12.真顔の宰相からポロポロと謎の言葉がこぼれる
今日のアマリアは第三王子妃の私的なお茶に招かれた客人の立場だ。いつもは文官として裏手門から出入りをしているが、今日はきちんと伯爵家の馬車に乗り、表の客用門から城を訪ねている。
よって帰りも表から帰らねばならないので、ミシェルの侍女に付き添われて城内を歩いていた。もう少しで表玄関のホールに辿り着くと言うところで。
「セーブルズ!?」
遠くから聞き慣れた声がする。聞き慣れたは少し違うかもしれない。いつも良い声だな、キラキラしてるな、と聞くたびに思ってしまう声。
(……嘘)
まさかと思いながらも声のした方を見ると、そのまさかだった。
遥か遠くからキラキラの素が足早にこちらへ向かって来る。早い早い。走ってるのかと思うような早歩きだ。そして近づくにつれてサミュエル・ドーム公爵閣下の素晴らしく綺麗な顔立ちがハッキリ見えてきて、彼女の脈拍もどんどん早まる。彼が驚いた顔をしてアマリアの前に立った頃には、もうドキドキと胸から音がしそうなくらいだった。
「セーブルズ、何故ここに? 今日は休みだろう」
「きょ、今日はミシェル妃殿下にお茶に招かれておりました」
「……ああ、あの狐か」
「えっ」
今、なんと言ったか。多分聞き間違いではない。サミュエルは一瞬嫌そうな顔をしてこぼしたから。おそらくサミュエルとミシェルは互いに公爵家の人間だから小さな頃から交流があるのだろう。彼女もサミュエルを「陰険冷徹宰相」と言っていたし、普通なら不敬にあたる今の言葉も、お互い様で許される関係なのかもしれない。アマリアは深く突っ込まないことにした。
「閣下こそお休みなのに何故城内に?」
「あ、ああ、少し気になることがあってだな」
「?」
何だろう。この言葉と、遠回しな……大袈裟に言えば、何かを隠すような態度には既視感がある。ついこの間も誰かに言われたような……とアマリアは記憶を探ろうとしたが、宰相の言葉でそれは中断された。
「セーブルズ、君は休みの日はいつもそんな格好を?」
そう言われて自分の姿を見下ろし、改めて今は令嬢らしい派手な姿だったことを思い出す。心臓が高鳴っていたこともあり、アマリアの顔が一気に羞恥で朱く染まった。
「えっ、あっ……あの、違います! ミシェル妃殿下に……」
言いかけてこれはまずい、と思う。ドレスを下賜され、しかもそのまま着て帰るだなんて知られては話がややこしくなりそうだ。アマリアは顔を朱くし目を伏せたまま、なんとか上手い言い回しを咄嗟に捻りだした。
「その、『一番良い格好をしなさい』と言われて……恥ずかしいです……」
「……そうか。いや、……か」
「?」
「……き」
「き?」
「うっ…………にに」
「???」
アマリアは不思議に思い、視線を上げた。目の前にあるのはいつもの冷たく真面目な顔をした美しい宰相の顔。だがその口からポロリポロリとこぼれる言葉の意味が汲み取れない。それとも自分が無知なだけで「カキウッニニ」という言葉があるのだろうか? 思わず首を傾げる。
「うっ、か……」
と、サミュエルは急に顔に手をあて、膝が緩んでよろめきかけた。
「閣下!」
「おっと」
ぐらついた宰相を後ろから追いかけてきた男性秘書が支える。
「なにやってるんだよ。サム」
「すまない、イアン」
「あ、キューテックさんもいらしたんですか」
アマリアを見た彼の琥珀色の目が眼鏡越しに大きく丸くなった。
「……ああ、セーブルズさんでしたか! これは見違えた。一瞬わかりませんでしたよ」
「滑稽ですよね。いい年をしてこんな格好を……」
「いいえ、よくお似合いです。とてもお美しい」
「えっ……あっ、ありがとうございます」
社交辞令のはずなのに照れ臭く感じ、アマリアはまた少し朱くなる。
