2.
バンフォードが連れてきてくれたのは、薬草園だった。
クラーセン侯爵邸でも作り始め、今はまだ小さな芽が出ているだけだ。
それでも、元気にたくましく育ってきているのでうれしい。
「ど、どど、どうぞ……」
ベンチに座るように促され、腰かける。
夜会用の重いドレスは、少し動いただけでも疲れるのだ。
これを一晩身に着けて動き回るのだから、本物の貴婦人はすごい。
貴族アカデミーで体力づくりさせられるのもわかる。
基本的に挨拶に向かうのは、下位貴族だからだ。
「バンフォード様も座りませんか?」
「は、はい……」
多少落ち着いたのか、息を吐きながらシルヴィアの隣にバンフォードが座った。
「少し、落ち着かなくて」
沈みかける太陽が、二人を照らしていた。
「落ち着かない……ですか?」
「はい、半年前までは、こんな日を迎えるなんて想像もできなかったので」
「それを言うなら、僕もです。シアさんがやってきてから、すべてが変わりました。僕自身も」
出会ってまだ半年だ。
それなのに、こんなに相手が大事な存在になるとは思っていなかった。
「あ、ああ、あの、シアさん……」
「なんでしょう?」
もじもじとうつむくバンフォードの耳横の髪が、少し乱れて落ちてきていた。
シルヴィアが手を伸ばし、落ちてきていた髪を撫でつけようとすると、髪に触れるよりも先に、バンフォードに手を取られた。
「し、シアさん! 本当に……本当にお綺麗です! 似合っています!!」
そういえば、仮縫いの時にも最終調整の時も、バンフォードには見せていなかった。
たまたま、バンフォードが忙しく外に出かけていたからだ。
そもそも、本当にギリギリまで何もできていなかったのだから、この一週間が怒涛の忙しさだった。
お互いに。
「ありがとうございます」
会う人会う人に言われているが、やはりバンフォードに褒められると格別だった。
着替えるのも、美しく姿勢を保つのも大変だが、この一言ですべてが報われた気がした。
二人で並んでゆっくりとしているのは、いつぶりだろうかと空を見上げる。
シルヴィアの叔父の件からずっと、目まぐるしく世界が変化して、のんびり過ごすことはできず、それに加え、ここ一週間はシルヴィアの成人に合わせての準備も加わり、とてもじゃないがゆっくりする時間がなかった。
成人当日になって、なんとか夜会まで開くことができ、うれしいと感じるより、ほっとした。
「バンフォード様も素敵です。誰よりもかっこいいので、少し心配してしまいます」
「僕は、女性に好かれませんよ」
「そんな事ありません」
本当に心からそう思う。
バンフォードは半年前と比べると見違えた。
その側でずっと見てきたのだから、その変化は誰よりも知っている。
「そ、それを言うならシアさんも……すごくきれいですから……」
「でも、わたしはすでにバンフォード様のものですよ? 着ているドレスを見て、何も思わない殿方はいらっしゃらないと思います」
紫は、バンフォードを象徴するような色だ。
その色をまとっているシルヴィアの相手は、考えるまでもなく一人だけしかいない。
「む、紫が着たいと言っていたので……」
シルヴィアは知らなかったが、ドレスの色を指定していたのはバンフォードだった。
郊外のお屋敷で色を聞かれたのは、どうやら探りを入れてたらしい。
成人の誕生日に渡すつもりで、ローレンがすでに作っていたのだ。
そのドレスが今日のドレスとの事で、道理で時間がない中、出来上がるのが早かったな、と一人で小さく笑った。
「あの時は、素直に受け取るかわかりませんでしたよ?」
「そこは、上手く言って、ローレンにも説得を手伝ってもらうつもりでした」
言い終わるとそのまま口を閉じ、ぎゅっとシルヴィアの手を握るバンフォードは、やはり緊張しているようだった。
何か他にシルヴィアに訴えたいのに、それができない素振りで、口を開いたり閉じたりしている。
しばらくそのまま待った。
バンフォードが何を頑張って訴えようとしているときは、ただ待つに限る。
そしてーー。
「ぼ、ぼぼ、僕は! が、頑張りました……」
ちらちらとシルヴィアに視線を向けては逸らしを繰り返している、バンフォードは、意を決したかのように言った。
「シ、シアさんは言いましたね。つ、つつ、続きはまた今度って……」
何も言ってこないから、てっきりその約束は反故されたのかと思っていたが、きちんと覚えていたらしい。
