2.
貴族学校の卒業資格試験とは、貴族学校を卒業した者と同等の教育を受けていると証明する資格だ。
本来、貴族学校に入学した者しか与えられることのなかった卒業資格だったが、王族の中に身体の弱い王子が生まれたことにより、できた制度だ。
学校に通わなくても、卒業者と同等の知識が身についていると証明されれば、卒業者と同列に扱われるようになる。
近年受けるものがおらず、形骸化した試験だったが、現在でもそれは有効だった。
シルヴィアはそれを受けようと思っていた。
しかし、エルリックが難しい顔でシルヴィアに言った。
「それ、どういう試験か分かってる?」
「ええ、一応は……。かなり以前の話になりますが、バンフォード様に聞いたことがございます」
それは、シルヴィアがバンフォードに勉強を教わりだしてしばらくたった頃の事だ。
どういった経緯かは忘れたが、貴族学校の卒業の話になった。
貴族学校は入学資金さえあれば、とりあえず入学はできる。
その後進級のために定期試験があるのだが、卒業する際にも同じく卒業試験が実施される。
一応落第点というものもあるのだが、落第する者はほとんどいないらしい。
まあ、目の前の御仁は過去に危機的状況だったらしいが。
そして、卒業資格試験はこの卒業試験を運用しているものだが、合格点が違う。
以前は同じくらいの得点だったらしいのだが、貴族学校を出ていないのに卒業資格があるのが気に食わない一部の権力者によって合格点が跳ね上がった。
そのため、ここ近年この卒業資格試験を受ける者はいなかった。
受けたとしても、落とされる可能性が高いからだ。
もし受けて落ちれば、貴族学校も出ていない低能な存在にはやはり無理だろうと、嘲笑われるからだ。
そもそも、合格点が違うのに落ちて笑われるというのもおかしなものだが。
貴族のお偉い方の感情はシルヴィアには理解できない。
しかもバンフォードが語ったのは、この試験の難易度だった。
実は、この試験内容は貴族学校のものを使われていると言われているが、実際はかなり高度な内容らしい。
なにがなんでも落とす、そんな悪意を感じるとバンフォードは言っていた。
「難しいことは分かっていますが、努力次第で変えられる未来は、頑張りたいと思います。わたし自身も悩みました。バンフォード様に言ったら、反対されるかもしれないとも」
落ちた時の事を考えれば、やはりやめた方がいい気もした。
最終的に迷惑かけるのは、クラーセン侯爵家だからだ。
「実は、クラーセン侯爵様は賛成してくださっていて。自信があるならやってみろと」
「自信があるの? シアちゃんは」
「まったくあるのかと問われると、疑問の残りますが、はじめから無理だと分かっていれば、はっきりとクラーセン侯爵様はお止めになるのではないかと思います」
「あー、そうかも……」
「それに、実はクラーセン侯爵様から家庭教師をつけてくださると提案もありまして」
勉強に関してはバンフォードに頼る手もあるが、そもそも彼は現在とても忙しい。
解毒薬の研究や、論文発表。
王城にも呼び出されたり、そのほかに次期クラーセン侯爵として学ぶべきこともある。
「そっか、時間足りるかな?」
卒業資格試験は、実際の貴族学校の卒業試験より早く行われる。
そして、結果はその日に分かるようになっていた。
受験する人数が限りなく少ないので、採点などはすぐに終わるからだ。
「今は秋も半ばだよ。試験は例年冬に社交シーズン前に行われるから、そんなに時間もないよね?」
「今のところ、わたしにはそこまで予定は入っていませんので集中して勉強します」
様々な社交のお誘いは来ているが、今はまだ様子を見ている段階だ。
クラーセン侯爵にも言ったようにリリエッタにも相談しているので、試験が終わるまではおそらく社交の勉強も中断される。
「バンにはまだ伝えてなかったよね?」
「はい、実は今日お話しするつもりだったんです。本日、クラーセン侯爵様から家庭教師が決まったと知らされまして。先に言えば、バンフォード様は無理をしてでもご自分で勉強をみると言いそうなので、黙っていました」
