5.
今日の月は半分以上欠けていて、地上を照らす光が少し暗いと感じた。
外に出て、ぼんやりと月を眺めているシルヴィアは、なんだか少し不思議な気分だ。
誰かと一緒に食事をすることも、人の家に寝泊まりしていることも。
この数年、ギルド員たちと食事をすることはたまにあっても、誰かの家で食事を摂ることはなかった。
いつも、どこかの食事処。
それはそれで楽しいが、今日みたいな温かさはない。
「家族か……」
両親が死ぬ前までは、食事はいつも一緒だった。
マナーに関して厳しい両親だったが、そこには愛があった。
「そういえば、バンフォード様は綺麗に食べていらしたわ」
綺麗に食べていたというのは、作ったもの全て平らげた――という意味ではない。いや、少しあったが、シルヴィアが言いたいのは、彼の作法が完璧だったことだ。
シルヴィアの母は子爵夫人だったが、美しい所作だったため多くの令嬢やその母君方から請われてマナー講座を開いていた。
その関係で、シルヴィアのマナーにも厳しいところがあった。
シルヴィアから見ての母の動きは美しかった。
指一本一本にまで繊細な動きで、厳しく躾けられたが目の前の美しさのためならと頑張れた。もちろん、子供心に厳しい母に時々反発心も起こったものだが。
母の美しい動きを見慣れているシルヴィアは、貴族のマナーに関してはちょっと手厳しい。
しかし、バンフォードはシルヴィアから見ても、隙のない完璧な所作だった。
「家名を名乗らなかったというのは、知られたくない――という事よね。深く立ち入ってはいけないけど、おそらくかなり高位の貴族様だわ」
動きを見れば相手の爵位はそれなりにわかるもの。やはり高位になればなるほど、教育に力を入れるからだ。下のものに見くびられないために。
ある意味、子爵夫人であった母が特殊なだけであって、身分相応というのは所作において一番違いが出てくるとシルヴィアは思う。
「そう考えると、あの方は厳しく躾けられたのよね?」
身体に染みついた動きは、自然と出てしまうもの。
シルヴィアもそうだ。
それを隠すように振る舞うが、どこかでそれが出てしまう。
貴族の屋敷では特別目立つような事もないが、平民の家では少し違って見えるのだと知っている。
なんでも、シルヴィアはほかのギルド員に比べて粗暴な動きがないんだとか。
お貴族様のお屋敷にも行くのでと言えば、なるほどと納得してもらえるが、たまに貴族から話しかけられるので、それはちょっと困る。
「引き抜きたいって、あれはきっといいお話なんだろうけど……」
審美眼をお持ちの貴族が一番厄介だとシルヴィアは思っている。
褒めてもらえていると思えばうれしいが、貴族の家に長期で働くことはシルヴィアが貴族だとどこかでバレる気がして、お断りしていた。しかし、断るのもちょっと難しい。
角が立たないように断るために苦慮していた。
ここも貴族の屋敷とはいえ、家政ギルドからの紹介だ。
しかも、訳ありの雰囲気だった。
バンフォードの態度から見るに、こちらが契約解除を願い出ればあっさりと許可しそうで、何かあったら逃げればいいか、などと考えていた。
とりあえず、一か月はがんばらないといけないが。オリヴィアのために。
「ここは静かね」
王都の喧騒から遠ざかり、人の気配がしない。
始めは鬱蒼として気鬱になりそうだったが、今は怖いとか寂しいとか、そんな気持ちにはならなかった。
むしろ、どこかわくわくとしている。
非日常が始まった、そんな感覚だった。しかし、寝られないからと言っていつまでもここにいることはできない。
夜は寒く、上を着込んでいても凍えてくる。
そろそろ冷たくなった布団に戻るか、と腰を持ち上げたその時――。
ふいに背後の扉が開かれた。
何気なく顔を上げると、この屋敷の主バンフォードが腰を持ち上げようとした不審な動きのシルヴィアを見て、驚いたように足を怯ませた。
そんなに怯えることもないだろうに、人の存在に慣れていないのだろう。
ちょっとかわいそうになって、シルヴィアは素早く立ち上がった。
「すみません。少し寝付けなくて……、もしかして薬草園ですか?」
「は、はは、はい……」
こちらの一挙一動を観察しているようだ。
そういえば、彼の瞳は何色なのだろうかと、ちょっと気になった。
この短時間で分かったことは、こちらが話しかけても逃げることもしないところ見ると、とりあえず人嫌いではなく、逃げずに頑張って堪えているという印象。
