2.
早朝の出発で、乗り合い馬車はまだ動いていない。
そのため、馬に乗っていくことになっていた。
しかし、シルヴィアは当然乗ったことないので、バンフォードに同乗させてもらう。
乗るときも、バンフォードが身体を持ちあげてくれた。
横向きで座り、その後ろにバンフォードが跨る。
手綱を握るために伸ばした腕が、シルヴィアを支え、落ちないように守っていた。
初めて触れた時、彼の腕はふくふくとしていた。
やわらかい肉が彼の身体を覆っていたが、いつの間にかすっきりして、腕も男らしい筋肉がついている。
そっと触れると、固く柔らかさはない。
「あの、何かありましたか?」
何かを確かめるように腕に触れているシルヴィアの頭上から、バンフォードの困った声。
「すみません、初めて触れた時とは全く違うので、少し不思議で」
「……あの時の事はもう忘れてほしいです」
バンフォード的には、情けない姿はすべて忘れてほしいところだった。
シルヴィアには、いつでも格好いい大人びた姿を見せていたいのが男心。
しかし、それができていないのもまた事実なので、ため息をつきそうだった。
シルヴィアの前にいると、子供のように甘えたくなる。何を言っても許される、そんな気持ちになってしまう。
逆にシルヴィアが弱っているときは、慰められているのでお互い様というところではあるが。
「バンフォード様との出会いは今でも忘れられません、始めは帰れって言われているのかと思いましたもの」
「す、すみません。あの時は色々と覚悟するのに時間が――」
懐かしい思い出だ。
「そういえば、シアさんおなかはすいていますか? 朝早かったので朝食採らずに出てきましたが」
「少し減ってますね」
「朝市でも見に行きますか? 行ったことは?」
「もちろん、何度もあります」
朝市とは、中央広場で朝に開催されている市場だ。
おそらく、この時間でもにぎわっているはずだ。
取れたての野菜や果物、焼きたてのパンや、歯ごたえのいい木の実、他にも量り売りされている肉など様々なものが売られている。
そして、当然のように買い物客目当ての、屋台が並んでいる。
人々はそこで買い食いしたり、家族の朝食用に買って行ったりすることもあった。
シルヴィアがまだ家政ギルドで働いていた時は、朝によく来ていた。
何もかもが安いし新鮮だ。
難点は朝早くに行かないと、品物が売り切れてしまう事が多いという事。
いいものは早い者勝ちなのだ。
「近くにある貸し馬屋に頼んで馬を預かってもらいましょう」
「でもいいんですか? 人込みは――……」
「エルリックなら大丈夫です」
人込みの多いところでは、護衛が難しいだろうとシルヴィアが言うと、バンフォードが自信満々に大丈夫だと言い切った。
一瞬後ろから着いて来ているエルリックを振り返ると、肩をすくめて苦笑して返された。
仕方がいな、といった感じだが、絶対にダメだということもないようだ。
「後ろは気にしてはいけません、あれはただの陰です」
シルヴィアにきっぱりと言うバンフォードは、そのうち気にならなくなりますからとも言った。
「あそこに馬を頼みましょう」
市場の前では荷馬車を預かる預り所が複数ある。
その一つに金を払い、バンフォードが馬を預けた。
乗るときと同様に、下ろしてもらい、自然と二人で手をつないだ。
この手をつなぐ動作も、自然と出来るようになるまでには時間がかかった。
恋愛初心者同士は、一歩ずつ進む速度も遅いのだ。
今でも、少し照れ笑いをするのは仕方がない。
「シアさん、こちらではどういったものを購入していたのですか?」
「色々です。食料品が多かったですが、食事を作るのが面倒くさいときとかに活用してました」
「僕は、王立アカデミー時代に少しお世話になりました。あと、子供の頃はエルリックに連れまわされました」
なんとなくその光景が目に浮かぶ。
バンフォードは基本的に賑やかに騒ぐタイプではない。
きっと振り回されていたんだろう。
しかし、次の瞬間しまったといった具合に、バンフォードが口を閉じた。
シルヴィアにとっての幸せだった子供時代は十歳まで。
バンフォードには事情をすべて話してあったので、その事を思い出した彼は、気まずい様子だった。
だからこそ、シルヴィアは殊更明るく話し出した。
「オリヴィアさんに教えてもらいました、色々と。物の買い方とか、値切り方も。意外とスパルタで。というよりもオリヴィアさんの方が教えるというよりも、途中で本格交渉を行いだした時もありました」
「それは、すごそうですね……」
「ええ、お互い怒鳴り合っているのに、なぜか最後は丸く収まるんですから、何があったのか本当によくわかりません」
「女傑とは、ああいう人の事を言うのかもしれません……」
オリヴィアはギルドを立ち上げ今その勢いは、バカにされていた時とは違う。
誰もが彼女の手腕を認めざるを得ないが、成功したのは人望や自らの信念がしっかりしているからだと思っている。
「そういえば、バンフォード様はオリヴィアさんとはお知り合いだったんですか?」
「なぜ?」
「オリヴィアさんにお仕事を紹介されたとき、バンフォード様の事をよくご存じだったような口ぶりでしたので」
なにせ、バンフォードの事を絶対に安全だと太鼓判を押していた。
そこまで言い切るならば、きっとよく知っているのだと考えるのは当然の事だ。
「よくわかりません。もともと依頼書はマトリアスク商会経由で頼みましたし……、ただ僕は当時から研究一筋だったので、もしかしたら女性に興味がないと思われたのかもしれません」
バンフォード自身もよく分からないそうだ。
オリヴィアは意外と情報通のため、彼女の考えを固める何かがあったのだろうと、結論づけた。
他に、勘も鋭いので。
「僕がオリヴィアさんに初めて会ったのは、シアさんが家政ギルドをお辞めになる際です」
シルヴィアが、正式に貴族としてクラーセン侯爵邸で暮らすことになった時、オリヴィアには挨拶に行った。
色々お世話になったので、何も言わずに辞めるのは不義理だから。
その時、バンフォードも一緒に来ていた。
確かに、初対面の雰囲気だったと思い出す。
「もしかしたら、オリヴィアさんはこうなることを予測していたかもしれません」
「まさか、そんな事ないですよ。偶然が重なり、僕たちは今こうしているんですから」
挨拶に向かった時、オリヴィアは二人の事に特別驚いた様子は見せなかった。
もちろん、色々事件がおきたので、二人の関係を知っていたのかもしれないが、それにしては何も聞かれず仕舞いだった。
オリヴィアは意外と恋愛話を聞くのが好きなので、なんとなく、根掘り葉掘り聞かれるかと思っていただけに、拍子抜けした。
「でも、きっかけはどうであれ、僕はシアさんが来てくれなかった今こうして外を歩いていない気がします。むしろ叔父上を失って、もっと世間と関わらなくなっていたことでしょう。ですから、シアさんを紹介してくださったオリヴィアさんには感謝しています」
当然それはシルヴィアも同じ気持ちだ。
しかし、それを言葉ではなく握り返す手の強さで思いを伝えた。
バンフォードもそれに気づき、ほわんと気の抜けたような顔で笑う。
まるで子供のようなその笑みは、シルヴィア的には一番好きな笑顔だったりするのは、内緒だ。
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