第十九話 天運
一五六三年(永禄五年)十月中旬 尾張国沖村城正門
〜織田信勝〜
馬に乗り、一時間程度で到着した。初めてあの人の居城に来たな。これが沖村城か。思っていたよりも小さいな。清洲城や、岐阜城が大き過ぎるのかもしれないけど……。
付き添いには伊右衛門を連れて来た。ガチガチに緊張しているけど大丈夫か?道中、何回か落馬しかけていたけど……。これから会う人物は伊右衛門からしたら普通は会う事が無い人だからか?よくわからんな。
「勘十郎様でございますね。殿が中でお待ちです」
門に近づくと門兵が声をかけてくれた。約束の時間よりも少し早いけど、良かった。
―――
城に入ると二人の侍女が部屋まで案内してくれた。
「申し訳有りませんが、供回りの御方は此方へ。林美作守通具様がお呼びでございます」
伊右衛門は一瞬、きょとんとしたが、俺の方を向いて一礼してから侍女と去って行った。
残った侍女が此方に一礼をしてから襖の方へ向いた。
「織田勘十郎信勝様が参られました」
侍女が襖を開けると、奥に見覚えのある人物が座っていた。
「お久しゅうございまする。勘十郎様」
「そんなに久しぶりか?佐渡」
「年寄りは時が経つのが長く感じるのですぞ」
林佐渡守秀貞だ。少し老けたか?白髪が増えた気がする。
佐渡の前まで近づいてから座った。部屋の中には俺と佐渡だけだ。俺が座ると同時に小姓が茶を二つ持って来た。一口啜る。うん、美味い。
「勘十郎様、変わられましたなあ。随分と大きくなられた」
「いつまで子供扱いしておるのだ。それに、たった一年程度でそこまで変わらないであろう」
「まだまだ某からすると子供でございますよ。それと、勘十郎様はかなり変化なさっておりますぞ」
「むぅ、そうか?自分ではわからんものだな。」
他愛もない話で少し盛り上がった。こうやって二人で話せるのはいつ以来だ?一年程前は兄もいた。もしかしたら稲生以来かも知れん。
「……そろそろ本題に入りましょうか」
佐渡が、態勢を整えた。
「……波瑠殿の花嫁修行が一通り完了致しました」
「そうか……!やっとか!」
「えぇ、もういつでも戻して頂いて構いませぬ。それで一つお聞きしたいのですが、祝言は如何なさるつもりですか?」
「大規模なものはしないつもりだ。親族と親しい者数人の小さなものをしようと思っている。波瑠は側室にするつもりだからな。あまり派手にしてしまうと波瑠も気負ってしまう」
「それが良いかと思いまする」
佐渡が頷きながら答えた。
「では、某から三郎様にお伝え致しまする。勘十郎様は婚礼に呼ぶ方々へお声がけを」
「うむ、承知した」
佐渡が俺の方を見て微笑んだ。まるで親が子に向ける笑顔だった。
「それともう一つ有りまする……」
声に若干の陰りがあった。何が良くない事でもあったのだろうか?
―――
〜山内一豊〜
侍女に連れられて端の小さな部屋に着いた。中には小さな中年と見受ける男性が座っていた。恐らく彼の方が林美作守様であろう。
「お初にお目にかかりまする。山内伊右衛門一豊でございまする」
挨拶をすると、目の前の男性は顔に笑みを浮かべた。
「これはこれは、どうもご丁寧に。某は林美作守通具である」
やはり林美作守様であったか。一体何の用だ?
「急に呼び出して済まなかった。お主に一つ話しておきたい事があってのぉ」
話したい事?今日が初対面な筈……。一体何だ?
「まだ七年しか経っておらぬのか……」
林美作守様がぼそりと呟いた。七年とは何だ?
「我等兄弟は、本来であれば七年前に命を落としていた筈だったのだ」
……は?
「詳しい事は勘十郎様か、他の者から聞くと良い。ただ、我等は時が来たらあの時の恩を必ず返すと、それだけ伝えて頂きたい。勘十郎様にはそれだけで伝わる」
全く話に着いて行けてない。この方は何を言っているのだ?
