15.(回想)アマリアは思い出から現実に立ち返る
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うららかな春の陽気が満ちる、実にお茶会日和のとある日。さる公爵邸でお茶会が開かれた。
サロンの中には四人の令嬢しかいない。主催者の公爵令嬢ミシェルは使用人にお茶の支度をさせると「人払いを」と言って全員下がらせたのだ。
そこにいたのは伯爵家のアマリア。
子爵家のリデル。
そして男爵家のエミュナだ。
四人の令嬢たちはルミナスへの賛辞と愛と、そして国王陛下への恨みつらみを思う存分語り合った。
リデルは噂に聞いていた、モラハラの婚約者からルミナスに救い出された令嬢その人だった。無事その男とは手が切れ、代わりに裕福で優しい男性との縁を得たそうだが、どうしても新しい婚約者よりも光の女神の事を考えてしまうそう。
ミシェルとエミュナの関係は複雑だった。なんとエミュナはミシェルという婚約者が居るとわかっていながら第二王子に粉をかけようとしたのだ。ところがそれをいつも微笑みながらルミナスがやんわりと止めに入る。その止め方も流石『憧れのお姉様』。注意や叱責などはしない。あくまでも「貴女と少しお話ししたいわ」という建前でさりげなくエミュナの足止めをする。
何度かそれを繰り返すうちにエミュナは改心した。……改心というか、王子よりもルミナスに夢中になったのだ。ルミナスにかまわれたくてワザと第二王子の側に行くフリだけするほど。一方、それを見ていたミシェルもルミナスの振舞いと見た目の完璧さに密かに憧れるようになった。
しかし、それをどう勘違いしたのか第二王子は「ルミナスもエミュナもミシェルも俺のことが好き!」と考えたらしい。
ちなみに、ミシェルは王命で婚約者になっただけであって、第二王子の事は最初から好きではなかった。しかし長い間の付き合いで僅かに培っていた愛想も、この件で尽きてしまったそうだ。
第二王子は「ミシェルとの婚約を破棄してルミナスを正妃に! あっでも可哀相だからミシェルとエミュナは側妃な!」と人前で大声で言い出したそうで。そもそも側妃を持てるのは国王のみだという事すら知らないのか……とその場にいた全員が呆れていたと聞いてアマリアも呆れてしまった。
結局、彼は「上流階級の風紀を乱さぬよう手本となるべき王族が、軽々しく人前で王命の婚約を破棄し、実質浮気をしようとしたのは目に余る」と軽めの「浄化」を受けた。屈強な男ばかりいる辺境領に送られ、身体に染み込んだ色ボケを徹底的に抜く為に厳しく鍛えられているらしい。
「……はぁ。すっきり致しましたわ」
「国王陛下への愚痴は、どこに行っても言えませんものね」
「でもずっと言いたかったんです! ひどいですよね陛下!」
「ああ、ルミナスお姉様……お姉様にひと目で良いから逢いたい……」
立場も身分もバラバラだが、同じ志をもつ四人の令嬢は強い友情の絆で結ばれたのであった。
◇
この件以来、ミシェルは特にアマリアを可愛がった。リデルとエミュナも同様に親しいが、二人は下位貴族なので一緒に参加できる夜会や園遊会、茶会が少なかったというのが主な理由だ。
だが「ズルいお姉様被害者の会」の事は四人だけの秘密だったから、突然ミシェルと距離が近くなったのは、周りからは不思議に見えたに違いない。
多分それで、他の令嬢に酷く嫉妬されたのだと思う。
「田舎伯爵の娘の癖に、急に公爵家にすり寄るようになってみっともない」
「確か以前は身分の差なんて関係ないとか言って顔が綺麗なだけの男と婚約してらしたのにね」
「そうそう。婚約者と宝石が自慢だったかしら? どっちも偽物だったみたいだけど」
ミシェルの居ない隙に、クスクスと嘲笑う令嬢たちに取り囲まれた事もあった。まだ面と向かって言われるのはマシな方だ。陰でもっと酷い噂を流されていたのだから。
アマリアはその後、矢鱈と失礼な男たちに声をかけられるようになった。エドガーを犯罪者と知らずに婚約していた彼女を安く値踏みしているのか、セクハラ紛いの言葉や軽薄な言葉を聞かされることもあったくらいだ。
だが、男性不信は益々悪化しつつも、彼女はそれらをいずれもさらりとかわしていた。心にはあの淑女、光の女神ルミナスが求婚者を次々と上品にかわす様子を思い浮かべて。
(お姉様のような見た目は無理でも、せめて心根や振舞いは美しくなりたい。いつか、もしもまたルミナスお姉様に逢えた時に恥ずかしくないように……!)
