9.アマリア、愚直に護身術の練習を続ける
なんと用意された料理は見事にほぼ無くなった。シェリーンはその身体に見合うだけの見事な食べっぷりを見せてくれたのだ。食後には小さなお菓子と温かい紅茶が出され、ディケンズの淹れた紅茶を飲んだアマリアは驚く。先ほどのキューテックと公爵家執事の会話を思い出して彼らを見ると、先輩秘書はにっと薄く笑った。
(「師匠」って、もしかしてお茶の淹れ方の……?)
そう考えたアマリアの横で素直にシェリーンが感激を表す。
「うっわ、何このお茶。こんなの生まれて初めて飲んだ! 凄く美味しい!」
「恐れ入ります」
老執事は笑顔で頭を下げる。シェリーンはうっとりしながら……だがそれは目の前の宰相の美貌ではなく、今口にした食事に対しての恍惚の表情で……礼を言った。
「はあ……全部が全部夢みたいに美味しかった……御馳走様でした。閣下、ありがとうございました!」
「いや、こちらこそ協力に感謝する。ありがとう」
シェリーンは不思議そうな顔をして、宰相、アマリア、ディケンズの顔を順繰りに見回したあとキューテックに尋ねる。
「え、ホントにあんなんで良かったんですか? 他に聞きたいことは無いんですか?」
「勿論。とても有益な情報でしたよ」
「はあ……?」
女騎士はいまひとつ納得がいかないようだ。それはそうだろう。大声を聞かせてくれと言われて、まさか「宰相の想い人を探している」なんて想像できるわけがない。だが更に念を押すように男性秘書はこう言って右手を差し出した。
「本当に助かりました。ありがとうございます」
「あ、はい。こちらこそありがとうございます!」
シェリーンは反射的に差し出された手を握り、握手をする。そしてその流れのまま。
「ありがとうございました! 本当に素敵なお昼で、一生の思い出になりました!」
アマリア、ディケンズにも握手をして回った。アマリアは手を握られた際、彼女の大きな手と力の強さに見習いと言えど流石は騎士だわ、と感心した。流石に宰相閣下に握手はまずいと判断したのか、シェリーンは最後に敬礼をして去って行こうとする。
「ああ、そこまでお送りしますよ」
「大丈夫ですよ! 行きもここまで一人で来れましたし」
「そう言わずに。女性を一人で返すのは後味が悪いですから」
「アハハ! なんだか照れますね」
彼女を執務室の外まで少し送ってから戻って来たキューテックは上司に質問した。
「閣下、如何でしたか?」
「いや……素晴らしい女性だったが多分違うな。掛け声の種類もだが、声の質も微妙に違った」
「そうですか。僕は彼女と話してみて、間違いないと確信したんですがね」
(素晴らしい女性……)
閣下の女性の趣味は、やっぱりだいぶ変わっているな、とアマリアは思った。でも確かに体格はラーヴァのようではあったが、シェリーンには魅力がないわけではない。溌剌とした雰囲気、裏表も屈託もなさそうな明るい性格。宰相の美貌を誉めつつも、彼に最後まで媚を売ることもなかった。顔だって目がくるりと大きくてそばかすが可愛らしいし、きちんと化粧や髪の手入れをすれば美人になるかもしれない。
もしも彼女が本当にあの声の主だったなら、サミュエルと恋仲になる可能性もあったのだろうか? 公爵閣下と平民では身分が違いすぎるが、大っぴらにせず秘密の恋人として屋敷の離れに囲うなら、まあたまにある話だ。どこかの貴族の養女にでもして、マナーや教養を教え込めば結婚だってできるかも……。
「セーブルズ様、お茶のお代わりは如何ですか?」
老執事の声にアマリアはハッと自分の世界を取り戻した。
「あ、ありがとうございます。もう結構です。とても美味しいお茶を頂きました」
「左様ですか。では私はこの辺りで失礼致します」