「これ、起きたらバンがなんていうかな?」
「怒るでしょうか?」
「怒りはしないだろうけど、拗ねるかもしれないな」
「でしたら今から機嫌を取る方法を考えておきます」
シルヴィアがゆっくりと笑みを浮かべると、ごちそう様と言って、エルリックが立ち上がった。
「すっかり遅くなったけど、もうそろそろ帰るよ」
「お泊りになっても大丈夫ですが……」
「いや、帰るよ。バンの事よろしく」
話すことだけ話すと、エルリックは帰って行った。
シルヴィアは休む前に、一度バンフォードの様子を見に部屋に立ち寄った。
部屋は暗く、シルヴィアが扉を開けると廊下の光が中に差し込んだ。
寝かせた時は丸まっていたのに、今は仰向けで眠っている。
アルコールに強いからこそ、酔うほど飲むというのは、一体どれほど飲んだのか想像もつかない。
お酒の類は、一気に大量に飲むと中毒症状で倒れることもあると聞いているが、ベッドのふちに座って様子を窺うと、呼吸は穏やかだ。
額にかかった髪をそっと除けるていると、シルヴィアの手にバンフォードの手が触れた。
「起こしてしまいましたか?」
「……ずっと、起きてました……」
顔に手を当て、身体を起こすバンフォードに、サイドテーブルに準備してある水をグラスに注いで渡す。
「あ、ありがとうございます」
いつもより動きが緩慢で、身体が酒精のせいで思う様に動かないらしい。
「……エルリックから、聞きました?」
「聞きました」
「呆れましたか……?」
「なぜですか?」
「僕が子供っぽく、怒ったからです……」
シルヴィアはいいえ、と答えた。
「わたしのために怒ってくれたと聞きました。でも、今後は少し我慢してくださいね。お友達も悪気があったわけではないと、エルリック様から伺いましたので」
「分かってます……、彼らが僕を心配してくれていることくらいは……」
ずっと会っていなかったのに、それを口にすることなく歓迎してくれたのだと、バンフォードは俯きながらシルヴィアに言う。
シルヴィアは静かに相槌も挟まず、バンフォードの話を聞いた後、ゆっくりと話出す。
「バンフォード様、わたし今言わなければいけないことがあるんです」
「なんですか?」
うつむいていた顔をシルヴィアに向け、バンフォードがかすかに首を傾けた。
「わたし、貴族学院卒業資格試験を受けようと思うんです。すでに、クラーセン侯爵様やリリエッタ様には相談していて、本日家庭教師も決まったんです」
「え?」
半覚醒状態なのか、ぼんやりとした口調だ。
「すみません、勝手に決めてしまって。でもバンフォード様に先に相談したら、反対するか、もしくはお忙しいのに時間を作って、わたしの勉強の面倒を見ると言い出しそうだったので」
すみません、とシルヴィアは謝罪する。
「それは……僕の、せいですか?」
なぜそこでバンフォードのせいになるのかさっぱり分からなかった。
「僕が、頼りないからですか? もっと強くて誰も文句が言えないくらいの男なら、シアさんに苦労を掛けることもないのに……」
「バンフォード様、それは違います。わたしたちはこの先夫婦になりますが、どちらか一方が守るだけではだめだと思います。わたしの事をバンフォード様が守ってくださるように、わたしもバンフォード様を守りたいんです。そのためには、様々な事を知る必要があると感じました。ですから、これは自分のためです」
シルヴィアははっきりという。
これは自分で決めたことだと。
バンフォードに話さなかったのは、頼ってばかりではだめだと思ったから。
「……シアさん、僕ももっと大人になります」
「バンフォード様は、大人と子供を行ったり来たりするぐらいがちょうどいいと思います」
主に、子供のようなバンフォードをシルヴィアが可愛がれるので。
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