3.
バンフォードと話をした三日後、シルヴィアはクラーセン侯爵が雇った家庭教師と対面していた。
初日は挨拶と、シルヴィアがどこまで知識があるのかの確認程度の予定。
バンフォードも立ち合いたかったらしいが、クラーセン侯爵より用事を言いつけられて、家庭教師が来る前に屋敷から追い出されていた。
「マティアスだ。よろしく頼む」
「シルヴィア・ハルヴェルと申します。よろしくお願います」
マティアスと名乗った男性は、長い銀髪を無造作に一本で結び、細い眼鏡をかけている。
時折眼鏡の中央を押し上げている指が、長く綺麗だ。
さわやかな新緑のような瞳が、シルヴィアを観察するように見ている。
年のほどはクラーセン侯爵と同年代だと聞いたが、これほど容姿が整っている相手が教師だとは知らなかった。
欠点を上げるのなら、切れ長の目が若干鋭く怖いくらいだろうか。
クラーセン侯爵も容姿に優れているので年齢不詳なところがあるが、相手はそれ以上だ。
形容しがたい美というのは、こういうことかと一人で納得してしまった。
細身の長身で、足を組む姿がなぜかエルリック以上に似合っていた。
なんというか、まさに王者の風格……、とでも言った方がいいかもしれない。
クラーセン侯爵からは会えば分かるとしか言わず、実は名前も今知った。
なぜ黙っていたのかは分からないが、とりあえずクラーセン侯爵が雇うのだから優秀なのだということは分かる。
経歴はかなり謎だが。
「ふーん……、まあまあ進んでるな。残り一か月半……、どこまで教え込めるか……」
シルヴィアは先に、どこまで勉強が進んでいるのかバンフォードと使っていた参考資料とノートを渡した。
すると、マティアスがぺらぺらとそれを捲った。
「そういえば、俺の事ヴィンセントから何か聞いたか?」
マティアスは雇われ人だが、彼は相当自由人のようで、雇われた先の教え子に敬語を使うなんてことはしないようだ。
シルヴィア自身その方がやりやすいので、特に何も言わなかったが、まさかクラーセン侯爵を呼び捨てにできる相手だとは思わなかった。
「ええと……、ほとんど何も伺っていないんです。ただ、会えば分かるからと……」
「で、会って何か分かったか?」
ページをめくる手を止めずに、マティアスが聞いてくる。
とりあえず、少々変わっている方ということは分かりました――とは言えず、別の答えを口にした。
「……王立アカデミーの主席卒業者の方ではないかと」
ふいに、ノートから顔を上げて、目を何度か瞬いた。
「よく分かったな。どうして分かった?」
王立アカデミーには変人奇人が多いと聞いていますので――とも説明できず、なんとなくとだけ答えた。
「察しがいいのは悪くない。次期侯爵夫人として、目端が利くのはいいことだ。ちなみに、貴族学校も主席で、バンフォードとは先輩後輩になるなぁ。懐かしい、あの気の小さいガキが大人になって、婚約者ができるとは……。エルリックよりも早く結婚するとは思っていなかったな」
「エルリック様の事もご存じなんですか?」
「知ってるとも、そもそも上級騎士を知らない人間が、この国にいるとは思えんがな」
確かにその通りだが、それ以上にバンフォードとエルリックの事をよく知っている様子だ。
クラーセン侯爵の名前を呼び捨てで呼べるくらいには親しいのだから、二人を知っていてもおかしくない。
「ほかに何か聞きたいことは?」
どうやら身辺情報の質疑応答の時間だったようだ。
「あの、マティアス様は貴族の出身ですよね?」
「そうだが?」
「家名を教えていただくことはできるのでしょうか?」
「今はない、というか返上した」
「返上……ですか?」
「返上だ。つまり、事実上俺は平民だから、そうかしこまらなくてもいいぞ」
貴族の家名を返上するのは、様々な理由があるが、一番大きな理由は、貴族の品位を保てず、一年に一度支払う税を納められなくなった時だ。
