7.(バンフォード視点)
休まないのかと、問われたのは二日目の晩のことだった。
身体を休めるときにはしっかりと休むことが仕事のうちのエルリックは、宿に入り夜になるとベッドに入る。
しかし、バンフォードはというと、メモ帳を取り出して、せっせと机に向かっていた。
往復で六日、そこから配分を考え試作品をつくるのでは、どう考えても間に合わない。シルヴィアの誕生日にも、叔父の体力的にも。
出発する前に聞いていた叔父の様子は、ほとんど寝たきりで、水分すらも摂れなくなってきている。
神経がマヒし、筋肉が硬直していっているため、運動機能が低下している状態――それが叔父の現状だ。
幸いなのが、バンフォードが開発した治療薬クラリーゼンが多少の効果を生んでいたことだ。
筋肉が硬直する過程に作用する薬なので、神経のマヒをどうにかすることはできないが、少なからず筋肉の硬直を軽減させ、運動機能を向上させていた。
食事を摂るのもそうだが、あらゆるところで筋肉は使われている。
そう、呼吸に使っている場所だって。
「寝ないと保たないぞ」
「寝てる場合じゃないんだ。少しでも配合案を出しておかないと、戻ってから考えていては、間に合わない」
無理をしているわけではない。
ただ、今は少しでも考えをまとめておきたかった。
「……聞きたいんだけどさ、もし毒の現物がなかったら、どうしてた?」
「叔父上の血液から採取したもので、おおよその成分は分かっていた。遠回りになるけど、できなくはない。現物があれば、一番だけど。今は現物と叔父上の血液成分のおかげで、どう叔父上の体内で作用しているのか分かっているから、配合案もだいたい見当がついてる」
「ふーん……」
興味なさそうにエルリックはつぶやく。
ただし、興味がないわけではない。
エルリックは、バンフォードの価値を今までとは違って正確に理解していた。
現物がなくても、毒薬を解析できる腕と知識。
それは、かなりの脅威になると。
「バンは、この先どうするんだ?」
その意味を分からないバンフォードではない。
隠して生きていくのか、それとも広く知らしめるのか。
背を向け、紙に熱心に数式を書いていく。
叔父の血液成分と、毒薬の成分の混合比を比べ、どの薬草を使用するか考えながら、同時にエルリックの問いにも答えた。
「……正直、分からない。この技術が危険なことは、はじめから知っていた。知っていたから、やってこなかったんだ。でも、叔父上は救いたい――、それに一度やってしまえば、いずれ外に広がる。だったら、はじめから国に保護してもらった方が早いかとも思ってる」
「そうなるよな……」
エルリックは頭の下に腕を通し、想像通りの答えに虚空を眺めた。
国に保護してもらう――、それは常時警備の付く生活になる。それだけ国にとって重要人物であるからだ。
バンフォードの今行っていることは、国にとってもかなり有益な技術だ。
解毒薬のある毒薬は多数あるが、同時に解毒薬のない毒薬もかなりある。
しかし、それを解析しすぐに解毒薬を作れるとなれば、バンフォードは裏の世界の天敵となってしまう。
裏の世界だけでなく、場合によっては他国からも命を狙われる。
「いつか……こんな風になるかもって思っていたんだ」
ぽつりとバンフォードが明かした。
「外に出れば、様々な人と関わって、それに伴う厄介ごとも舞い込む。それはいつか、自分を苦しめるんじゃないかって思ってた。変わることが怖かった」
変わりたいと思うのと同時に、変わらずこのままでいたいとも思っていた。
しかし、シルヴィアと出会ってすべてが変わった。
人のぬくもりを知り、一人はいやだと気持ちが膨らんだ。
彼女の強さも弱さも知って、側で歩みたいと願った。
「僕のそばにいれば、危険なこともあるのに、シアさんはずっとそばにいてくれるって言ってくれたから……僕もそれに見合うなにかをしなければって思う」
国に認められれば、常時護衛がつくが危険は減る。
認めさせるために、できることはすべてやる。
「帰ったら、色々大変そうだな、お前」
「わかってる。叔父上のための解毒薬だけでなく、ほかのまだ確認されていない解毒薬も作る。いくらでも」
でも、決して自分は毒薬は作らない。
自分がやるのは、人を治すものだけだと決めている。
「まずは、明日の採取だ」
「ここからだったら、朝に出れば、夕方には戻ってこれるな」
いつ出かけるか、とエルリックがバンフォードに聞くと、バンフォードがくるりと振り返り、言った。
「今から」
「……は?」
「欲しいのは朝方にだけ花開く、毒花なんだ。言ってなかったか?」
「聞いてない!」
「どうして護衛を頼んだと思ってるんだ? 僕は、夜の森に一人で入るほど無謀じゃない。採って帰るだけなら一人でも大丈夫だけど、採取した場で処理しないといけないんだ」
野生動物――特に肉食獣が活動する時間だ。
エルリックが友人でよかったと、今は心から思っている。
「……お前さ、そういうことは早く言うべきだと思うけど?」
「言ったつもりだったんだ。僕の中では決定事項だったから……でも悪かった。きちんと言うべきだったのに」
これは本当のことだった。
わざと言わなかったわけではなく、考えることが多すぎて言ったつもりで言ってなかった。
「まあ、いいけど」
ため息をつきベッドから出てくるエルリックが、そういえば、とバンフォードに声をかけた。
「シアちゃんは知ってるの? その事」
「どの事?」
「だから、夜の森に入るってこと」
書き物をしていた手がぴたりと止まる。
そして、ぼそぼそと言い訳した。
「……言ったつもりだったんだ」
「つまり、言ってないのね。後付けで知ったら、なんていうかな、シアちゃん」
バンフォードの手がびくりと震えた。
なにせ、つい先日危険なことをするときは、事前にきちんと言うと約束させられたばっかりだった。
「秘密にしてあげてもいいけど?」
知られたくないことなのだとすぐに察したエルリックが、口角を上げて交渉してきた。
「……何してほしいんだ」
もともと無理を押して頼んだので、礼はしっかりするつもりだ。
なあなあにするのは、よくない。
しかし、今のエルリックの様子からは、いい交渉事とは思えなかった。
「ま、今度考えておく」
その場で返答をされない方が、後々怖いが、エルリックの性格上きっと無茶なことは言わないと判断して、バンフォードも立ち上がる。
「エルリック、今更だけどありがとう。感謝してる」
「帰ったら、騎士団長になんて言われるかわからないけどな」
そんなことを言いながらも、エルリックは迷わずバンフォードと共に来てくれた。
エルリックだけは、シルヴィアと出会う前からずっとバンフォードのために気をかけてくれた。
「あ、今思いついたわ」
部屋を出ようとしていたエルリックは、いたずらを思いついた時の子供のような顔をしていた。
「シアちゃんとの馴れ初めでも教えてもらおうかな? 特に、夜這いした時の成果とこの数日の間のこと」
バンフォードはエルリックを友人と認めようと思ったが、やっぱりやめようと心に誓った。
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