そこから考えるに、人と接するのが苦手なのだろう。しかし、最低限の礼儀は人として兼ね備えている。
他に、過度に自分を卑下する傾向にあるという事。自分に自信がないとはっきりと態度で示していた。
人には色々あるし……。
「バンフォード様はどうされたんですか?」
「こ、ここ、この時間にしか採取できない薬草が……」
もじもじとしながら、俯き加減で教えてくれた。
「そうなんですね。あの、採取するところ見てみたいと言ったらだめですか?」
目が見えないが、こちらを窺っているのが分かった。断られるだろうなと思っていると、返事は意外な答えだった。
「い、いい、いいですよ?」
恥ずかしそうに扉の陰から出てきて、手を差し出してきた。
どうやらエスコートをしてくれるらしい。
しかし、次の瞬間、はっとしてその腕をひっこめた。
「す、すすす、すみません!! い、いいい、嫌、ですよね!?」
「何がですか?」
「き、ききき、気持ち悪いでしょう? ぼ、ぼぼぼ、僕は――……ふ、ふふふ、太って気持ち悪くて……」
言葉尻が小さくなっていく。
まあ、ちょっと初見では、この人大丈夫かなと思ったのも事実だが、別に身体から変な臭いがしているわけでもないし、太っている男性なんてこの世の中いくらでもいる。
だが、きっと彼はそうやって体格について言われてきたのだ。
言葉は毒となって、彼の心を傷つけてきた。
なんとなく、分かる。
シルヴィアは無能、役立たず――そんな事を言われ、いつの間にか自分を卑下して、そう思い込んでいた。
それを救ってくれたのは、オリヴィアだ。
できることがあると教えてくれた。
シルヴィアは、俯いて肩を落とすバンフォードに、慰めではなく自然と否定の言葉が口から出ていた。
「そんな事ないです」
バンフォードがひっこめた腕に、自分の手を乗せる。びくりと身体が震えるバンフォードの腕を引くようにし、無理矢理エスコートさせた。強引だったが、オリヴィアの教育法も多少強引だったので、許容範囲だと勝手に決めつける。
相手はがちがちに強張っていたし、歩き出したら手と足が同時に出そうなくらい緊張していたが、シルヴィアの手を振り払うことはしなかった。
薬草園――というか畑に見える――にやってくると、一部小さな光が連なっていた。
「光っていますね?」
「げ、げげ、月光草と言って、よ、よよ、夜に咲く花です」
「何に使うんですか?」
「お、おお、主に、食あたりの薬とかでしょうか。ほ、ほほ、他にも傷薬にも入れると、香りと伸びがよくなって――」
バンフォードはいつもより饒舌だった。
好きな事を話しているときは、まるで少年のようだなと思った。
しかし、すぐに沈黙する。
「す、すす、すみません。お、おお、面白く、な、なな、ないですよね?」
すぐに己の会話を卑下して、俯くバンフォード。
そんなことないのに。
シルヴィアは、俯くバンフォードの頬に手を当ててそのまま顔の線に沿って上に登っていく。
相手は、シルヴィアの手が触れると身体を強張らせた、逃げたいのに、逃げられない、そんな感じだ。
シルヴィアは、背伸びをして長い前髪を少しだけ後ろに梳く。すると、怯えたような紫の瞳が現れた。揺らいで輝くそれは、宝石のようで美しい。
これを隠してしまうなんてもったいないと、無意識に前髪を耳にかけてやった。
届かない髪の毛がぱらりと数本零れてきた。
バンフォードは、すでに自分の理解の範疇を超えているのか、固まってしまっていたので、シルヴィアのなすがままだ。
ふっくらした頬は、赤く色づき、耳まで真っ赤。
昼間は“子供”の発言に不満そうだったが、その顔つきはまるで幼子のように不安定だった。
ただ、よくよく見るとそこそこ目鼻立ちは整っているようにも思える。
今は、ちょっとふくよかなせいで十全にその整ったものを発揮できていないようだった。
「あ、あああ、ああ、あの! な、な、な、ななな、なん――……!!」
混乱しすぎて言葉にさえなっていない。
それがおかしくて、くすりと小さく笑ってしまった。
「興味深かったです、薬草に関しては無知なので。いずれ詳しく教えていただけたらと思います」
「は、はははは、はいぃぃ……」
シルヴィアの黒髪の鬘とバンフォードの黒髪が風に煽られた。
せっかく見えていた瞳は、今の風で全て前髪に隠されてしまったが、シルヴィアは相手の瞳の色を知れて満足だった。
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