リリエッタの実家がこれにあたる。
貴族位の返上は不名誉になるため、あまり大っぴらにすることはない。
それに、聞くのも戸惑う。
しかし、マティアスの方は全く気にしていないのか、シルヴィアの戸惑いも無視して事情を説明していった。
「世間のしがらみがクソ面倒になって返上してやった」
――そんな理由で、
「……できるんですね」
「基本的に家名の返上は当主の一存でできるが、普通は周りが引き留めにかかる。特に、金銭的にも立場的にも何も問題がないのならな。そもそも、働いている者へ不義理を働くことになるし、普通はやらない。俺の場合は相当特例だ」
さすが王立アカデミー主席卒業者やることが違う、とずれた感想が脳裏を巡った。
バンフォードも薬の分析に関しては、相当おかしな能力を持っているが、その非じゃない。
下手をすれば、世間一般的な常識が欠けている、と思われてもおかしくない。
「もう十五年前の話で、俺は別に後悔していない。それにほぼ名ばかりな貴族の位にしがみついて何になる? 領地があれば、多少なりとも考えるが、俺の一族は中央政界一家で領地もなく、貴族年金と王城官吏の給金だけで暮らしていた。つまり、貴族の家名が一つ潰れたところで、雇っていた使用人以外は誰も迷惑は掛からない」
むしろ歓迎されるだろう、とも言った。
「貴族年金が減り、中央政界の席が一つ空く。強欲な貴族は、これを大層歓迎するだろうね」
貴族年金はともかく、中央政界につながる道は確かに魅力的だろうと思った。
「もともと、俺は政治家向きじゃない。その点、ヴィンセントは政治家向きだな。油断して死にかかったとは聞いたが、案外しぶとい。バンフォードは優しすぎる側面があったが、人は変われば変わるものだな」
親戚の子供の成長を喜ぶように、マティアスはしみじみ言った。
そして、ああそうだ、と言葉を切った。
「一応俺の元の家名は伝えておこう。ヴァッファローデ家だ。しがない政治家一家だよ」
「ヴァ、ヴァッファローデ!?」
驚きで声がひっくり返りそうになった。
「お、十五年前なんて、まだ右も左も分からん子供なのに、知ってたか」
知ってるも何も……。
「ヴァッファローデ公爵家の事を知らない方はいないかと、王妃様を何人も排出した家柄では家柄ではありませんか」
「気を使わなくていいぞ。ただの政戦に負けた間抜けな一族だから。議長席に長く座りすぎて、権力に固執しすぎた結果だな。ほとんどがデマだが、汚職に脱税、裏金作り……、まあ色々言われたな。返上と言ったが、実際は迫られていた。貴族位を返上するか、身の潔白を証明する裁判に立つかを」
「身の潔白を証明されなかったんですか?」
「してもよかったが、どちらにしても全くの白ってわけでもなかった。俺は関与していなくとも、親族が関与していれば責任とる立場なのは俺さ。まあ、そんな感じで返上した。別に一人で生きていけるくらいには俗世に染まってたし、王立アカデミー主席卒業者は名誉男爵に地位も手に入るが、それを断る代わりに年金だけはつけてもらった」
シルヴィアが想像するよりすごい経歴の持ち主で、なんと言っていいのか分からない。
「ヴィンセントとは、まあ友人だな。その関係で、バンフォードとエルリックの事もガキの頃から知ってるのさ。今回、珍しくされた頼まれごとだから、ここまで出張ってきた。基本的には、年金暮らしの暇人さ」
「わざわざありがとうございます」
「俺が来たからには、絶対に合格してもらう。俺が教えて落ちたなんて不名誉、絶対に許さん」
最後、何か含みがありそうな鋭い視線を向けられたが、シルヴィアはただ一言、がんばりますとだけ言った。
マティアスはその答えに満足そうに頷いた。
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番外編というか婚約者編なのでは? と思い始める今日この頃…・・・。