3.
時々長くなる現象。
今日は日曜日だから読む暇あるよね? たぶん……。(4500文字くらい)
二人はアデリーンと校門の前で別れ、クラーセン侯爵とリリエッタと共に会場に入った。
主役の一人とはいってもシルヴィア自身は親族枠だと思っている。
そのため、主役たちが入場する様子を拍手しながら迎えた。
上位十人は真っ先に入場し、その栄誉をたたえてもらう。
開会の宣言は現学生生徒会の会長だ。
学校長が宣言しないのは、これが学生主催だからだとバンフォードが教えてくれた。
アデリーンは紛れもなく美少女で、十人の中では一人だけ女性ということもあって目立っていた。
「並びの順番から考えると、あの右の金髪の学生がベイロック公爵家の方でしょう。その隣の褐色の髪の男子学生が次席です」
開会の宣言が終わると、あとは基本的に自由だ。
舞踏会なので、ダンスも踊るがそれはもう少し経ってかららしい。
まずは会場の雰囲気を楽しむのだとバンフォードが言う。
親たちは親たちで固まって何か話しているが、シルヴィアとバンフォードはかなり自由な立場だったので、二人で用意されている料理をとりわけながら、楽しんでいると、そこに乱入者が現れた。
人垣が左右に分かれ、その道を歩いてくる人物を警戒して、バンフォードがかすかに前に出た。
姿を現した相手は、隣に可愛らしい女性を連れた男性で、後ろにはおそらく友人と思しき人物。
「はじめまして、アルゼルム・ベイロックと申します。バンフォード・クラーセン卿とご婚約者のシルヴィア・ハルヴェル子爵令嬢ですね」
穏やかに話しかけてきた相手の瞳は透明度の高い川のように薄い水色で、背は平均的だが、すっと伸ばされた背筋が身長を高く見せている。物腰も丁寧で、バンフォードは握手を求められてそれに応じていた。
しかし、油断ならないのはその眼が笑っていないように感じたからだ。
「首席おめでとう」
礼儀としてバンフォードが褒めると、アルゼルムが一瞬目を細めた。
「ありがとうございます。しかし、私などまだまだなのだと知りました。学校に通ったことがない方に負けてしまったのですからね」
「彼女が特に優秀だっただけだから、気にしなくていいと思うよ」
「では、私に勝った方にぜひ挨拶したいのですが、よろしいですか?」
断る理由もない。
相手は礼儀正しく、シルヴィアの婚約者であるバンフォードに確認をとってきているのだから。
シルヴィアが軽く頷くと、バンフォードがシルヴィアの横に下がった。
そして、シルヴィアは相手が挨拶してくれるのを待った。
しかし、二人の間に沈黙が支配し、シルヴィアもアルゼルムも挨拶しようとしない。
そして、アルゼルムがシルヴィアを馬鹿にしたような声音で丁寧に説明してくれた。
「ふふ、申し訳ありません。実技も私より上だと聞いていたのですが、どうやら間違いだったようですね? 正式な場ではありませんが、こういう社交の場では下位の者が上位の者に挨拶するのが道理なんですよ?」
「アルゼルム様、あたしでも知ってることを知らないなんて、この方本当にアルゼルム様より成績が上だったのですか?」
「実技点は、主観が入るから本当のところは分からないんだよ、アマーリエ」
相手は明らかにシルヴィアから挨拶するのが礼儀だと思っているようで、取り巻きと思わしき学生もアルゼルムの同調して頷いていた。
その様子に、バンフォードの空気が変わり、今にも何か言い出しそうな雰囲気だったが、シルヴィアが腕に軽く触れると、我慢してくれた。
シルヴィアは相手の気分を害さないように心がけて、口を開く。
「申し訳ありません。もしや、わたしの事をご存じないのでしょうか?」
「どういう意味でしょう?」
「その、あなた様のおっしゃったとおり、普通は下位の者から挨拶を行います。そして、正式な場ではありませんが、あなたはここが社交の場だとおっしゃいました。ですので、この場合はわたしが待つ方だと判断したのですが、どうやらわたしが子爵令嬢だという情報しかないようですね」
公爵家の嫡男と子爵令嬢では、明らかにシルヴィアが下位の存在だ。たとえ侯爵家の後ろ盾があったとしても、普通はシルヴィアから挨拶するのが道理。
ただし、それは正式な夜会ならば、だ。
夜会は成人した者しか足を踏み入れることはできない。ゆえに序列に関しても爵位が優先されるが、ただの社交の場は、成人と未成年が同時に存在することもある。
そして、その場ではどんなに後ろ盾が立派であっても、一応未成年は成人よりも下位の存在として扱われる。
もちろん、だからと言って下位の当主が上位の嫡男に挨拶しろと命令することはしないし、気を使って先に挨拶する場面もあるのだが。
つまり、現時点では相手より成人しているシルヴィアの方が立場が上なのだ。
角が立たないようにシルヴィアから挨拶しても構わないが、子供だけでなく大人たちもこの様子を横目で観察している場所で、序列無視はできない。
無視してしまえば、それがクラーセン侯爵家を侮らせることにもつながるからだ。
「わたしは子爵令嬢ですが、すでに成人しています。ですので、社交の場ではあなたから挨拶するのが道理ですよ。もし間違っているのでしたら、ぜひ教えていただきたく思います」
おそらく言い返すことはできない。
シルヴィアの言っていることは正しいからだ。
アルゼルムは口元は笑みを残したままなのに、弧を描いていた目じりが上がっていた。
しかし、反論がこないことを考えると、シルヴィアの言っていることが正しいと判断する理性はあるようだった。
「……そうですね、さすがは実技も私より上なだけの事はある」
「ご成人された暁には、必ずわたしの方から挨拶に伺います」
アルゼルムは、シルヴィアの白い手袋に包まれた手を取って、軽く口づける。
