10.ミシェル妃殿下に呆れられる
「……久しぶりね。セーブルズ伯爵令嬢」
王宮の絢爛豪華な部屋の中央で長椅子に座っているのはこの部屋の主。元公爵令嬢で今は第三王子妃であるミシェルだ。
一方で彼女に招かれたアマリアは実に王宮に似つかわしくない格好だった。いつもの堅物な、未亡人とか家庭教師だとか言われるスタイルでこそないが、地味なデイドレスを身につけ、簡単なまとめ髪に小さな髪飾りをさして、例の伊達眼鏡をかけている。それでもぴしりと背を伸ばし、恭しく礼をした時の姿勢だけは令嬢の手本となるような見事さだった。
「ミシェル妃殿下、本日はお招きいただき誠にありがとうございます。暫くの不沙汰、誠に申し訳ございません。ですが時を経ても妃殿下におかれましては相変わらずの麗しさ。その麗しさにお目にかかれるだけで、私はいつの季節でも春が訪れたかのような心持ちになれますわ」
「まあ、ふふふ。お上手ね」
「いえ、嘘偽りのない、心からの言葉でございます」
ミシェルは形の良い赤い唇の両端をあげ、ゆったりと微笑んだ。細く淡い赤毛を凝った髪型に結い上げ、ドレスを長椅子にこれでもかと広げた様子は実に絵になる。小さめの鼻はほんの少しだけ上を向いており、美しさの中にどこか愛嬌を併せ持つ容貌だ。が、それとは裏腹に、ブルーグレーの瞳は怜悧で抜け目がない人格を表している。
彼女は侍女たちにお茶の支度をさせると優美な笑顔で「人払いを」と下がらせ、アマリアと部屋で二人きりになった。その途端。
「もう。アマリアったら。ちょっとあの挨拶はやりすぎではないかしら?」
「うふふ。たまにはああいう大仰な挨拶をしてみたかったんだもの」
王子妃と伯爵令嬢は一気にくだけた雰囲気になり、笑みを交わす。
「ああ、やっぱり今日はエミュナにも来て貰うべきだったわ! 今のアマリアの挨拶を見習わせたいところね。あの娘ったら、わたくしの傍仕えをしていた時も礼儀作法はちょっぴりしか改善しなかったのよ!」
「うーん、エミュナなら『もう王宮勤めじゃないから、今更そんな挨拶の勉強なんて必要ないわ!』なんて言いそうだけれど」
「ああ! 間違いない。間違いなく言うわね」
今度は声を出して二人は笑いあった。エミュナはかつて婚約者のいる第二王子に接近して玉の輿を狙うという、とんでもない行動をしていた男爵令嬢だが、「ある人物」に話しかけられたのをきっかけに改心した。
アマリアとミシェル、エミュナとあともう一人の子爵令嬢リデルの四人は身分も立場も全く違いながら、その「ある人物」により、4年前から強い友情の絆で結ばれているのだ。
その後、ミシェルが王家に輿入れする際にエミュナを「話し相手」として傍に仕えるよう抜擢した。改心したとはいえ、まだ玉の輿に少しだけ未練があったエミュナは城内で「優良物件」を探していたらしいが……兄妹揃って婚約が破棄になったアマリアとアイルトンを慰めるうちに、何だかんだでエミュナはアイルトンと恋仲になり、婚約したのだった。
この秋のはじめには式を挙げるため、その準備や花嫁修行に忙しくなりエミュナは先日王宮勤めを辞めた。ふざけて「あーあ、この私の可愛い顔を使っても結局玉の輿には乗れなかったわ!」等と口では言うが、とても幸せそうである。
「……で、アマリア。こんなに暫くの間、わたくしを放って置いて何をなさっていたの。わたくし、寂しかったんですのよ?」
長い睫をチラチラさせながら意味ありげに見つめるミシェルに、アマリアは嫌な予感と気まずさとで肩をすぼめる。
「それは本当に申し訳なかったわ。でも……」
「でも?」
「あの、お仕事で毎日忙しかったんですもの」
「まあ、何を言ってるの? 仕事と言っても今日のようにお休みもあるでしょう?」
「休みの日は、領地の父や兄と連絡を取ったり、あと鍛練に忙しくて……」
「鍛練!?」
ミシェルは扇で口元を上品に隠したが、多分呆れてあんぐりと口を開けている。
「アマリア、貴女まだあんな粗暴……こほん、護身術だったかしら? あれの練習をなさってるの?」
「でも、実際役に立ってるし」
「嘘でしょう!?」
第三王子妃は今度は驚きのあまり立ち上がった。
