4.
荷物と言っても、一泊だけ泊まると言われて、小さな旅行鞄に詰めたのは着替えだけだ。
あとはすべて準備してあると言われて、身軽な支度。
中に入ると、シルヴィアはぐるりと屋敷の中を見渡した。
久しぶりに入る屋敷は、風が通してあるのか、空気が新鮮だ。
シルヴィアが働いていた時には、毎日シルヴィアが空気の入れ替えを行っていた。
でも、それもほんの一部の場所だけだ。
広い屋敷全体か一人で管理するのは不可能だったので。
バンフォードもそれでいいと言っていた。
「綺麗になってますね」
「家政婦ギルドの方はみなさん優秀ですね」
「はい! オリヴィアさんが教育は徹底的にやる人なので」
家政婦ギルドの事を褒められると、シルヴィアは自分の事の様に喜んだ。
「わたしもそうやって鍛えられました」
当時はまだ家政婦ギルドはまだまだ小さい組織だった。
それが、数年で使用人ギルドも飲み込むほどの組織になるとは誰が想像しただろうか。
商人ギルドの方でも、そのうち使用人ギルドにつぶされると言われていたのに、結局業務を縮小し潰れかけているのは使用人ギルドだ。
彼らもオリヴィアの様に、ギルド員の教育に力を入れていたらここまでの事にはならなかったかもしれない。
もしかしたら、上手くすみ分けたまま、お互い譲り合い業務提携しながら生き残れた可能性もあったのに。
「教育が重要なのは僕もよくわかります」
人を育てるのは労力だが、長い目で見ればそれが正しいとシルヴィアは思っている。
「はじめは両親、そしてオリヴィアさん、バンフォード様にクラーセン侯爵家の方々、思い返してみても、わたしの人生は多くの方の教えでできています」
「それなら僕もです。本当に、お世話になりました。両親は当然ですが、特にシアさんと叔父上叔母上には」
「わたしは何もしてませんよ?」
「色々、教えてくれました。人の温かさとか、優しさとか……。色々です。あと、お茶の淹れ方も教わりましたね」
「結局、あまり上手くなりませんでした」
「……適性がないこともあります」
開き直ったような、いじけたような口調だった。
「人にはできる事、できない事、適性のある事、適性のない事、様々ありますから。あ、部屋はこちらです。前から言おうとは思っていましたが、あの小部屋は人が寝るのに適していませんから」
ここに務めていた時シルヴィアが寝ていた部屋は、朝に便利と言うだけで選んだ。
別に不便は感じていなかったが、バンフォード的にはなし、らしい。
「エルリックは客間」
「分かってるよ」
さっさと階段を上がっていくエルリックは、果たして本当に護衛として来ているのか分からない軽さだ。
「あれでも感覚は鋭いんです。声が聞こえなくとも、気配には敏感で」
「さすが、というところなんですね」
「そうですね。まるで野生の獣だという人もいますが、僕も時々そう思います。お部屋はこちらです」
バンフォードが先だって歩き出す。
シルヴィアはその後ろを歩きながら、すっかり綺麗になっている屋敷をじっくりと見回す。
こうして綺麗になっているところを見ると、うれしい反面少しだけ寂しさも覚えた。
本当は、自分でこんな風に綺麗にしたかった気持ちが沸き上がった。
もちろん、一人だから絶対に無理な話ではあったが。
「何か、気にかかりますか?」
シルヴィアの気持ちに敏感に反応したバンフォードが、首を傾げた。
「……気にかかると、言いますか――、おそらくわたしは今嫉妬しているような気持ちです」
上手く感情を言葉に表すのは難しく、一番近い感情を説明した。
「本当は、わたしが綺麗にしたかったんです。バンフォード様が少しでも快適に過ごせるように。一人では無理だと分かっていたんですけどね」
シルヴィアが整理できない気持ちなのに、バンフォードは少し考え、シルヴィアが一番望んでいた答えを返してくれた。
「今度――……、今度泊まるときは、掃除から頑張りますか? 大変でしょうけど、僕も頑張ります!」
「……いいんですか? きっと大変ですよ?」
「僕、この屋敷はずっと持っていようと決めたんです。やはり手放すのは惜しくて……。長く手入れをしないと屋敷はダメになってしまいますから、時々管理はお願いしますが、掃除はほどほどにしてもらいます」
なんとなく、他人に自分の領域を侵されたような気がしていたのだ。
それをバンフォードは理解して、シルヴィアに提案してくれた。申し訳なく思う反面、うれしくなった。
「ありがとうございます」
「これくらい、どうってことないです。こちらです」
扉を開けるバンフォードの後ろから、シルヴィアが中に入っていく。
部屋はバンフォードの隣だった。
女性らしい内装に整えられているが、少しだけバンフォードの好みも反映されていそうな部屋だ。
「素敵な部屋ですね。確か、わたしが働いていた時は物置になっていたような気がしますが……」
「……その、今後も来る可能性を考慮して、やはりシアさん用に用意しておかないと、と思いまして」
バンフォードの使っていた部屋は、当然主の部屋だ
その隣は、当然その配偶者の部屋。
「い、言っておきますが! ふ、不埒な真似は結婚するまではしませんから!!」
結婚するまでは――、という所に本音が隠れている気がしたが、シルヴィアは指摘しなかった。
「シアちゃんって料理上手だよね」
「ありがとうございます」
昼食と夕食はシルヴィアが作った。
本当はできあいのものを頼もうかとも思ったらしいのだが、どうしてもシルヴィアの手料理が食べたかったと、バンフォードが申し訳なさそな顔で白状した。
昼は、バンフォードの注文でふわふわパンケーキを作り、夕食は初めてこの屋敷にやってきたときと同じものだ。
さすがに、エルリックだけ携帯食――と言うわけにもいかず、食事の時は三人だった。
「そういえば、薬草は大丈夫なのか?」
「昼間に手を入れてみたけど、どれも元気だった。肥料がなくなれば、自然と枯れていくと思ったから、少し意外だったな」
薬草園は土壌からバンフォードが作ったと聞いている。
つまり、完全に人の手の入ったもので、人の手から離れれば土壌が荒れ、自然と枯れていく――そう思っていただけに、元気どころか異常すぎるほど成長した薬草の姿に、バンフォードの方が困惑交じりの大興奮だった。
「どうして、ああなったのか研究したい。もっとここで引き込もっていたい!」
「研究よりも後半が本音だろ」
エルリックが呆れたように口にした。
「研究もしたい」
バンフォードは、どちらも本音だと主張したいようだ。
ただし、どちらも本音だという主張は、エルリックの呆れた顔つきをもとに戻すことはできない。
「バンフォード様、本当にすごい驚きようでしたものね」
昼間の事を思い出しながらシルヴィアが笑う。
まるで子供のように目を輝かせ、嬉々として青々と茂った薬草の中に突入していった。
そして、慎重に一種類ずつ確認し、同じ種類でも一株一株違いはないか調べていた。
最後には一部の土を掘り返し、見分し、さらには研究用に土を持って帰ると、屋敷に残っていた入れ物に収めていた。
しかも、同じ薬草園の中でも、土はいくつかの場所で集めていた。
シルヴィアにとっては、どれも同じ土にしか見えなかったが、バンフォードは差異がないか見たいと言っていたが、土は結構な量と重さになっている。
「まあ、そういう地道な研究がそのうち人の役に立つから、文句も言えないな」
大量の土を持ち帰るためにエルリックも導入されたが、彼は仕方ないと肩をすくめた。
お読みいただき、ありがとうございます。
よろしければ、ブックマークと広告下の☆☆☆☆☆で評価お願いします。