そう考えて堂々と淑女らしい態度を取っていたアマリア。そんな彼女も遂に心を傷つけられてしまう。ある夜会で男に絡まれたのだ。酒臭い息で露骨な口説き文句を並べられ、嫌な気持ちになった。最初こそいつものようにやんわりと断ったが「照れているんだろう」と聞く耳をもたず行く手を塞がれる。
「私は貴方に興味ありませんわ。そこをおどきになって」
きっぱりと断ると男は何故か逆上し、アマリアの手を掴んで強引にどこかに行こうとした。こんな乱暴な扱いを受けるのは初めてだ。男の指はがっちりと枷のように彼女の手首にはまり、どうすれば逃げられるかもわからない。アマリアは恐怖で身がすくみ、声が出せないまま引きずられるように連れて行かれる。
「何をしてる!!」
アイルトンが血相を変えて駆けつけてきた。彼が力の限り男を殴り、男はもんどりうって派手に倒れる。周りからきゃああという幾人かの悲鳴が上がったが、アマリアにはぼんやりとどこか遠くの出来事のように思えた。
解放された手首をゆっくり見る。僅かに赤く、じわりと熱を帯びていた。アマリアは、そこでやっと現実の感覚を取り戻す。急に身体がガクガクと震えだし、片方の目からツ……と涙が落ちた。
◇◆◇
「はあ……」
アマリアは、馬車の中で自分の身体を自分で抱きしめる。数年振りに高級なドレスを着たせいか、あの時の恐怖をリアルに思い出してしまった。
(もう今は大丈夫なのに)
その事件後、アマリアは自衛の手段としてアイルトンに護身術を習った。特に手首を掴まれた時の対応を熱心に練習した結果、先日城の中庭で見事に背負い投げをキメたわけだ。
それにあの男は夜会を混乱に陥れ、アマリアを危うく傷物にするところだったとして処罰された。更に、調査の結果その男に「彼女は尻軽なの。誰かに口説いてほしいと言ってたわ」と嘘を吹き込んだ令嬢がいたと判明し、そちらも処罰を受けたそうだ……と後日人伝てに聞いた。
当時はそこまで調べるのか、少々やりすぎでは? とも思ったが、どうやら国王陛下と前宰相は上流階級の膿を本気で全て絞り出すつもりだったらしい。エドガーの件もその一つだが、一部の貴族や王族が知らぬ間にギャンブルや酒、不適切な男女関係、果ては薬物に……と『堕落』していたのだ。放置すれば国が腐り、取り返しがつかなくなると恐れるほどに。
「『浄化』も、ルミナスお姉様が陛下に進言したって噂よ。流石お姉様……自分は安泰な地位についても悪を許さないのね」
うっとりと語るミシェルにそう教えて貰った。
とにかく、この『堕落と浄化』と呼ばれる上流階級への処罰が徹底して行われ「身分が高ければ高いほど、他の模範となる紳士淑女であるべし」という流れが作られたお陰で、今の社交界はかなり健全になったらしい。
今の彼女は周りの環境的にも、自身の体術でも、もう夜会を怖がる必要はない。大丈夫なのだ。だがそんなに簡単に割りきれない。恐怖は心に澱のように残っていて、普段は平気でもごく稀にふわりと舞い上がる。
(やっぱり、私は誰かと恋をしたり結婚をするなんて無理だわ)
結婚相手が貴族男性なら社交に出る必要にも迫られるだろう。夜会への参加を拒み続けるのは厳しい。もう嫁き遅れだし、貴族でない男との結婚やどこかの後妻におさまれば夜会へは出なくて済むという手もある。でも、美形にしかときめかないアマリアがそれで幸せになれるだろうか。かといって好みのタイプを探したとしても、自分の男を……人を見る目のなさではろくな相手は見つからないだろう。
それならばやはり今のままで良い。仕事に生きて独身を貫き、忙しさを理由に夜会を断り、サミュエルを秘書として側で支えて――――
(支えて?)
彼女は自分が思い上がっていると感じ、今度は違う羞恥で顔を朱く染めた。
声の主は見つけられなくとも、サミュエル程の男性ならいつか素敵な伴侶を迎えるだろう。彼を支えるのはその人の役目だ。アマリアはあくまでも第二秘書として事務的に塩対応を続けるのみ。
これまでも、明日からも、その先もずっと。
補足です。
アイルトンはこの夜会の時婚約者と共に居たのですが、妹のピンチを見て走っていき男を殴り付けました。
※2025/2月追記
この詳細については、サイドストーリー、アイルトン視点を書きましたので、本編のあとに是非お楽しみください。












