第102話 栄光の十六人 10
珍しく待ち合わせ時間より早く銭湯から出た鈴原は、真向かいのゲート前にまだチームのメンバーが現れていないことに気づき、頭を掻いた。
「あっちゃー……もうちょっと浸かってれば良かった。もったいな」
人を待たせることはあっても待つことの少ない鈴原は、こういった時の時間潰しが苦手だ。
いっそもう一度入り直そうか、と最悪な考えに至った時だった。
『待ってたわ、鈴原くん』
「……?」
聞き覚えのある少女の声が、自分の腰の辺りから響いた。
この声は確か。
見下ろした先には、純白の大型の狼が一頭。
「キナコちゃん! 一週間ぶり!」
正直、他の狼と見分けはついていないが、声だけは聞き分けられる。
わしゃわしゃと撫で回し、手触りいいな、と更に触れる箇所を増やす。
「あれ? 一人?」
大原や他の狼の姿がない。
『私、今回のことで反省したわ。武者修行に出ることにしたの』
「へ、へえ……?」
勇ましい単語が飛び出し、鈴原も少しだけ言い淀む。
『それでね、しばらく鈴原くん達のチームでお世話になりたいの。いいかな?』
「はあ? 無理無理、俺等、誰も【眷属】持ってない!」
自分達と契約していないモンスターを連れてダンジョンには入れない。
慌てて首を振る鈴原に、キナコは不思議そうに首を傾げる。
『そんなスキルいらないわよ、私達、モンスターじゃないんだから。はい、これ、パパさんから』
背負ったリュックのポケットから器用に前足で取り出した封筒を、鈴原に差し出す。
手渡された茶封筒の中身を取り出し、鈴原は目を瞠る。
「は? 登録証明書? ……紀州犬!?」
『私達、今までもパパさんの家のペットとしてダンジョンに入ってたのよ。【眷属】いらないわよ?』
狼でもなければモンスターですらない。
一般家庭で飼われている普通の犬。これが?
鈴原はもう一度手元の書類を見つめ、再びキナコに視線を戻す。
「キナコちゃん達、全員、犬なの……?」
『マルとマロンは猫よ?』
大原が頻繁に「ワンちゃんネコちゃん」と呼んでいたが。本当に犬と猫。
鈴原の思考が停止する。
通りの向こうから水戸部達が歩いて来るのが見える。だが、これをどう説明すれば良いのか。
『鈴原くんの家か、チームの事務所に住まわせて貰っていい? 栄光の十六人って来るもの拒まずなんでしょ?』
ムサシ叔父さんに宅配便の送り先伝えるから住所教えて、とキナコが矢継ぎ早に質問を重ねて来るが、鈴原の耳には入らない。
水戸部にはまだ、新しいメイスの出処すら説明できていない。この上更に、狼に見える犬を飼うことについて、どう伝えれば良いのか。
湯上がりのダイコクサマが、出来たばかりの友人の狼狽える様子を心配し、すぐ真後ろに迫っていることも、まだ鈴原は気づいていない。
鈴原と狼とダイコクサマの組み合わせに、水戸部が路上で頭を抱えるのは、もう間もなく。
◇
草原の中、警護官のマシューは主の姿を求めて草をかけ分ける。
主人が眷属の位置を把握できるように、眷属も主人の居場所を感知することができる。
まだその姿を視認することはできないが、この先にいることはわかっている。
最後の草をかけ分けると、五メートル先の地面に主人が座っていた。
本物の土でもなければ草でもない。本物に寄せて作られたそれらの上に直接腰を下ろし、同じく地面に置かれた大きめの二つのクッションに背を預ける格好で、どこか遠くを眺めている、自分達の美しき主。
人前では笑顔を絶やさないが、こうやって自分の【居室】内で過ごす時の主は、何の感情も表さずにいることが多い。
表情の抜け落ちた主は美し過ぎるが故にどこか作り物のように見えて、マシューは落ち着かない。
「青様」
「何ー?」
声を掛ければ、いつもの笑みを浮かべて振り返ってくれる。
これが作り笑いなのか、主の本心からの笑顔なのか、契約から既に何年も経っていながら、未だにマシューには判断できない。
「スイカ、切りましたよ。向こうで召し上がりませんか?」
「んー……保安部のみんなとー?」
「はい、本日は我々警護官がご一緒させていただきます」
