5.
「シアさん、僕はしばらく郊外の屋敷に戻ります。向こうの方が色々揃ってますので」
一部運んできたが、それは簡単な調合をするためのもので、成分分析のための機材も材料もほとんど郊外の屋敷に残してきている。
「それなら、わたしも一緒に行きます。バンフォード様お一人では、お食事などの準備は難しいでしょう?」
「誰か雇いますので、シアさんは――……」
「わたしがやりたいんです。バンフォード様のお世話はわたしが。それに、他人がいるよりわたしの方が気にならないのではありませんか?」
「それは……そうですが――」
クラーセン侯爵には、リリエッタがついている。
それに、アデリーンも。
今は動揺しているが、彼女はきっとリリエッタの力になって動いてくれるはずだ。
それならバンフォードの世話は自分の役目だと、シルヴィアは思っている。
シルヴィアはその役目を誰かに譲る気はなかった。
「ありがとうございます……、とてもうれしいです」
善は急げとばかりに、二人でリリエッタの元に行った。
すると、側にはアデリーンの姿もあった。
今日は一緒に寝ると約束したが、それを反故することになりシルヴィアが謝罪すると、アデリーンは気にしていないと笑った。
カラ元気のような笑みだったが、お兄様のことをお願いね、と逆にこちらを労わってくれた。
芯の強い彼女は、きっとリリエッタを支えてくれるだろう。
「屋敷に戻ったら、僕はおそらく部屋にこもりきりになると思いますが、気にしないでください」
「お食事はどうしますか? お持ちしたら邪魔でしょうか?」
「……食べに行くのも面倒になりそうなので、お手数ですが持ってきていただけたらと。その辺に置いてくだされば、そのうち食べます」
なんとも、不安になるようなことを言われたが、シルヴィアはバンフォードを信じてうなずいた。
屋敷に戻ると、宣言通りにバンフォードは自室にこもった。
少しでも早く解毒薬を作ろうと、毒薬の解析に勤しんだ。
シルヴィアは、その側でバンフォードの世話をしていた。とは言っても、この屋敷で勤めていた時と同じように、食事を作り掃除をすることくらいしかできないが。
なるべく、バンフォードの邪魔にならなように、静かに過ごす。
シルヴィアは解析については詳しくない。むしろ、無知だと言ってもいいくらいだ。
それでも、この作業がどれほど神経を使い、難しいかはわかるつもりだった。
バンフォードは寝食を忘れたように、集中している。心配だったが、集中を切らすのは悪いと思い、ただ見守った。
食事も食べやすいものを作り、部屋に直接持って行った。
一日二日は、バンフォードもなんとか食べてくれていたが、日を追うごとに何かに追い詰められているかのように、必死になっていた。
頭を抱え、苛立っている様子も見えて、いつものバンフォードらしさは一切ない。
そうして時間が経つにつれ、七日目になるとついにバンフォードは食事すら手をつけていなかった。
声をかけても、まったく反応せず、いつ休んでいるのか不思議なほど、机に向かっていた。
集中を切らしたくはないが、どう考えても様子がおかしい。
シルヴィアが食事を持って部屋に入っても、反応が全くなくなった。
机に向かって、微動だにしていないバンフォードの肩にそっと手をのせる。
すると、大げさなくらいの反応で、肩がびくりと震えた。
驚いたように、顔を上げたバンフォードの目の下にはくっきりと隈があった。
「あ……シアさん、今はちょっと……」
その顔を見た瞬間、シルヴィアの顔が歪んだ。
これは完全に余計なことかもしれない。それをわかっていてもシルヴィアは言った。
「バンフォード様、少し休んだ方がよろしいかと思います」
しかし、案の定バンフォードはそれを拒絶した。
むしろ、シルヴィアに言い返す。
「そんなこと、してる場合ではないんです。急がなければ……、時間がないんです! もう何日も無駄にしてます。成果が出ないんですよ! これでは、間に合いません!」
荒げた口調は、初めてのことだった。
お互いに不満があっても、尊重し話し合ってこの数か月過ごしてきた。
特にバンフォードは、いつだって強い口調でシルヴィアに言い返したことはない。
「クラーセン侯爵様は、それほど悪いんですか? それとも……、それともわたしがみんなに笑ってほしいと言ったからですか?」
ふいに顔を逸らされた。
それが答えだとでもいうように。
クラーセン侯爵が長く持たないというのは本当のことだろう。
しかし、そこにシルヴィアの願いが重なり、バンフォードを追い詰めることになっていた。
