2.
「む、むむむ、む、無理、無理です!!」
シルヴィアから距離をとるように、身体を後ろにそらせた。
「あの、一つ誤解しているかもしれませんが……、前は切りません。後ろだけ」
「う、ううう、後ろ?」
「バラバラなのですごく気になってしまって」
先日、バンフォードは自分で髪を切っていると言っていた。
おそらく前髪が長いのは、人の視線を遮るため。
そのため、いきなり髪を切ると言われて混乱したのだ。自分を守る砦の一つだから。
しかし、シルヴィアが気になったのは――若干前髪も気になったが――むしろ後ろの髪だった。
長さが一定でなく、一部が長かったり短かったりと。
どうせなら長くして括った方がいいのではと思うほど。
「シ、シシ、シアさんは忙しいですし……」
「髪を切る余裕位あります。ご自身で髪を切っているのなら、専用のハサミもあるんですよね?」
そこで顔がふいとそらされた。
「普通のハサミですか?」
「え、ええ、ま、まあ……」
言葉を濁されて、これは普通の一般家庭用ハサミでもないなと気づく。
「どのようなハサミですか?」
「そ、そそ、外に……」
「外?」
「ふ、ふふ、古くなったもので、す、すす、捨てるよりは……」
外、古い。
その単語で必死に考える。
そして、一つの考えに思い至った。
「まさか、剪定用のハサミ……だったりしませんよね?」
「……そ、そそ、その――……き、ききき、きき、切れれば、な、ななな、な、なんでも、い、いいい、いいかなぁっと……」
その答えにどんどんシルヴィアの笑みが深くなり、その度にバンフォードが小さくなっていく。
声も身体も。
「す、すすす、す、すみません……」
ついに謝罪まで到達すると、シルヴィアは小さく息をついた。
確かに身だしなみに期待はしていない。
だが、自分で切っていると聞いたので、道具があると考えていた。しかし、今考えれば平民は自前で髪を切るが、髪用のハサミではなく、家で使うようなハサミで髪を切っていることが多い。
それを考えれば、身近にあるハサミ――それが剪定ハサミだったのなら、それで髪を切るくらいは……。
「とりあえず、今日は普通のハサミで切りますね。今日は天気もいいですし風もないので、外でやりましょう」
「え? ぼ、ぼぼ、僕は――……」
「やりますよ」
再び笑みに力を籠めると、怯えたようにバンフォードがかすかに頷いた。
*** ***
外に散髪のために準備をする。
大きめの布を地面に敷き、食堂から持ってきた椅子を置く。
髪が服につかないように使わないシーツを取り出す。
「こちらにおかけください」
「ほ、ほほほ、本当に?」
「納得されたではありませんか」
「そ、そそ、それは……」
いつまでたっても言い訳をしているバンフォードの背を押して座らせ、身体にシーツをかける。
さすがにそこまでいくと、バンフォードは大人しくなった。
「背筋は伸ばして、前を見てください」
「は、はは、はい」
シルヴィアの指示に、バンフォードがびしりと背を正す。
いつも肩と背を丸めていた姿が伸びると、それだけで体格の良さが良くわかる。
太っているから体格がよいわけではなく、彼は背も高く肩幅も広いため、いままで見てきた貴族令息の中でも飛びぬけて体格は恵まれていると思う。
シルヴィアは温めたタオルで髪を少し湿らせながら、話しかけた。
「何か、運動でもされていたんですか?」
「ぼ、ぼぼ、僕は……、た、たた、嗜み程度に乗馬を――……」
「そうでしたか。貴族男子には必須の技能ですものね。ですが、何か武具も扱っていましたか?」
髪が湿った後に、とりあえず一旦少しずつ毛先を切っていく。
シャキシャキという音が響き、バンフォードが緊張しながら答えた。
「す、すす、少し……け、けけ、剣を」
「それも、必須技能ですよね?」
武器の扱いと乗馬は、貴族男子の必須技能と言われている。
過去、戦争が盛んだった時期には貴族が率先して民を導くために必要だったのだ。
今では形骸化して時代遅れだという者もいるが、貴族男子は必ずこの二つを学んでいた。
シルヴィアは以前、バンフォードの手を触った時、手の皮が厚くマメの様なものができていたのに気づいた。
マメ自体もう固くなっており、最近できたものではなかった。
おそらく今も定期的に剣を握っているのだろう。
「ぼ、ぼぼ、僕の知り合いが一人、き、きき、騎士をしていて……たまに、相手を――……う、うう、運動不足だからって、む、むむ、無理矢理……」
なるほど、無理矢理動かされていると。
確かに、無理矢理やらせないとどんどん肥えていきそうだ。
使用人もおらず、一人でいると好きなものを好きなだけ食べても誰も何も言わない。
それが癖になると、人は我慢をやめる。
「良いご友人ですね」
「そ、そそ、それはありえません!! あ、ああ、あいつはいつもいつも――!」
「動かないでください。間違って髪を切ってしまいそうです」
感情が高ぶっていたためか、頭が動きそうになっていたバンフォードに言うと、彼は即座に硬直した。
「す、すす、すみません」
「大丈夫です、ですがわたしは特別専門家でもないので、動かれると失敗しそうなので、気を付けていただけたらと」
「わ、わわ、わかりました……」
しかし、バンフォードも人に対して文句も言うのだと、シルヴィアは新たな発見にうれしくなった。
友人ではなく知り合いとバンフォードは言ったが、シルヴィアからすればいい意味で本当の友人なのだろう。
これほどバンフォードが心を動かす存在だ。
罵りながらも、付き合いを本気で嫌がっている様子がないところから、それは分かる。
「お、おお、終わりそうですか?」
ハサミの音が止まったのを感じたバンフォードがうずうずした様子で聞いてきた。
慣れていない行為に、居心地悪そうだったが、そろそろ限界なようだ。
「あと少しだけ」
全体のバランスを見て、この片をもう少し切ろうとハサミを入れたその瞬間、横から声が聞こえてきた。
「珍しい、叔父様が髪切ってるなんて。その人、叔父様の恋人?」
ぎょっとしてバンフォードが顔を声の方に向け、ちょうどハサミを入れていたシルヴィアが慌てた。
「う、動かないで!」
静止の声もむなしく、ハサミは無情にもバンフォードの前髪を少し切り落とし、隠れた紫の瞳が半分だけ除く。
ぱらぱらと落ちる黒髪は、どう考えても過去に戻ることはできない。
バンフォードは呆然とし、シルヴィアはすぐに謝った。
「も、申し訳ございません!!」
その二人の姿を見ていた乱入者は、肩をすくめた。
「あらら……叔父様、動くからよ。でも、前髪ない方がすっきりしていいんじゃない? それにあなたも謝る必要性はないと思うわ。だって明らかに叔父様のせいじゃない」
にこりと微笑む少女は、肩にかかる栗色の髪を後ろに流し、紫の瞳が楽しそうに輝いた。
「ところで、叔父様。そちらの方はどなた?」
この惨状をものともせず尋ねてくる少女は、随分と肝が据わっている。
それとも慣れているのか。
バンフォードはしばらく呆然と固まっていたが、ようやく動き出すと肩が震えていた。
そして――……。
ガタリと勢いよく椅子から立ち上がり、少女の名を叫んだ。
「ア、アア、アデリーン!!」
「お久しぶり、叔父様。相変わらずここは遠くてやんなっちゃったわ」
怒りの形相の相手に対し穏やかに返す少女は、とても目鼻立ちがくっきりと整う美少女。
こんな状況なのに、顔立ちが少しだけバンフォードに似ているなと感じていた。
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