1.
「久しぶり、シアちゃん!」
「エルリック様、お久しぶりです……あの、バンフォード様はどうされたんですか?」
エルリックが明るくシルヴィアに挨拶する。
その頬は少し赤い。
しかし、シルヴィアが驚ように見ているのはバンフォードの方だった。
エルリックに支えられてよろよろ歩いている。
「ほら、家に着いたぞ」
「うぅ……シア、さん」
エルリックから離れたバンフォードが、ふらふらと両手を広げてシルヴィアに歩み寄る。
その顔は真っ赤で、抱きつかれると酒精の香が強く身体から匂ってきた。
「バンフォード様、大丈夫ですか? ご気分が悪いなんてことは――」
「ぼ、僕は、僕が……」
呂律の回っていないような意味不明な言葉をぶつぶつ呟くバンフォードに、シルヴィアが困惑する。
「一体、何があったんですか?」
クラーセン侯爵邸では晩餐の時、嗜む位程度のお酒を飲んでいるバンフォードだが、もともとそんなにアルコールは弱くない。
なんでも、色々な薬草や毒草を試しているせいで、アルコールへの耐性も強いと聞いていた。
そんなバンフォードは、本日エルリックに誘われて男だけの集まりに参加していた。
シルヴィアが女性の社交をこなすように、バンフォードもまた男の社交をこなす必要性がある。
今回は、引きこもりでほとんど旧友と会っていなかったバンフォードのために、エルリックが主催していた。
「いやー、うん……ほら、いやなことは飲んで忘れろって言うのが鉄板、というか……」
「いやな事……ですか?」
ますますよく分からない。
「うーん……とりあえず、バンを寝かせに行かない?」
エルリックの提案に、シルヴィアは無言でうなずいた。
ベッドに寝かせると、うぅと小さく呻きながらバンフォードは丸まった。
眉間にしわが寄っているが、その姿さえも可愛いくて、くすりと笑みが零れた。
最近、バンフォードがかっこよすぎて困っているので、子供のような姿が懐かしく思う。
「それで何があったんですか?」
場所を変えて、クラーセン侯爵邸の応接室にエルリックと共に腰を下ろす。
酔い覚めの水が欲しいということだったので、お茶ではなく冷えた水を用意すると、エルリックは一気に飲み干して、デキャンタから追加の水を自らグラスに注いでいた。
「あー、今日の事だけどね、ちょっとバンフォードが途中で不機嫌になっちゃって……」
「不機嫌……ですか?」
エルリックが肩をすくめて事情を説明した。
「今日はバンフォードのために、あいつと親しかった貴族学校の友人を集めた集まりだったんだけど、それは聞いてる?」
「はい、エルリック様が主催だとも」
「そう、貴族学校を卒業して、王立アカデミーに進学したバンフォードは、勉強勉強研究研究で、卒業以来ずっと会ってなかったんだ友人連中とは。もともと、そういうワイワイ騒ぐのは好きじゃないやつだし性格もちょっとあれだったからさ、本当に疎遠になってたんだけど、それだけじゃあこの先ダメだろう?」
貴族には貴族のつながりや付き合いがある。
クラーセン侯爵家は貴族の中では影響力が強いが、そのぶんだけの義務もあった。
「ま、ようは旧友と親交を深めあって、何かあった時に味方になってね、みたいなお願いをする予定だったんだよ」
「なんとなく分かります」
シルヴィアも先日のお茶会でクラーセン侯爵家と同じ派閥の女性やリリエッタとアデリーンの友人と親交を深めた。
味方が増えれば、それは貴族社会の社交界では自らを守る盾にもなるからだ。
「それが……、一人の余計な言葉のせいでこじれちゃって。いや、向こうは悪気があったわけじゃないんだけど、バンにとってみたらそうじゃなくてさ。早めにお開きにして、私が愚痴に付き合ってたわけなんだ」
「つまりエルリック様が嫌なことは飲んで忘れろと、バンフォード様をけしかけたと」
「いや、シアちゃん。ちょっと言い方に悪意が……」
