6.
身体の大きいバンフォードに抱きしめられると、シルヴィアはその腕の中にすっぽりと隠れてしまう。
まるですべてから守られているかのような錯覚に陥る。
シルヴィアは、自然と目を閉じて身体の力を抜いた。
温かい人肌に、すごく癒されていた。
「シアさんが教えてくれた、元気づける方法です」
「わたし、ですか?」
「はい、人肌の心地よさと安心感は、気持ちを落ち着かせてくれます」
時々緊張もしますが、と照れくさそうに笑っている声が振ってきた。
「余裕がないときは、悪いことを考えてしまいます。僕もそうですし、なんなら僕はシアさんにその苛立ちをぶつけたこともありましたね」
そういえば、そんなこともあった。
「シアさんは、どんなことがあってもずっと僕の味方であり続けると知っています。だからこその甘えだったのかもしれません。シアさんも、もっと僕を頼ってください。それに、結果がどうであっても、今はそこまで馬鹿にはされませんよ。ほとんどの人が試験の実態を知っているのですから。むしろ挑戦しようと思えるくらいの能力がある方に驚かれます」
そんなものだろうかと、バンフォードの胸に顔を埋めて考えていた。
でも、なんだかホッとしたのは間違いない。
「……ところで、シアさん。マティアス様とは――……どうですか?」
「どう……とは、どういう意味ですか? マティアス様は良い家庭教師の先生だと思います。すこしスパルタなところはありますが、質問には簡便に返ってきますし、わたしができないことを馬鹿にすることもないです」
少し顔を上げてバンフォード見上げると、なんとも言えない微妙そうな表情で、バンフォードがシルヴィアを見下ろしていた。
「あの……?」
「マ、マティアス様は……魅力的でしょう?」
「ええ、そうですね。世間一般的には、大変魅力的な男性だと思いますが……」
それは否定しない。
男性的かと言われると少し違うが、その美貌は女の自分が少し嫉妬しそうなほどだ。
クラーセン侯爵と同年代と言う割には、肌の衰えは感じないし、手入れをしているようには思えない髪は、サラサラの艶々だ。
その辺の道端を歩いていれば、絶対注目の的になることは間違いない。
ただし、それは世間一般的な評価だ。
しかし、バンフォードはずんと落ち込んだように顔色が暗くなった。
「み、魅力的……」
その顔を見て、ようやくバンフォードが何を言いたいのかシルヴィアは気づいた。
何を考えているのか、まるわかりのような顔色に、こっそり笑いそうになった。
「ええ、とても。少し粗野なところはありますが、そういったところも魅力的なのかもしれません」
ちなみに、アデリーンも目を輝かせていたが、夫にと言われれば絶対に嫌だと言っていた。
「ですが、わたしはバンフォード様の方が魅力的ですので、マティアス様に靡くことはないと思います」
えっ、とバンフォードが驚いたようにシルヴィアを見ていた。
「わたしの気持ちを疑われるのは心外ですね。確かに年齢とか差し引いても魅力的だと思いますが、夫としてはどうかと問われると、わたしは遠慮したいです」
バンフォードが目を瞬いた。
「なぜですか? マティアス様は今は平民ですけど、かなりお金は持ってますし、男の甲斐性はあると思います。それに、見た目もすごく整っていますし」
「それはバンフォード様もですよ。平民ではありませんが、他の今あげたものはすべて、バンフォード様だって兼ね揃えています」
シルヴィアは、くすくす笑いマティアスに嫉妬心を覗かせているバンフォードにきっぱりと言った。
「すごく疲れそうだなと思いまして」
「疲れる?」
「なんと言いますか、ご自身でなんでもできてしまわれる方なので、行動力があるみたいなんです。過去のお話を聞いていると、そのように感じました」
なんでも、思い立ったら行動する――というのがマティアスのようで、クラーセン侯爵もその自由な存在に苦労していそうだった。
「クラーセン侯爵様を見ていると、ずいぶん振り回されていたようでして……。家族になったら、少しは気を使ってくれる可能性もありますが、性格はどうしようもないですからね」
自分勝手と言うわけではないが、おそらく相手が引く場面が多くなるだろうと想像できた。
「わたしは、夫婦は対等な関係でいたいと思いました。ぶつかることはあっても、話し合いで解決できればと。マティアス様の場合、弁がお立ちになりますから、完璧に論破されてしまいそうです。それに、女として少し嫉妬してしまいそうなので」
むしろ、後半の方が本題だ。
「嫉妬?」
「マティアス様は、本当にお綺麗です。そのため、女として隣に立ちたくはありませんね。絶対見比べられるので」
「シアさんの方がお綺麗です!」
すかさずバンフォードが言うと、シルヴィアが苦笑した。
「ありがとうございます。この先もずっとそう思っていただけるように努力しますね」
実はアデリーンも同じような事を言っていた。
女の自分より肌も髪もきれいな男はごめんだと。
マティアスの隣で並んでいられるのは、マティアス以上の絶世の美女か、自分に相当自信のある勘違い女かしかいない、と断言していた。
まあ、本当に好きなら容姿は関係ないと思っているが。
実際シルヴィアは、バンフォードの容姿が整っているから好きになったわけじゃない。
太りやすい体質のバンフォードが、この先再び出会った頃のように太ってきても、愛せる自信がある。
「バンフォード様とお話したら気持ちが落ち着きました」
「よかったです。あ、これ以上ここにいると風邪を引きそうですね。部屋に戻りましょうか?」
並んで部屋に向かう間も、バンフォードが側にいる安心感がシルヴィアに勇気をくれた。
弱気になっていた気持ちが、前向きに戻る。
「ここまでありがとうございます」
「当然です」
バンフォードが笑いかけ、シルヴィアのそれに応える。
激しい恋の感情ではないが、確かな愛情はどちらにも伝わっていた。
しかし、そんな穏やかな空気を壊すものがどこにでもいるもので。
「お前ら、いつもそんな感じなの?」
廊下に響く声は、マティアスのものだ。
どこから見ていたのか分からないが、呆れたようにこちらを見ていた。
「どういう意味ですか?」
途端に不機嫌になるバンフォードが、言い返す。
「今時、貴族院のガキだってもっと進んでるだろうに……」
こちらにやってくるマティアスの手には数冊の本。
おそらくシルヴィアのためのものだ。
「これ、読んでおけよ」
「え、僕ですか?」
バンフォードが渡された本のタイトルを何気なく読み、顔を真っ赤にしていた。
「な、ななな!」
「ヴィンセントに、お前の教育も頼まれたんだよ。俺の専門は、経営学だから。まあ、他にも色々な」
ポンと肩を叩いて去っていくマティアスに、バンフォードが睨みつけて、シルヴィアに言い聞かせるように言った。
「シアさん! あの男が何を言っても、勉強以外では参考にしてはいけません! 絶対です!!」
必死すぎる態度に、一体何を渡されたのか気になった。
「あの、一体何を渡されたんですか?」
「……シアさんが知る必要のないものですからね。絶対にマティアス様にも聞かないでください」
さすがにそこまで言われれば多少察するものはあった。
それ以上深くは聞かず、シルヴィアは頷くだけにとどまった。
その後、シルヴィアは貴族学校の卒業資格試験に挑んだ。
その結果、見事合格を果たすが、その合格点が過去トップクラスの成績だったために、様々な教育機関から勧誘が来たが、それはまた別のお話。
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この番外編はここで終了です。