11.腕によりをかけて磨かれる
「待って、来月の園遊会って急すぎるわ!」
今はもう月末なのでほぼ10日後だ。顔を青くするアマリアだが一方のミシェルは全く顔色も表情も変わらず妖艶な笑みを見せる。
「あら、貴女はお昼の方が良いかと思ってこれでも気を遣ってあげたのに。夜会のほうがよろしくて? それならもう少し先よ」
「うっ……確かに夜会……は」
アマリアの嫌な思い出が脳裏に過る。約4年前の、あの夜会での恐ろしい出来事。
甘い言葉とマスクで彼女を騙していた婚約者とは、きちんと正規の手続きを取り相手の責で婚約解消した。それでもそんな男と見抜けずに一度は夢中になっていたのはアマリアの落ち度だ。社交界では陰で彼女を嗤う者もいた。
……多分、公爵令嬢のミシェルと仲良くなったばかりの頃だから、他の女達からのやっかみも混ざっていたのかもしれない。陰の悪い噂はアマリアの知らないうちに醜く肥大し、それを真に受けた男もいたらしい。ある夜会で、彼女は酒癖の悪そうな男に絡まれ、歯の浮くような言葉を次々と聞かされた。その程度で靡くふしだらな女だろうと侮られたのだ。
当時は元婚約者のせいで男性不信、しかも美形しか目に入らないアマリアは男の誘いをきっぱりと断ったが……その態度がかえって良くなかったのか、怒った相手に強引に手を引かれ、どこかに連れていかれそうになった。
今でもその事を思い出すとゾッとする。あの時、アイルトンが駆けつけて男を殴ってくれなかったらどうなっていたか。しかしそれで相手側が騒ぎ立て、兄は「問答無用で殴りつける乱暴者」、妹は「思わせ振りな態度を取っておきながら兄に殴らせる悪女」と罵られまでした。
勿論言われっぱなしでは居られない。アマリアは恐怖を勇気でねじ伏せ、その場できちんと反論した。
「兄が乱暴者なら、酒に酔って嫌がる女を無理やり連れていこうとした貴方は誘拐犯ですわね。私は貴方の誘いをきちんとお断りしたのに、それでも悪女呼ばわりなさるのが、そちらの地方の流儀ですの!?」
後日、その馬鹿な男は風紀を乱す者として「浄化」の処罰を受けたらしい。だからアマリアを悪女やふしだらな女だと信じる人は少なかったと思う。それでも彼女はやはり夜会が少し怖くなった。アイルトンから護身術を教わったのも、領地の洪水を言い訳にして社交界から離れたのもそれが一番の理由だ。
「そうよね。わたくしだって貴女に夜会までは無理強いしないわ。でも昼間にお茶と交流を楽しむことくらいはしてくれても良いんじゃなくて?」
「……でも、やっぱり、花は無理よ……」
「やってみなくてはわからないでしょう!?」
第三王子妃はベルを手に取るとチリンと鳴らす。即座に外に控えていた侍女やメイドが現れた。
「わたくしのドレスを持ってきて頂戴。あの、ラベンダーと、若草色と、水色の……わかるでしょう? 全く袖を通していないやつよ」
「えっ、ミシェル!?」
あっという間に侍女たちの手によってドレスが並べられた。アマリアは立たされ、着せかえ人形のように次々とドレスを身体に押し付けられる。
「うーん、そちらも良いけれど、あっ、薄桃色のもあったわね。あれも持ってきて」
「待って待って、ミシェル、まさか私にこれを着させるつもり!?」
「だってどうせ貴女の事だから、今着ているドレスが一番良いものなんでしょう?」
「うっ」
「節約生活も良いけれど、いくらなんでも伯爵令嬢にしては貧相すぎるわ。ドレスをあげるからちゃんと着るのよ。いい、親友のわたくしに恥をかかせないでね?」
「でも! 貴女からドレスを貰うのは流石にまずいわ。王子妃殿下から下賜されるってことでしょう?」
いくら親しい友人と言っても王家の一員から何かを……しかも高価なドレスを貰うのは特別な意味を持つ。
「下賜の何が悪いの……って言いたいところだけど」
ミシェルは上品に微笑んだ。
「安心して。それ、公爵夫人の趣味でたくさん作られたのだけど、わたくしの趣味じゃないし似合わないしで公の場では一回も着ていないドレスたちなの。だから黙っていれば元の所有者はわからないし、王家の所有物でもないからわたくしが自由にして良いのよ」