「で、でで、ですから……夜会の前に、続きを……」
それはつまり、ご褒美がほしいと言うことだろうか。
ふと、真っ赤になっているバンフォードは、何を想像していたのか気になった。
額に口づけのその後。
おそらくは――。
そこまで考えて、笑いそうになる。
もしこれがエルリックなら、きっと違う想像をしてるんだろうなと思いながら、期待に応えようとシルヴィアは立ち上がろうとした。
座ったままでは、色々とやりにくかったからだ。身長差的に。
しかし、それはバンフォードの手によって邪魔された。
思いがけない、強い力でその場にとどまることを強要される。
「あ、ああ、あの! その前に、聞いてほしいことがありまして……」
「はい……」
何を言うのか、ちょっと楽しみだ。
こんなに緊張して、言葉が詰まっている姿は久しぶりだった。
どんなに素敵で、かっこよくても、根の部分は変わらない――、そう思うと心のどこかでホッとしていた。
バンフォードは、覚悟を決めて叫ぶようにシルヴィアに言った。
言葉を飾ることなく、まっすぐに。
「ぼ、ぼ、ぼぼ、僕は、シアさんのこと本当に好きです。大好きなんです……、ですから、大切にします! ずっと、一生!」
必死になって、真剣に言い募るバンフォードの瞳から逃げるように、シルヴィアは視線を逸らした。
驚きすぎて、反応に困ってしまったからだ。
その行動に、バンフォードがショックを受けたようにつぶやく。
「い、いやでしたか……」
「そ、そうではなく――……は、初めて……だったので」
「え?」
「初めて、好きだと言われたので、ちょっとどんな顔をしていいのかわからなくて……」
そう――。
好意を示してくれているのは分かっている。
行動で態度で、身体全身で伝えてくれていたから。
しかし、はっきりと言われたことはなかった。
好きだと――。
「少し、照れくさいですね」
恥ずかしそうにシルヴィアが微笑むと、バンフォードの顔が呆然としていた。
「ぼ、僕……言ったことが?」
「ないですね、少なくとも、わたしには――……」
バンフォードは呆然自失の様子から、今度は真っ青になった。そして、勢いよく立ち上がり、ひれ伏さんばかりに頭を下げた。
「す、すす、すみません!! 僕は、僕は、なんてひどい男なんでしょうか!! 言います、これからは毎日でも言います! ですからどうか、見限らないでください!!」
許すも、許さないも、そもそもシルヴィアもきちんと言葉で伝えていなかった。
伝えなくても、お互いの気持ちは分かっていたから。
でも――。
「バンフォード様、わたしも好きです、バンフォード様の事が。この先、ずっと側にいたいのも、いてほしいのも、バンフォード様だけです。誰が敵になっても、わたしだけは味方であり続けます」
言葉にするのは少し恥ずかしい。
しかし、言われて気づいた。
「好き」の言葉は言わなくても相手に伝わっていようと、言われるとどんな言葉よりも幸せになれるのだと。
「シアさん……僕も――、ずっと好きでした。この先も、あなただけです。側にいてほしいのも、側にいたいのも……触れたいと思うのも」
バンフォードがシルヴィアの頬に手を添える。
それは、臆病なほどに慎重だった。
きっと、初めて会った時ならば、このまま引いていただろうその手は、今は逃げることはない。
バンフォードに引き寄せられて抱きしめられる身体は、いつもより熱かった。
吐息が近づき、シルヴィアが自然と目を閉じると、ゆっくりと距離が縮まり唇が重なる。
甘い口づけは、バンフォードらしい優しさに満ちていた。
二人の重なった影が大きく長く伸びている。
そして唇が離れても、その影が離れることはない。
この先の未来もずっと、側にいると誓った言葉の通りに。
~完~
お読みくださり、ありがとうございます。
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これにて完結になります。
色々と足りないところもありますが、最後までお付き合いいただいた方々には感謝しかありません。
感想をくださった方、ありがとうございます。
ざまぁ展開は少なく、今の流行とは違う小説ですが、読んでいる方々の暇つぶしになってくれていたのなら幸いです。
最後になりますが、お読みくださり、本当にありがとうございました!