「話はそれだけじゃ。直接伝えては密約と捉えられてしまうやも知れぬからのぉ」
―――
部屋を出て、殿の元へ戻る。
結局、話の意図があまり掴めなかった。取り敢えず殿には聞いた話をそのまま伝える事にしよう。
……殿のお話はもう終わったのだろうか。
先ほどの部屋の前に着くと、殿が襖を開け、部屋から出てきた。
「伊右衛門、帰るぞ」
一言だけ言って、背を向けて歩いて行った。遅れないように着いて行く。……高揚と不安?背中からは二つの感情が思い做せた。何があったのだろうか。
―――
一五六四年(永禄六年)一月初旬 尾張国中島郡信勝の屋敷
〜織田信勝〜
「改めまして、新年明けましておめでとうございまする」
『おめでとうございまする』
「うむ、おめでとう」
俺の書院に数人の家臣が集まっている。兄への新年の挨拶が終わった後に書院に集まってきた。新年の挨拶に来てくれたようだ。
「清洲ではどの様なお話を?」
半兵衛だ。
「……義秋様からの使者が参られた。今は六角に身を寄せているとの事だ」
波瑠が作ってくれたお雑煮を食べる。……うん、尋常じゃないくらい美味い。
「何とそれは……、厄介な事で……」
唸りながら伊右衛門がボソッと言った。そうなんだ、かなり厄介なんだよな。この世界でも観音寺騒動は起こった。しかし、結果は少し異なっていた様だった。事件の首謀者は六角右衛門督義治で、父親の六角承禎、家臣の後藤但馬守賢豊の二人を謀殺した様だ。後藤賢豊は家臣に、父親の承禎は自らの手で討ったらしい。この事は織田にしても寝耳に水だった。永禄の変と立て続けに起きたからな……。織田家では連日評定が行われた。織田の方針としては取り敢えず"静観"だ。『触らぬ神に祟り無し』とも言うからな。
この騒動の機を突いて浅井が六角を攻めようとしたが、織田が浅井を攻める素振りを見せると即座に領地に引き返した。浅井長政は意外と慎重な男らしい……。
「何故厄介なのでございますか?」
左近が首を傾げて質問してきた。……危ない、また思考に没頭し過ぎていた。
「恐らく義秋様は六角と協力して上洛せよとの事なのだろう。だが、上総介様は単独で上洛する事をお望みの様なのだ」
伊右衛門が言った事は八割方合っている。兄は六角の事を微塵も信用していない。兄からすれば六角はいわば戦国大名になり損なった旧時代の遺物なのだろう。あの人が一番嫌いなんだよな。過去の栄光にかまけて威張っているやつが。人参にも出汁がしみていて美味いな。
「……義秋様と共に六角に匿わられている幕臣の方々は気が気じゃ無いでしょうね」
半兵衛だ。この数年で半兵衛の性格について少しわかった事がある。見た目よりも"熱しやすく、冷めやすい"と言う事だ。ちなみに今のマイブームは扇子らしい。扇子で口元を隠している。
「……半兵衛殿、どういう事でしょうか?」
「六角の内情を少し調べてみましたが、中々きな臭い。あれは当主と家臣だけの対立ではない。幾重にも絡まってある」
左近はきょとんとした顔だ。まだまだ他家の情報は理解しにくいみたいだな。もっと勉強させるか。伊右衛門は何か考えているみたいだ。
「承禎は義秋様を迎えるべきだと言う考えだった様でありましたが、右衛門督は三好と協力するべきと考えていた様なのです」
「でしたら何故右衛門督は義秋様を匿ったのでしょうか?」
左近はまだ納得していない様だ。
「暗殺するためであろう」
俺がそう言うと左近と伊右衛門が驚いた顔をした。
「三好は阿波の平島公方家を擁立するのであろう。ならば義秋様は不要だ。来る反乱の芽は潰すに限る。幕臣らは右衛門督の狙いに感づいているのだろう」
……ふぅ、美味しかった。後で波瑠の所に行こう。
「さぁ、話は終わりだ。各々仕事に戻れ。俺もやる事がある」
伊右衛門と左近は渋々と言った様子だな。……半兵衛の底が知らんな。自分で調べていたなんて知らなかった。頼もしくも恐ろしくもあるな……。
―――
侍女に食膳の片付けを頼む。……よし、波瑠の所に向かうか。
義秋様は何と運の良い御方なのだろうか。絶妙なタイミングで文と使者を寄越してきた。義秋様は文をいつも手当たり次第にばら撒いているらしいから、六角に疑われる事は無いだろう。もし疑われるのなら使者だが、これもまた良い人選だ。恐らく細川藤孝が絡んでいるのだろう。使者とは来月、雪が溶けてから会う事になっている。この世界に転生してきて、八年か。とうとう……来るか。戦国の麒麟が……。




