第二十話 麒麟と鬼
一五六四年(永禄六年)三月中旬 美濃国岐阜城大評定の間
〜織田信勝〜
「足利義秋公が家臣、明智十兵衛光秀でございまする。細川兵部大輔様の命で参上致しました。此度は上総介様にお目通り叶いました事、誠に嬉しく存じ上げまする」
三十代後半と思われる男が織田家臣団の面前で兄に挨拶をした。この者が明智光秀か。容貌はそれほど変わった所は見当たらない。強いて言うなら視線が鋭い気がする。まだ本性は隠しているだろうけどな。
「長ったらしい前置きはいらん。上洛の件であろう。公方様に伝えよ。"万事お任せ下され"とな」
「はっ、感謝申し上げまする」
兄が脇息にもたれながら、扇子で明智光秀を指した。
「だが、十兵衛よ、幕府は俺に何を与え得るか?」
意地の悪い質問だ。答えなど分かっているのに。
「ふむ……。天下に遍く轟く威を……と申したきところにございますが、今の幕府の威は畿内で通じれば上出来」
「されどその畿内が肝要にございます。民の多さ、銭の多さ……」
この男は……本物だ……。
「古き威を用いる事で新しい世を創れ、ということだな?」
「仰せの通りにございます」
周りがざわつきだした。なんという才能だ……。まさかここまでとは……。
兄が扇子をぱちんと鳴らした。その音で一斉に静まり返った。兄は少しニヤッとしている様に見えた。
「交渉は終わりだ。十兵衛とやら、其方、我が領を見て帰ると良い。勘十郎!案内せよ!」
「はっ!」
俺が返事をすると、光秀が此方に振り向いた。
「織田勘十郎信勝でございまする。十兵衛殿、此方へ」
そう言うと、光秀が頷いて俺に付いて大評定の間を出た。案内させるつもりなら先に言っておけよな。ちょっと動揺したじゃないか。
部屋を出て、少し歩いて岐阜城内にある訓練場に向かう。光秀と言えば鉄砲だからな。織田の鉄砲隊を見せれば機嫌が良くなるだろう。
「十兵衛殿は美濃の御出身でございまするか?」
「某は美濃の明智一族の支流でございまする。元は斎藤道三公に仕えておりましたが、長良川での戦で敗れてしまい、一族が離散してしまいました。その後、各地を放浪した後、細川様の目に留まり、召し抱えていただく事になりました。某は人一倍運が良かったのでございましょう」
「成程……」
やはり想像通り苦労人だな。長良川の戦いに参加していたのか。確かその頃はまだ俺がこの世界に来ていない時か。惜しいな。もう少しで登用出来ていたかもしれなかったのに。
……一応鑑定しておくか。
名前:明智十兵衛光秀
レベル:59(6520/154100)
年齢:36
職業:足利家細川藤孝家臣
状態:健康
体力:78/100
統率:66
筋力:55
頑強:47
敏捷:51
器用:69
知能:78
精神:80
技能:剣術(中級)、弓術(上級)、鉄砲術(達人)、鷹の目(中級)、慧眼(中級)、兵法(上級)、指導(中級)、調略(達人)、算術(中級)、弁術・説得(上級)、弁術・論破(上級)、和歌(中級)、茶の湯(中級)、町割(上級)、治水(上級)、農業(上級)、麒麟(未開花)、三日天下(未開花)
装備:なし
え?強すぎるだろこれ……。レベルが俺よりも20以上も高い……。精神に関しては80を超えている。これは今までに見た事ないな。……ん?『麒麟』と『三日天下』?これはなんだ?二つとも未開花の技能か。麒麟は恐らく中国の神話に現れる霊獣の事であろう。……三日天下は開花させない方が良い気がするな。
「十兵衛殿、それは違います。貴方が此度の大任を命じられたのも貴方の能力が評価されたからでしょう。たかが運、されど運とも言いますが、やはり前提として自身の能力が無ければどれほど豪運であっても焼け石に水です。もう少し自分に自信を持つべきです」
俺が光秀に諭す様に言うと、光秀はふふっと笑った。
「某にその様に仰ったのは勘十郎殿で二人目でございまする。いやはや中々直りませぬなぁ、この性は」
「ちなみに一人目は誰方なのでしょうか?」
「細川兵部大輔藤孝様でございまする!」