「ところで、バンフォード様がそんなに不機嫌になるなんて、どうような事をおっしゃったのでしょうか? よほどのことでは、つぶれるほど飲まないと思いますけど……」
シルヴィアがエルリックの言葉を遮るように言うと、口元を若干引きつらせながら、エルリックが話をつづけた。
「なんとなく想像ついてるんじゃない?」
エルリックがうっとうしそうに前髪をかきあげながら、シルヴィアに笑いかけた。
「わたしの事ですか……」
なんとなく察しはついていた。
基本的には温厚で優しいバンフォードは、エルリックが自分のためにわざわざ開いてくれた集まりの席で、気まずい雰囲気にさせたりはしない。
何か言われても、我慢するくらいの大人な対応はできる。
ただし、シルヴィアの事以外は。
最近、使用人ギルドとの件があってから、バンフォードはますます過保護な気がしていた。
「もしかして、わたしの出自について何か言われたんですか?」
ミモザも言っていたし、それはシルヴィア自身もよくわかっている。
デビューの夜会でも、こっそりそんな事を言われているのは知っていたが、それはシルヴィア自身で認めさせなければならないことだ。
すぐには無理かもしれないが、少しずつでも分かってもらえたらとは思う。
現クラーセン侯爵夫人リリエッタも昔は色々言われていたが、自らで立って歩いている。
お手本が目の前のいるのだから、目指す道は問題ない。
「いや、出自というかね……」
エルリックは言葉を濁したが、隠してもしょうがないと重い口を開いた。
「シアちゃん、貴族学校卒業してないでしょう? それを指摘されてね……」
「それは……」
貴族学校とは、貴族の子供が入学する学校だが、全員が全員入学するわけではない。
教育にはお金がかかるので、あまり家格の高くない家では次男次女以降は入学させない家もある。
しかし、貴族というのは体面を気にする。
そのため、貴族学校を卒業していないというのは、足枷にしかならない。
ようは、教育の面で劣っているとみなされるからだ。
「シアちゃんは、すごくしっかりしているし頭も悪くない。むしろ礼儀作法や所作に至っては上位貴族に匹敵するけど、それを証明する術がほとんどないんだよね。それがクラーセン侯爵家にとっては弱点となりかねない。それを、指摘しちゃったんだよ。悪気があったんじゃなくて、心配してるだけだったんだけど、バンにしてみればそうじゃなかったらしくて」
バンフォードはシルヴィアを侮辱されたと感じたわけだ。
「リリエッタ様のご実家はすでに没落してるけど、リリエッタ様自身は貴族学校を卒業してるから、正直シアちゃんの方が世間からの目は厳しいかも。下位貴族なら気にしないけど、クラーセン侯爵家ほどになると、教育の不足はそのまま家の弱点になっちゃうからね」
エルリックが申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんね、こんな話して」
シルヴィアは慌てて、顔を上げるように言った。
「やめてください、エルリック様。エルリック様が悪いわけではないですから」
「でもね……」
「わたしが貴族学校に行っていないのは事実ですから、きっと言われる日が来るとは思っていました」
それくらいは覚悟している。
家の事も、それ以外の事も。
それに、シルヴィアはある事をずっと考えていた。
「エルリック様、実は少し考えがあるんです。バンフォード様は何もおっしゃいませんでしたが、貴族学校を卒業していない事は事実でも、それをなんとかできる方法がありますよね?」
エルリックが顔を上げて、もしかしてとつぶやいた。
「わたし、貴族学校の卒業資格試験を受けようと思うんです。受かるかどうかは分かりませんし、落ちればさらに悪し様に言われることも分かっていますが、何もやらないよりはいいかと思いまして」
エルリックは驚いたように目を見開いた。
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