放っておくと食事も睡眠も満足に取らずにぼんやりと過ごす主人の為、日替わりで各部門の眷属達が誘い出そうと決めたのは、もう随分前のことだ。
「……そうだねー」
再び何もない遠くを見つめながら、主は口元に長い指を当て、しばし考える。
横顔すらも美しい。完璧すぎる造形は、何を考えているのか読み取り難い。
「じゃあ……一緒に食べよっか」
不意にマシューの方へ視線を戻し、主が微笑んだ。
「はい、青様には特別に甘い部分だけを切り分けてます。他の奴等には秘密ですよ?」
「えー……平等に、って言ったのに。じゃあマシューに半分あげるよー?」
「ありがとうございます、青様」
クッションはその場に置いたまま。主は立ち上がり、警視庁の設置された森ではなく、小さな川の流れている方へ向かう。
主のため、スイカは小川のそばに用意してある。【居室】内で起こることは全て把握している主は、迷わず保安部の皆が集まっている方へと足を向けた。
本当はわざわざ教えなくとも、主のためにスイカを切り分けていたことくらい気づいていたはずだ。だが敢えて眷属達は主にそれを伝えに行く。
主の半歩後ろを歩きながら、マシューはその均整の取れた後ろ姿を眺める。自分達の主は、何から何まで完璧だ、としみじみ思いながら。
草原の中とはいえ、食事を共にしてくれる程度には、自分達は受け入れられているのだとは思う。
いつかは【居室】内に主のための屋敷を建て、そしてその中で自分達と生活してもらいたい。それが眷属千人の願いだ。
そんなことを考えながら進んでいた時、叢を掻き分けながら、思い出したように主がマシューを振り返る。
「ねー、やっぱり洞窟って何か気になるよねー。撤去してもらっていーい?」
「……もう中の拡張も終わりましたし。まだ展開できていなかった建物をいくつか、キューブから取り出して設置したんですが」
都市の災害時緊急システムにより、避難所となっていた施設の殆どが球体の結界であるキューブに圧縮された。
ダンジョンに世界が飲まれる時、その半分以上が失われ、奇跡的にこの世界まで流れ着いたキューブは全て、この主が回収してくれた。
だが【居室】に建物を出すことに主が難色を示したため、ツリーハウスの中や洞の中に施設を置くことしかできず、まだ半分以上の建物が掌サイズのキューブの中だ。
「とりあえず一度、洞窟は片付けてー。また何か違うの思いついたら提案してー」
「……はい」
主の言葉は絶対。それがスキル【眷属】による契約。
横暴ではあるが、自分達はこの、冷酷で強く、狂気をも孕んだ美しい主を崇拝している。逆らう気など微塵もない。
歩きながらマシューは、千人の眷属全員に、【念話】で主の新たな意向を伝える。
鉱夫達が悲鳴を上げ、魔導技術者達が溜息を吐く。だが誰も抗議はしない。
この【念話】の喧騒も聞こえているはずだが、主はそれには触れず、笑顔でマシューを振り返る。
「スイカ、楽しみだねー」
マシューも微笑み、軽く頭を下げて応える。
「はい、青様」
何の香りもしない、人工的に起こす風が吹き抜ける。五分に一度、【居室】内全体に行き渡るよう設定されたそれ。
もう随分前から、作り物の不自然さを感じなくなったことに、マシューは寂しさを覚える。
「青様、明日の潜行ですが。久しぶりにお供させていただいてよろしいですか?」
「ん? マシューが?」
「はい、是非」
千人の眷属の中で、主と一番最初に契約したのはマシューだ。
最近ではそばに控えることも少なくなったが、かつては自分がいつもダンジョンではそばにいた。
「たまにはマシューと遊ぶのも悪くないかな。うん、いいよー」
先程からずっと同じ笑顔。
主は本当に自分と行動することを喜んでくれているのか。何もわからない。
だがマシューは深々と頭を下げた。
「青様が人でなくなっても、おそばで仕えさせていただきます」
マシューが顔を上げるより早く、マシューの主は軽い調子で答える。
「それはそうでしょー。君達、オレの持ち物なんだからさー」
いったいどんな顔でその非情な台詞を言ったのか。
マシューが顔を上げた時、前を行く主は既に背を向けており、見えたのは僅かに風に靡く片側の前髪のみ。




