支えてくれる。
そして自分を抱えたまま跳び上がり、黒竜の首に大剣を振り下ろす。
これがランクSSの実力か。黒竜の首はさほど力を込めていなさそうな一撃で落ちた。
椎名が認識したのはそこまで。
黒竜の状態異常攻撃の効果は麻痺だけではなかった。急激に襲う眠気に瞼を閉じた。
◇
「……って感じ?」
救護室のベッドに座り、椎名は東条達に一部始終を語り終えた。
「銀剣様、尊い……!」
東条以下、銀剣様の足跡を辿る会の面々は話の余韻を噛み締めながら、椎名に握手を求めた。
「素晴らしい話をありがとう……!」
「夜の山を走って下りた甲斐があった……!」
「私も、銀剣様のブーツのデザインをこんな間近で観察できました! 帰って靴製作担当のみんなに教えます!」
両手をしっかりと握られた椎名は、なぜ彼女達がここまで感動しているのかわからないまま、「あ、うん」と曖昧に答えた。
その背後の救護室の扉に、控えめなノック音。
「入っていいですか……?」
「あ、下僕3号さん!」
ホテルスタッフの青年が薄く扉を開いて尋ねたことで、東条達は彼の存在を思い出す。
勤務時間外ということで一緒に山道を下りて来た仲間だ。本名は知らないし、知る必要もない、と東条は思っている。
「どうでした!?」
彼は今度こそ銀剣の全てを測ると豪語していた。
期待を寄せ尋ねた東条に、青年は頬を掻いて目を逸らす。
「それが……身長しか測れませんでした」
「はあ?」
あれだけ意気込んでいたのに、また身長だけ。
東条は呆れて物が言えない状態になった。
「スキルがなぜか弾かれるんです……銀剣様、スキルを弾くような特殊なスキルを持ってません……?」
「……銀剣様に不可能はないと思いますが」
だが、攻撃スキルならまだしも、【測量】を弾く。何の為に。
「でも身長は正確に測れました! 銀剣様は166.7センチです!」
この下僕3号の情報は即日『銀剣様推し』に投稿され、銀剣を愛する全ての探索者に共有された。
◇
銀剣の【居室】を後にし、【隠形】で廊下を進む。
『銀剣、そなたに好意的な者達が先程、そなたの身長を測ろうとしていたのを知っていたか?』
帰りがけに漸く思い出した為、隣を歩く銀剣に問いかけた。
「ああ、さっきゲート前で【測量】が飛んで来たな。反射したから関係ねぇけど」
『……【測量】も持っているのか』
無節操にスキルを取得し過ぎではなかろうか。【スキル反射】の発動条件は、同じスキルを持っていること。つまりかなり鍛えた【測量】を銀剣も持っている。
「身長データだけは持って行かれちまった。周りの物との相対データだから防げねぇ」
『身長くらい良いではないか』
見ればわかるようなものまで拒む必要はないと思われる。
「……良くねぇ」
急に声が低くなった。
「楠木にも言っとけ。俺の身長は絶対に漏らすな」
『何故?』
「理由なんかいらねぇだろ。俺が嫌なんだよ」
圭悟にはそれで十分かもしれぬ。SSが嫌だと言えば、圭悟は無条件で動く。
『圭悟に伝えてはおこう』
「ムサシ」
吾輩が支部の一階へ降りかけた時、銀剣が呼び止める。
「一人で帰るな、護衛にこいつらを付ける」
再び現れる、二体の軍服のスケルトン。
『本部まで? 銀剣の元に戻るのは大儀であろう?』
『ご心配には及びません。本部まで【飛行】でご一緒させて頂きますが、帰りは【転移】で戻ります』
この声はルネという個体のもの。ならば隣のスケルトンはニコラか。
レベル四百万超え。【転移】も当然、取得済み。
そんな眷属が二千五百体以上。個人で有して良い戦力を越えていると思うのは吾輩だけだろうか。
だが、おそらく圭悟は問題視しない。ならば吾輩も圭悟に倣うのみ。
『では、共に参ろうか』
『はい、ムサシ殿』
一階のロビーを抜け、外に出た吾輩は空に向かって前足を踏み出す。
その後ろから、二体のスケルトンも続く。
本部までは約三十分。吾輩の安否を気にする圭悟がずっと、【念話】で語りかけて来ている。
『持たせたな、圭悟。これから帰る』
圭悟に土産話がいくつもある。今宵の散歩はなかなか有意義であった。