「ええ……」
パステルカラーに可愛らしいレースとリボンがあしらわれた、やや甘口なドレスの数々を眺める。確かに派手できりっと華やかな雰囲気のミシェルには全く似合わないわと思いつつ、嫁き遅れの自分にも似合わない……とアマリアは考えた。その考えを見透かすように。
「まあ、わたくしの審美眼にケチをつける気? とっても似合っていてよ、アマリア」
妃殿下はそう言って彼女にラベンダー色のドレスを押し付けたのである。それだけではない。
「あら、近くで見たら髪も傷んでるわ。ついでに肌も磨いておきましょう。お願いね」
「ちょ、ちょ、待っ……」
ミシェルの言葉を合図に、侍女たちは一斉に動いてアマリアを湯殿に連れていった。彼女は強制的に脱がされて湯浴みをさせられ、そして。
「妃殿下直々のご依頼ですからね。腕によりをかけて磨かせていただきますね!」
……と、ベテランの侍女に全身のマッサージを念入りにされたのであった。
「ひいっ!」
「あらまあ、こんなところが痛いだなんて、ちょっと机仕事が多いんじゃございませんか? 肩がこっていらっしゃるようです」
「うう……」
「でも全体的にはとても引き締まっていらっしゃいますね」
……それは「どっせい!」と、護身術の鍛練を長年やっているお陰です。とは流石に言えないアマリアだった。
さて、一時間ほど後。肌と髪の手入れまで丁寧にされ、ラベンダー色のドレスを着付けて貰ったアマリアは文字通りすっかり垢抜け、まるで別人だった。……まあ、胸部分が少々寂しかったので詰め物はしているけれども。ミシェルはその仕上がりに満足しているようだ。
「ほら! とっても素敵になったじゃない。これなら高嶺の花と呼べるわよ」
「う、でも、あの……」
「なあに? まだ何かあるの?」
あるのだ。アマリアはそれをミシェルに言いたくなかったのでぎりぎりまで伏せていた。絶対に怒りだすと思っていたから。でもここまで来たら言うしかないだろう。
「あのね、高嶺の花には絶対になれないの。だって、私、城内で愛人だと誤解されているんだもの……」
「な!? 誰の!?」
「お願い、絶対に秘密よ……」
アマリアは、宰相閣下の愛人だと陰口を叩かれていること、そしてそれがもとで無礼な男に迫られて護身術で投げ飛ばしたことを告白した。……告白しながら、チラリと上目遣いでミシェルの方を見る。やっぱり怒っていた。彼女のオレンジに近い赤毛が逆立ち、まるでチリチリと燃える炎のように見える。
「あんの……」
「?」
「陰険冷徹宰相! わたくしのアマリアに!!」
「えっ!?」
アマリアは、陰口を叩いた人物や投げ飛ばした男に対して怒るのだろうと思っていたが、意外にもミシェルの怒りの矛先はサミュエルの方に向いていた。
「まさか、本当に手を出されているのではないわよね!?」
「あ、当たり前よ! 閣下は良い上司よ」
「良いものですか! 宰相の立場でそんな話を放置するなんてあり得ないわ! この4年間、上流階級の風紀を乱さないようにどれだけの『浄化』がなされたか知らないわけ無いでしょう? その舵を取るべき者が自ら酷い噂の的になるだなんて! 何故きっぱりと噂を否定して潰さないの!?」
「否定しても、そういう人たちは面白がって噂を続けるものよ」
特にサミュエルのように身分も高く美しいのに恋人すらいなければ、格好の餌食だろう。ミシェルはかなり興奮していたが、ふーっと長く細い息を吐くと冷静な顔を取り戻した。
「……その噂に関しては何か手を打てないかこっちで考えてみるわ」
「あの、お願い。私が護身術を使ったことは誰にも言わないでね。アイル兄様にも秘密なの」
「わかってるわ。とにかく、今度の王宮での園遊会にはちゃんとその姿でくること!」
そう言ってなんと、そのままアマリアを帰らせたのだ。城の出口まで侍女が付き添って送ってくれるが、その侍女が持つ包みの中にアマリアが着てきた服や眼鏡が入っているから着替えて帰ることもできない。彼女は数年ぶりの華やかな自分の姿に慣れないまま、出口に向かった。