少し高揚しているか?よっぽど細川藤孝を尊敬している様だな。
「やはり流石は当代一流の文化人でありますな。慧眼ですね……」
ちらりと光秀の事を見ると少し照れくさそうにしていた。
「十兵衛殿は刀の方は如何ですか?」
俺が光秀に聞くと、少しきまり悪そうにした。
「刀は不得手にございますが……、種子島の方を少しばかり」
「ふふっ、それは良かった。ではまずは鉄砲を見に行きましょうか」
光秀は有り難い、と言って俺の後を付いて来た。思っていたよりも人間味が強い印象だ。笑顔も多いし、言葉の抑揚の端々に感情が読み取れる。現代では冷酷無比の謀将と言われていたがその様な印象は感じ取れ無かった。……やはり心変わりしたのはかなり後のような気がする。
それにしても、流石にこれほどの傑物が裏切ったらどうしようもないな。これからどうすれば良いのだろうか。そろそろ今までの歴史の知識が役に立たなくなるかもしれない。より一層慎重に行動しなければ……。光秀には必ず本能寺の変を起こさせない様にしなければならない。俺が何とかしなければ……。
―――
一五六四年(永禄六年)三月中旬 美濃国岐阜城大評定の間
光秀が足利義秋の元に帰った翌日の夜半の頃、兄と一部の家臣のみで急遽、評定が行われた。
「後10日程で近江の雪も溶ける。その前にその方ら、近江へ迎え。頃合いを見計らって、公方様を脱出させよ。公方様は蒲生が居城にしている日野城におられる。既に蒲生とも話はついておる」
その方ら、というのは俺と藤吉郎だ。今回の任務は隠密行動が主になる。素早さや機転が効くところを評価されたのだろう。
「近江と美濃の境まで辿り着けば良い。そこまでなら軍を送る事も可能だ」
結構な難題を押し付けられているな……。美濃まで可能な限り接敵しない様に足利義秋を護衛しながら行かなければならないのか。正直、護衛に関して言うと問題は無い。ただ、運ぶ手段が限られてくると言う事だ。素直に馬に乗ってくれればいいのだが……。
「簡単な任務だ。万が一にも失敗はするなよ」
圧力が凄い……。藤吉郎は緊張で汗が止まらなくなっている。意外と繊細なところもあるみたいだけど……、ちょっと緊張しすぎだ。
決行は恐らく陽が落ちきってからだな。道の把握もしっかりしておかなければ。
「軍は五郎左、権六、お前らが指揮せよ。わかっておるとは思うが、戦は起こすなよ?」
『はっ!』
二人が兄の方を向いて畏まった。
これはまた難しい任務だな。如何するか……。ちらりと藤吉郎の方を見ると、まだ顔は強張っていたが、口元には笑みがあった。なんだコイツ、お前も興奮しているじゃないか。コイツもイカれてる。俺もなんだか笑いそうになって、慌てて口元を手で隠す。当日が楽しみだな……。
―――
一五六四年(永禄六年)三月中旬 近江国日野城本丸東の間
〜細川藤孝〜
「兵部!兵部はおらぬか!」
「……お呼びでしょうか」
部屋の前まで行くと中から、入れ、と言われた。
襖を開けると公方様がまた文をお書きになっていた。
「もそっと近う寄れ」
一歩、二歩、と近付いていく。四歩目で止まり、座った。
「如何なさいましたか?」
そう問いかけると公方様はニヤリと口角をあげた。
「次は毛利に文を送ろうと思うのじゃ。良き案であろう?」
……またか。
「……お言葉ですが、毛利は未だ尼子と刃を交えておりまする。些か時期尚早かと……」
「余が和睦させてやるわい。奴等も戦を終える事が出来て喜ぶであろう」
してやったり顔だ。あまり余計な事をしないで欲しいのだが……。六角に警戒されたらどうするつもりなのだ。
「その件は織田へ向かわせた使者が帰還してから、また話しましょう。侍女が朝食を用意したようです。向かいましょうか」
―――
『明けわたるとほ山かづらそのままに霞をかけて春や立つらむ』
「……?何か申したか?」
「ふふっ、いえ何も」
雪は溶けるが、無くなりはしない。水は流れるが、尽きはしない。冬は過ぐるが、終わりはしない。血は消えるが、匂いは消えない。人の世も、また、同じ……。