「かっ……」
「閣下?」
「ああー、なんでもないですよ。ちょっと仕事の疲れが出たんでしょう。ね、サム。息抜きに少し散歩でもしたほうがいい。ついでにセーブルズ伯爵令嬢を馬車まで送っていけ」
「え」
「あ、ああ……そうだな」
何故か馬車までサミュエルがついていくことになった。短い距離だし、相手は上司だ。何もおかしなことはない。
「……」
「……」
二人と侍女は無言のまま廊下を歩き、ホールを抜けていく。アマリアは心臓のドキドキが聞こえてしまわないか心配だったが、かといって何を話せばいいのかわからなくて黙っていた。ほどなく正面玄関より外に出る。伯爵家の馬車が待機場よりやってきて二人の前に止まり、扉が開けられたところでサミュエルは右手を差し出した。
「危ないのでお手をどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
彼の手を支えにして、反対の手でドレスを寄せながら馬車に乗り込むアマリア。昨日、彼はシェリーンと力で張り合うのは止めておこうなどと言ったが、それでも彼女の左手を包むように支えてくれるサミュエルの手は、とてもしっかりしていて心強さを感じた。
アマリアが座席に座ると御者の手で馬車の扉が閉められ、彼女はその窓から外を見る。宰相がまだ外にいてくれた。
「今日は……良いものが見れて嬉しかった」
「え?」
そこで今日初めてサミュエルは笑顔になった。眩しいほどのキラキラの笑顔。
(ううっ!)
多分、今回のアマリアは動揺を表に出してしまったかもしれない。またも頬が朱く染まるのが自分でもわかった。でもそこで彼女はさっと窓から顔を背けたから気づかれていないだろう。そうに違いない。
その直後に馬車は走り出した。
「あ……」
もう一度窓に近寄るが、あっという間に距離が離れサミュエルの表情はもうわからなかった。アマリアはガックリと項垂れる。
(私の馬鹿! せっかく送ってくださったのに、ちゃんと最後の挨拶もできないなんて失礼すぎるわ……)
彼は上司として部下の令嬢をきちんと紳士的に扱っているだけなのに、過剰に意識してしまう自分が憎い。今回だってたまたま着飾ってほんの少し一緒に歩き、馬車に乗り込む時に手を貸してくれただけ。
ただ、それだけで。胸のときめきが止まらない。
まるで彼とどこかに出掛け、帰りに送って貰ったような気持ちになってしまう。美形に恋をしたって傷つくだけなのに。サミュエルは女神ラーヴァのような女性が好みなのだから、あの声の主が自分だとわかればきっとがっかりするだろう。
「私の馬鹿……」
アマリアは、今度ははっきりと口に出した。彼に触れていた左手をぎゅっと握りしめて。
どうでもいい補足です。
ミシェル第三王子妃は、オレンジ色に近い淡い赤毛につり目です。目力も気も半端なく強いので、美人ですが確かに狐っぽいといえばそう見えなくもないです。
アマリアの推測通り、お互い別の公爵家の令嬢と令息ということで小さい頃から交流があったんですが、二人は仲が悪いです。
パーティーなどで自分の友達の令嬢(アマリアほどは親しくなく、所謂取り巻き)を呼んでも、そこにサミュエルが居ると令嬢たちが彼と仲良くなりたい!とみんなそっちに行ってしまうのと、やっぱり並外れた美形なのでちょっとだけ美しさでは負けているのが気に入らなくてミシェルはサミュエルが一方的に嫌いでした。
サミュエルはサミュエルで、押し掛けてくる令嬢たちに困ってるのにそのことを逆恨みされ、キツイ態度でミシェルがあたってくるので嫌っています。
あと、もうひとつ更にどうでもいいことですが。
作者は牡蠣と雲丹が大好きです。
ですが「カキウッニニ」はそんな意味ではありません。