「御馳走様でした」
「爺、ご苦労だったな」
「サミュエル様、失礼致します」
「師匠、そこまで送らせてください」
キューテックはまたディケンズとメイドを送っていく。執務室にはサミュエルとアマリアが残された。
「……」
「……」
静寂が部屋に満ちる。アマリアはその空間が何となく居心地が悪くて、サミュエルの方を見ずに口を開いた。
「では閣下、私は仕事に戻ります。御馳走様でした」
「ああ、セーブルズ」
「はい」
「君がいてくれて助かった。他に女性がいなければ、彼女はもっと緊張していただろうから」
「お役に立てて良かったです」
「あ……セーブルズ?」
「はい?」
「俺は何か君の気に障るようなことを言ったか?」
「いいえ? 何故ですか?」
「いや、それならいいんだが……何でもない」
「はい。では」
宰相の言葉に、アマリアは何だか変な気持ちがじんわりと沸いた。彼は気に障るようなことなど言ってないはずだ。なのに何故そんな事をわざわざ訊くのか。彼女が彼の方を見ないから? そんなのいつもの事ではないか。
(はあ! もうっ)
イライラする時は仕事に没頭するか、身体を動かすに限る。アマリアは書類をまた素早く仕分け始めた。
◆◇◆
翌日は休日だった。アマリアは午後にお茶の予定が入っていたが、午前は何もなかったので久しぶりに身体を動かす方でストレス解消をしたくなり、庭に出る。伯爵邸の庭の大木のひとつが彼女の練習場で、木の幹には一本の帯が結んである。彼女はそれを握ると……
「はあっ!」
クルリと半回転し、木に背を向けた格好で帯を思い切り引く。
「どっせい!」
これは兄、アイルトンに教えて貰った護身術、背負い投げの練習である。生真面目な彼女は兄に教えて貰った方法を数年にわたり愚直に練習していた。その結果、実戦で咄嗟に男を投げ飛ばせたのだから今後も練習を続けようと思っている。
「どっせい!」
そうして何度も練習をしていると当然汗は流れ、息も上がる。腕も疲れて重だるくなってきた。だがアマリアはもう少し、もう少しと練習を続けた。昨日のイライラを吹き飛ばすのにも都合が良かったからだ。
「うわっ、お前まだやってたのか!?」
アマリアを探していたアイルトンが庭にやってきて呆れたような声を上げた。
「最近練習があまりできなかったから、その分やっていただけよ。どうしたの兄様?」
「それがさ、エミュナから急ぎの連絡が来て、なんかドレスがどうとかでお前との約束を破って、俺に一緒に来いとか書いてあるんだけど」
「え!?」
兄が指につまんでプラプラさせていた手紙を見せて貰い、アマリアは即座に理解した。
「兄様、今すぐエミュナと一緒にドレスメーカーに行くべきよ!」
「ええ? 俺、ドレスの事は何にもわかんないのに?」
「それでもよ! エミュナの婚約者でしょ! 急いで支度して!!」
手紙の中には、彼女の結婚式用のドレスが予定通りに作れなくなったとあったのだ。もしかしたらドレスメーカーは領地も無い弱小男爵家の娘であるエミュナの足元を見て、他の身分の高い貴族の注文より後回しにしようとしているのかもしれない、と彼女は考えているようだった。だがそれならば次男とはいえ伯爵家令息であり、王宮騎士団員でもあるアイルトンが同行すれば店側は態度を変えるだろう。そもそもそんな店とは契約を打ち切って他を探してもいいが、いずれにせよエミュナひとりでは対処できない状況だ。
『アマリア、ごめんなさい。ミシェル様にも急ぎの手紙を出しておいたから、お茶会はあなただけで行って欲しいの。この埋め合わせは必ず!』
乱れた筆跡で書かれた大事な友人のお願い。これを見たアマリアは仕方ないと判断して兄の尻を叩き、送り出した。