とても様になっているが、態度が良くない。
わざとシルヴィアの手を強く握っている。
一瞬痛みに笑みが崩れそうになったが、それに耐えた。
「それでは、よい夜を――」
別れの挨拶は短く、相手が去っていく。
シルヴィアはふうと肩の力を抜いた。
「シアさん……、手を見せてください」
固い声でバンフォードが言う。
すべて見ていたバンフォードは、アルゼルムがシルヴィアの手を強く握っていたことも見抜いていた。
「大丈夫ですよ、大したことではありません」
これくらいの嫌がらせは想定内だ。
むしろ、これくらいで収まったのは、隣にバンフォードがいたからだった。
背が高く肩幅も広いバンフォードは、立っているだけで威圧的にも感じる。
「ダメです! 男の力を甘く見てはいけません」
バンフォードは引く気がないようで、シルヴィアを少し強引に会場の外に連れ出した。
バンフォードにとっては母校。そのため、迷いなく進んでいく。
そして、広い噴水広場のような場所にやってくると、ベンチの座ってシルヴィアの手袋を外す。
「赤くなってます」
「なっていませんよ、嘘言わないでください」
外は寒いが、バンフォードが肩から掛けてくれた上着のおかげで温かかった。
それに、会場が熱気に包まれていたので、火照った頬にはむしろ、冷たい風が気持ちよかった。
「見苦しい嫉妬を女性にぶつけるなんて、あんな心の狭い男にはなりません」
変な決意を表明するバンフォードは、ポケットから小さなケースを取り出した。中には白い滑らかな塗り薬。
「一応塗っておきます。大丈夫だとは思いますが痛みが強くなったら、すぐに言ってください」
ゆっくりと薄くのばしていく。
塗り合わると、シルヴィアが手を鼻に近づけた。手からいい匂いがする。
「いいですね、すごく好きな匂いです」
「季節ごとに匂いを変えてもいいかなと思いまして」
ほかにも、と言って取り出したのは、こちらも小さなケースで、開けると淡いピンク色の紅が入っていた。
「最近シアさんが乾燥して唇が荒れるって、言ってたので作ってみました」
「……わたし、そんな事言っていましたか?」
バンフォードの言った通り、冬は肌が全体的に乾燥する。
それは唇も同様だったが、以前はマトリアスク商会の軟膏を使い、今はバンフォードが調合してくれているものを使っているので、そこまで肌が乾燥で荒れることはない。
「すみません、アデリーンと話しているところを聞いていまして」
立ち聞きしていたらしい。
「わたしが普段使っている色ですね」
「はい! どこのものか探して、色々試してみました。紅と薬品の割合をどうするのか、そこが難しいところです。紅が多いと効果が少ないし、薬品が多いと紅の色がきれいに出ません」
楽しそうに実験結果を話すバンフォードは目がキラキラしている。
「試作品をたくさん作って、ようやく満足するものができました。きっとお化粧直しするでしょうし、よかったら試してみてください!」
軽い化粧道具を持つのは貴婦人のたしなみだ。
使用人がいない場で何かあっても、自分で対応できるように。
「ありがとうございます。でも、今でなくてもよろしかったのではありませんか?」
屋敷でも渡す時間はあったはずだ。もちろん、帰ってからでも。
「準備をして出かける前に、目につきまして……」
「目についたから、持ってきてしまったんですか?」
「……そうです」
「それだけですか?」
「そ、それだけです」
頬が赤いのは、火照っているだけではない。
それはバンフォードの様子を見れば明らかだった。
シルヴィアは、冷やされた頬を再び少し熱くしてバンフォードに言った。
「バンフォード様……以前頑張った際にご褒美が欲しいとおっしゃっていましたね?」
「え?」
それはクラーセン侯爵家で開催された夜会の前の出来事。
バンフォードもすぐに思い至る。
「わたしも頑張ったのでご褒美が欲しいと言ったら、我儘ですか?」
「そ、それは――……、どういった?」
「バンフォード様がお考えになる方法で」
ごくりとバンフォードの喉が上下する。
「ぼ、僕にとってのご褒美かも……」
そんな事を呟きながら、バンフォードがシルヴィアの方に腕を回す。
ここ最近、あまり触れ合うこともなくなっていた。
シルヴィアが勉強で忙しかったせいだ。
シルヴィアもバンフォードが欲しかった。側にいてほしい、触れてほしい。そういう気持ちが大きかった。
吐息が近づき、シルヴィアはそっと目を閉じる。
すぐそばにあるバンフォードの体温がより近くに感じた。
その時――。
パキリと小枝を踏む音と、素っ頓狂な声が二人の甘い空気を遮った。
「え!? え……あ……、す、すみません!」
慌てたように、踵を返そうとしているのは褐色の髪の学生。
暗い夜でも、はっきりとわかるくらいには真っ赤にになっていた。首まで。
「わ、悪気はなかったんです!!」
叫んで逃げ出そうとしている学生は、しかし、逃げ出す前に後ろからやってきた人物のせいで逃げ場を失って、さらに慌てていた。
「話が終わってないのに、逃げるなんていい度胸じゃない!」
その声に、バンフォードががっくりと項垂れて、シルヴィアの肩口に顔を埋めた。
シルヴィアはシルヴィアで、恥ずかしさで顔が上げられなかった。
しかし、二人の事情などお構いなしに、二人がよく知る人物が、ベンチで抱き合っている二人を見つけた。
「……二人とも、こんな場所で何してるのよ。……お兄様、時と場所を考えてるって言ったのは嘘だったわけ?」
アデリーンは腕を組んで仁王立ちしながら、二人に呆れた声で言った。
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