16.美貌の宰相様、お疲れのあまり壊れる?
翌朝。アマリアはいつもより少しだけ早めに登城した。机を整理し、届いた書類の封を切りながら時々宰相閣下の机を見る。最初こそ昨日の事を思い出して胸が熱くなったが、何度か繰り返すうちに落ち着いてきた。
(……よし、大丈夫。いつも通りやれるわ)
そう思った頃にキューテックが執務室に入ってくる。
「セーブルズさん、おはようございます」
「おはようございます」
「今日はお早いですね」
彼は普段から実に愛想の良い男だが、今日はなんだか更に機嫌が良さそうだ。
「キューテックさん、何か良いことでもあったんですか?」
「ん?……ああ、有りましたねえ。昨夜、妻と話をしたら大変楽しそうでした」
「そうですか……? それは良かったですね」
「はい」
思い出し笑いなのか、キューテックはくつくつと笑った。アマリアは少しだけ不思議に思う。昨日、彼は休日にも関わらず上司と王城にいた。夫が休みの日も仕事に出ていくのに楽しそうにする奥様というのは、よほど心が広いのか、夫がいないほうが気が楽ということなのか……多分前者なのだろう。夫婦仲が良いのは何よりである。
「……おはよう」
いつものイイ声が、なんだかワントーン低めに聞こえた。そちらを見ると、普段は冷たくキリッとした宰相がどことなくボウッとして入口に立っている。さしずめ「ちょっと融けた氷の貴公子」というところか。アマリアは思った。
(昨日も休みなのにここに来ていたし、キューテックさんの言う通りお疲れなのかもしれないわね……)
「おはようございます」
「おはようございます。閣下」
「……ああ」
サミュエルはそのまま机に向かう。アマリアはまた書類に目を落としたので宰相の椅子が僅かにきしむ音と、ふーっと長い溜息を聞くのみだった。そこまでは。
「……昨夜は、夢に見てしまった。可愛かった」
「!?」
彼女は聞き間違いかもと思いながらも、バッと彼の方を見ずにはいられなかった。見てしまったのだ……サミュエルを。
片手で頬杖を突き、悩まし気に溜息を吐いて遠くを見つめる姿はキラッキラの色気を纏い、周りの空気をピンクと金に染めそうだった。眩しすぎる。目の毒というよりも、もはや目をダイレクトに刺しに来ている。
(きゃあああああ!!)
アマリアはその美しさの攻撃力に耐えられずバッと自分の机の方に振りかぶった。傍から見れば、首をブンブン振る不審な動きをしているに違いない。
「可愛かった。最高に可愛かった。なんだアレは。綺麗だろう。綺麗すぎる」
「!?!?」
「首を傾げたところなんて可愛すぎて妖精かと思った……あんなの、誰の目にも触れさせたくない」
その声も、まるで口説き文句を言う時のように甘くて。目をそらせていても耳に入るだけで毒だ。毒に侵されたアマリアの耳がじわりと赤くなる。もしも耳元で聞かされたら心臓麻痺で死んでしまうのではないかとさえ思った。混乱し目のやり場に困ってキューテックを見ると、彼は赤い顔で机に突っ伏し胸を押さえて震えている。それを見た彼女は一気に熱が覚め、心配し彼に駆け寄った。
「キューテックさん!? 大丈夫ですか!?」
「……あ、あは、大丈夫です。ちょっと今、呼吸困難になったみたいで……」
「お医者様を呼んできます!」
「大丈夫です。もう平気ですから。心配いりません」
「でも……」
「本当に平気ですよ! ほら」
キューテックは立ち上がって腕をぐるぐる回して見せる。
「それに、もし医者に診せるなら僕よりも彼の方かもしれません。……サム、どうした?」
「……え?」
サミュエルは目だけをキューテックの方にやる。自然と流し目のような姿になりそれがまた色っぽい。
「昨日……とても良いものを見て」
「!?」
またもアマリアの心臓がドキリと跳ねる。その言葉は、昨日別れ際に彼が笑顔と共に口にしたのと同じものではなかったか。だがすぐにキューテックが強い言い方で遮り、続く言葉は聞けなかった。
「夢でだな?」
「……ああ、夢でだ。あの美しい人を見た。ドレスが凄く似合っていて……」
「見たってお前、あの声の主の顔を知らないんだろう?」
サミュエルの蕩けた目にサッといつもの冷たい光が戻る。
「あ、ああ、そうだ。全ては俺の夢の中の妄想だよ。馬鹿な男だと思うだろう? イアン」
「いや、恋に落ちた男ってのは皆馬鹿になるって言うしさ。俺もかみさんと出会った時はそんな感じだったかもしれないな?」
「そうか」
「まあ、その恋の病が仕事にまで影響しなければ俺は何でもいいさ」
サミュエルの友人は時計を見ると姿勢をびしっと正し、第一秘書の顔になった。
「さあ、そろそろ仕事の時間ですよ。宰相閣下」
◆◇◆
そこから先はいつも通りで、宰相も先輩秘書も様子がおかしくなることはなかった。アマリアは普段通り仕事をこなし、この数日間の慌ただしい出来事が嘘か夢かではないかと思うほどだった。
だが、嘘でも夢でもない。やっぱり今日の昼ご飯もキューテックが食堂からテイクアウトしてきてくれて奥の部屋で皆で食べたから。費用はサミュエル持ちなのでアマリアは嬉しく思いつつも遠慮しようとする。だが、
「いいから。君が美味しく食べてくれればそれでいいんだ。それとも口にあわないか?」
(ひいっ!)
真正面からサミュエルに微笑みながら言われ、もうアマリアは味もわからず食べ物を口に詰め込んだ。後で実に勿体ないと後悔した。
(あのほうれん草のムース、絶対に美味しかったはずなのに!)
それに宰相と第一秘書が国王陛下へ報告をしに行き執務室にアマリア一人になった後、彼女はやはり現実だと再確認する。正確にはブラウンが書類を届けに来た時の事だ。
「あ、あの……今は他に誰も居ませんか?」
書類を手渡した後、ビクビクしながらそう訊いたブラウン。どうやらワザと二人が居ない隙を狙ってきたようだ。
「ええ、何か?」
「あっ、あの、こないだはすみませんでした!!」
彼は額が膝にくっつくのではないかと思うほど身体を真っ二つに折る。
「えっ、あの、何が……?」
「僕、その、セーブルズさんが伯爵令嬢と知らなくて……よく考えれば宰相閣下の下にお勤めなんだから立派な貴族出身の方ですよね。なのに、同じ文官だからって身の程知らずな誘いをしてしまって」
「……あ、はあ……?」
誘いとは。もしかして昼を一緒に食べないかと言われた事だろうか……と、アマリアの頭にぼんやりと記憶が過る。
「本当に失礼でした!! すみませんでした!! もうしません!! 邪な事も考えません!!」
「あ、はい」
「失礼します!!」
くるりと回れ右をして走り去るブラウン。その背中を呆気に取られて見ていたアマリアは、次の瞬間「彼は邪な事を考えていたのか。あのような若く将来性のある青年が、こんな嫁き遅れ相手に」と漸く気がついて微妙な気持ちになった。
さてここで問題です。
問①
本文を読んで「カキウッニニ」の意味を答えなさい。なお、「ウ」は声を詰まらせ、「ニ」はどもっていたものとする。
「カ」=
「キ」=
「ウ」=
「ニ」=
問②
ブラウンはアマリアに好意を持っていた(わからない人は第三話と第六話を読み返す事をお勧めする)。しかし伯爵令嬢とは知らなかった。
いつ、どうやって知ったのか?