シルヴィアは、追い詰めたくて言ったわけではなかった。
少しでも、バンフォードが心軽くなればと、そう思って口にした。
言い訳にしてほしかった。一人で重荷を背負うのではなく、これはシルヴィアも望んだ事なんだと一緒に背負わせてほしかっただけだった。
「……バンフォード様。わたしは、みんなに笑っていてほしいのは本当です。でも、こんな風に苦しむことになるのでしたら、何も望みません」
なぜかシルヴィアを見返す瞳は怯えが見えていた。
失望されたくない、そんな怯えが見え隠れしている。
追い詰められて、また弱い心が覗き見えた。
「バンフォード様、疲れているときには何もいい考えは浮かびません。少しでいいので、休んでください。何もうまくいってないのでしたら、このまま進めても休んでも同じでしょう?」
言葉が届くかどうかは分からない。
「添い寝してあげましょう」
「添い寝……」
おそらく、バンフォードの思考は今正常じゃない。
普段のバンフォードなら絶対に赤面しているのに、ぼんやり返す彼は、シルヴィアが何を言ったのか理解できていない様子だった。
追い詰められて、怯えているバンフォードに必要なのは、人のぬくもりだとシルヴィアは思っている。
「休みましょう?」
手を引くと、バンフォードが大人しくついてくる。
布団をめくると、もそもそとバンフォードが布団の中に入っていく。その横に、シルヴィアも滑り込む。
シルヴィアが、隣で手を握るとバンフォードが静かに握り返してきた。
「シアさん……手が冷たいですね……」
「もともと、体温が低いので」
「……気持ちいいです」
うっとりと目を閉じるバンフォードは、縋るようだった。
「バンフォード様は、どうして薬草学を?」
とろんとした瞳が、ゆっくりと開かれる。
「叔父上が……、教えてくれたので」
「クラーセン侯爵が?」
「野草の図鑑をもらって……、一緒に領地で」
父親は領主として忙しく、子供のころはクラーセン侯爵に遊んでもらっていたらしい。
そういえば、エルリックもそんなことを言っていた。
「だから……助けたくて――……シアさんにも……笑って」
そのまま、バンフォードはすっと眠りに落ちていった。
初めて見るバンフォードの寝顔は、あどけない少年のようだった。
「本当に、好きなのね……クラーセン侯爵様のことが」
少しだけ嫉妬しそうだった。
シルヴィアのことを大切にしてくれているが、クラーセン侯爵と比べた時、気持ちはどちらの方が大きいのか気になった。
バンフォードの穏やかな寝顔を見ていると、シルヴィアまで眠くなってきた。
バンフォードが眠ったら、部屋から出ていこうと思っていたのに。
少しだけ。
そんなつもりで、シルヴィアも瞼を閉じた。
目を覚ますと、ベッドにはシルヴィアしかいない。
驚いて、身体を起こすと隣の部屋からばたばたとした慌ただしい足音が聞こえてきた。
「バンフォード様?」
「あ、シアさん。すみません、起こしてしまいましたか?」
隈はまだ少し残っているが、顔色はよくなっていた。
「あの、すみません。昨夜は……、余計なことを」
「いえ、むしろ謝るのは僕の方です。焦って、シアさんに当たってしまいました。本当に、すみません」
頭を下げるバンフォードが、晴れ晴れとしていた。
「わたしは大丈夫です」
むしろ、うれしかったと言ったらどんな顔をされるだろう。
苛立って当たるというのは、それだけシルヴィアに心を許している証拠だ。
「あの、ところで一体何を……」
「ゆっくり休んだおかげで、頭がすっきりしました。ありがとうございます。おかげで、やっとすべてわかりました」
「それでは!」
「はい、解毒薬をこれから作ります。でも、ここにはないものがあるので、とりに行ってきます」
その準備で、ばたばたと動き回っていらしい。
「出かけるってどちらに……」
「何種類かうまい事組み合わさっていますが、一つとても厄介なものが含まれています。おそらく、その厄介な薬草が今回の主成分です。そして、困ったことにこの薬草に対抗できるものは、一番近くても国境沿いの森なんです。今からエルリックに護衛を頼んで行ってきます」
「どなたかに取ってきてもらうことはできないんですか?」
「その毒草は、採取した瞬間から鮮度が落ちます。その場で処理しなければなりません。扱いも難しいので、僕が行かなければ」
身体はきっと疲れている。
しかし、眠る前とはその顔つきが全く違っていた。
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