4.
「早速で悪いが、とりあえずこれやってみてくれ」
シルヴィアが渡されたのは数枚の問題用紙。
軽い挨拶程度だとクラーセン侯爵から聞いていたが、時間もないことから早速授業に取り掛かるようだった。
「これくらいの問題は、挨拶程度だ」
さすが王立アカデミー主席卒業者は言うことが違う。
ざっと見ただけでも、相当な難易度だというのに、これを挨拶程度と言うとは。
「わかりました」
「分からんところは無理に考えず、飛ばせ。考えるというのは、理解していないともとれる。瞬時に理解できるくらいにならないと、試験時間が足りない」
試験は午前中に筆記試験、午後に実技試験の二部構成だ。
どちらも難易度は高いが、より筆記の方が難しいと聞いている。
問題量に対して時間が少ないと、バンフォードが言っていた。
「貴族学校では、二日で行う試験を一日にまとめてるんだ。外部の人間のために、そう長い時間が取れないという理由で。平等性の全くない試験だが、だからこそ合格すれば貴族社会でも一目置かれる存在になれる」
不平等はどこにでもあるが、その困難を乗り越えれば、人は成長し認められるようになる。
不平等であればあるほど、その効果は絶大だ。
「効率よく教えるためには、理解度がどれほどか俺が知らねばならん。これは過去の問題を真似て俺が作ったものだが、そう間違っていないはずだ。問題数は少なめにしてあるが、一通り網羅してる。今から――、そうだな……昼に入るまでの間でやってもらう」
突然の試験だが、マティアスの言っていることは正論だ。
「わかりました」
シルヴィアは、気合を入れて渡された問題に取り掛かった。
一番初めはアデリーンの苦手な計算問題だった。
しかも、いきなり難易度が高い。
いくつもの公式を使用し導き出すような計算に、いきなりくじけそうになった。
シルヴィアは、とりあえず飛ばすことにする。
簡単な問題もあるにはあるが、ひねくれて居る。
これが貴族の在り方なのだろうか……。まっすぐな問題ではひねくれた考え方をするのは。
ほかに歴史や政治、経済、経営学なんてものもある。
記憶力を試されるものは、なんとなく出来た。
美術学や作法学に関しては、全て埋めることができたのは、おそらく子供の頃の記憶が関係している。
作法に関しては母から学び、その関係で美術学もさわりを習っていた。
真剣に取り組んでも、半分埋まるか埋まらないか。
マティアスの声で、試験が終了したが、まずまずとさえ言えない出来だった。
マティアスは、採点しているのかシルヴィアの解答を次から次へと流し見て、顎に指をあてた。
「……バンフォードから勉強を習っていたんだったか?」
「はい。ただ、最近は独学で……」
「貴族学校には通っていないんだな? お前の事は多少知っているが、まともな教育は受けていないと聞いたが」
「十歳までは、両親から教わっていましたが、それ以降は……」
マティアスは、全ての解答を見たのち、問題用紙をばさりと机に置いた。
「あの、やはり無謀でしたでしょうか……?」
目をつぶって今度は、ひじ置きを指でトントン叩いている。
なんとも言えない気まずい沈黙だ。
ダメなのか、そうじゃないのか。
シルヴィアの心臓が緊張で大きく打っている。
長く続く沈黙に耐えられず、先に口を開いたのはシルヴィアの方だった。
「マティアス様?」
「ああ、そうだな……」
悩んでいる姿に、シルヴィアはため息をつきそうになった。
やはり、かなり無謀だったかと。
試験は何歳でも受けられるので、一年先送りにしても問題ない。
ただし、シルヴィアはすでにデビューしているので、この先、先々で問題になりそうだったので今年の合格を目指していた。
マティアスは目を開くと、眼鏡を押し上げた。そのふちがきらりと光り、なぜか悪い予感が過った。
「一つ提案が――……」
ようやくマティアスが口を開いた。
だが、その時、マティアスの言葉を遮るように部屋の扉がノックされた。
緊張していた分、シルヴィアの肩が盛大に上下する。
「……入ってもらえ」
マティアスの方も気がそがれたのか、シルヴィアに指示を出す。
時間は昼食の時間になっている。
そのため、使用人が昼食の事を聞きに来たのだと思い、シルヴィアは肩の力を抜き返事をした。