「役に立ったって……ああ、その不届き者はどこの誰なの!? 今すぐ引っ捕らえて辺境に送り込んでやるわ!」
中庭での無礼な男は今後無事でいられるだろうか。アイルトンに続き、今度は第三王子妃の怒りまで買ってしまったようだ。
「ミシェル、落ち着いて。護身術のお陰で無事だったんだから」
「落ち着いていられるものですか! ああ、なんてこと! かわいそうなアマリア!」
ミシェルはそのままアマリアの隣に座り直すと、そっと手を取って潤んだ瞳で見つめる。
「ただでさえあんな事があったのに、その後領地も洪水で大変だったでしょう? 貴女が独り身なのはやむを得ない事情なのに、侮ってくる人間がいるなんて許せないわ!」
「それは……」
アマリアは首を横に振る。彼女の事情を知るミシェルになら本当の事を言えるからだ。
「仕方なかったのよ。領地の事もあるけど、私、一時期男性不信だったもの」
「それも貴女のせいじゃないでしょう! 誰だって貴女と同じ目に遭えば……って、あら?」
彼女はブルーグレーの目を丸くした後、にんまりと笑みを作った。
「一時期男性不信だった……つまり、今は違うの?」
「あら、ごめんなさい。言い方が良くなかったわ。今は人間不信なの。恋愛とか結婚をするって意味でだけど」
「まあ!」
ミシェルはあからさまにがっかりした。
「はぁ。そう……それって『お姉様』の事よね?」
「……ええ。馬鹿みたいよね。でもショックだったんですもの」
アマリアは苦笑する。自分でも馬鹿みたいだと思う。美形に勝手に恋をして、勝手に傷ついて、それでもう恋をするのは懲り懲りなんて頭が固い発想だ。しかもそう思っているのに美形が相手でなければときめかないし、今でも上司の美しさに目が眩んでいる自分は浅ましい。
「いいえ、無理もないわ。貴女は私たち4人の中で最後にあの事を知ったもの。わたくしがもっと早く貴女に真実を教えるべきだったわ。ごめんなさい」
アマリアは急いで止めた。いくら親しい友人と言えど、王子妃に頭を下げさせるわけにはいかない。
「ミシェル、謝らないで! 確かに不運もあったけど、私が今でも独身なのは私の意志なんですもの。それに確かに他の貴族たちには侮られてるかもしれないけど、私は今の仕事が充実していて幸せなのよ!」
「そう…………わかったわ」
下げかけた頭の角度を戻し……つまり上目遣いにアマリアを見たミシェルの顔は、ニヤリとしたものに変わっていて、アマリアは再び嫌な予感がした。
「要は独り身でも侮られなければ良いのでしょう! わたくし、貴女を高嶺の花にするわ!」
「えっ、高嶺の……花?」
「そう! 美しいけれど文官として活躍できるほどの知性と教養があり、敢えて結婚しなくても生きて行ける孤高の花! 女性たちの新たな憧れの存在になれるわよ」
目を煌めかせ、やや興奮気味に語るミシェルにアマリアは慌てて否定する。
「ちょ、ちょっと待って、そんなの無理よ! 私は花なんて呼ばれる存在じゃ」
「アマリア、それは謙遜ね。わたくしやエミュナには劣るけど、貴女は磨けば結構いい線行けると思うもの」
「そんな、私とリデルは一般人よ!」
「あら、リデルは顔は並みだけどスタイルはお姉様にひけを取らないでしょう」
「私は胸もないし平々凡々な人間よ!」
アマリアが小さく叫ぶと、ミシェルは呆れた目をしてため息をついた。
「はぁ……困った娘ね。美形が好きすぎて美的感覚が狂ってるのだわ。平凡な顔からちょっと綺麗な顔までは全員ジャガイモか何かに見えてるんじゃないかしら?」
「そ、そんなことは……」
ちょっと自覚は、ある。
「あるわよね。だってこのわたくしの美しさに心酔しないんですもの!」
ミシェルは小さく鼻を鳴らし、手をアマリアの頤に添えた。
「いい。わたくしの大事な友人が他人に侮られてるなんてわたくしの恥でもあるのよ。わたくしのプライドにかけて貴女を徹底的に美しく磨き上げ、花にしてみせるわ!」
「えっ、えっ」
「取り敢えず、来月の園遊会には必ずいらしてね。もう領地は復興しているのだからそれを理由に欠席は出来ないわよ?」
ミシェルはにっこりと美しい笑みを見せた。