しかし、予想に反して部屋の中に入ってきたのはバンフォードだった。
「バンフォード様! ご用事は終わったんですか? 夕方くらいまではかかるとお聞きしたのですが……」
「ええ、問題ありませんよ」
「問題ないわけあるか。ヴィンセントがお前に言い渡した用事は、どんなに最短でも夕方までかかるやつだぞ」
立ち上がってバンフォードを出迎えるシルヴィアの背から、マティアスの胡散臭げな声。
その声に、バンフォードがぎょっとしてシルヴィアの背後を見た。
そして、目を見開き驚愕している。
指で相手を指すのはマナー違反だが、バンフォードはそれすら忘れて相手を指さして、シルヴィアとマティアスを交互に見た。
「な、な、な! なんで、マティアス様が!」
「そんなの、ヴィンセントに呼ばれたからに決まってるだろ」
「か、家庭教師って、まさか――!!」
「俺の事だよ、絶対お前が知るとうるさそうだから、ヴィンセントに頼んだのに……何したんだよ」
思い切りため息をつくマティアスが、椅子の背に背中を預けながら、バンフォードの方をからかうように見ている。
バンフォードは勢いよくシルヴィアの手を取って、言い募った。
「シ、シアさん……! 今すぐ叔父上のところに行きましょう! この人が家庭教師だなんて絶対にいけません! 何を教えられるか分かったものではありません!!」
「何気に失礼だな、お前に王立アカデミー受験の時勉強教えたのは誰だと思ってるんだよ」
「教えられたからこそ、僕は大反対です!!」
なぜか頑ななバンフォードに、シルヴィアが首を傾げた。
「何を教えていただいたんですか?」
「そ、そそ、それは――……」
言いづらそうにしりすぼみになっていくバンフォードとは対照に、マティアスがにやにや笑っていた。
「別に、普通だよ。ちょっと、スパルタ気味で教えはしたが。ま、あの時は俺もまだ若かったから」
「若いとか、若くないとかそういう問題ではありません!!」
目を吊り上げて、バンフォードが叫ぶ。
確かに、これくらいの問題は挨拶程度、なんて言いながら突然問題用紙を渡されたので、なんとなくバンフォードが言いたいことがわかる。
本人が認めるように、スパルタだったのは間違いない。
「まあちょっと、落ち着いて、こっちに座れ」
「誰があなたの正面なんかに――……」
「バンフォード様、座りましょう?」
バンフォードはよっぽどマティアスが苦手なのか、マティアスを無視してそっぽを向きそうになったので、このままでは話が進まないと感じたシルヴィアが、バンフォードに促す。
「……シアさんが言うなら」
「すでに首輪つけられてるのか……」
しぶしぶ従うバンフォードに、マティアスが茶々を入れる。
しかし、それには反応せずバンフォードが大人しく席についた。そして、机の上の問題用紙に気づく。
「これ、マティアス様が?」
「まあな。ちょっと試しに。どこまでできるか知らなきゃ話にならないだろう?」
肩をすくめるマティアスが、問題用紙を取ってバンフォードに渡す。
バンフォードはそれを無言で受け取り、パラパラと見ていく。
解答しているのはシルヴィアだ。
王立アカデミー主席卒業者の二人に見られていると思うと、色々と至らない解答に肩身が狭い思いだ。
「……マティアス様、これは――……」
しばらくすると、バンフォードが困惑したように、マティアスの方へ顔を向けた。
「気づいたか? 俺もまさかな、とは思ったが……、これは明らかな事実だ」
二人の間で会話が成立し、シルヴィアは全く分からない。
バンフォードの方は困惑しながらも、だんだん目つきが厳しくなっていく。
「これは俺の想像だが、お前が教えていたというのもあると思ってる」
「……僕は全く自覚ありませんでした」
「だろうな、逆に自覚して教えてたら怖いぞ」
マティアスに指摘されたバンフォードが、肩を落とす。
そして、二人そろってシルヴィアに顔を向け、マティアスが、ふうと息を吐きだしながらシルヴィアに言った。
「結果から言う。お前、おそらく貴族学校の試験には受からないぞ」
と。
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