4.
バンフォードは、苦しそうだった。
クラーセン侯爵の指摘したことに。
「叔父上……」
「覚悟もないのに、危険な道を選ぶな。それはいずれもっと苦しむ道を歩むことになる」
身の破滅に向かうのではなく、今ある大事なものを守るように言う。
「バンフォード……もしもの時は、クラーセン侯爵家の事は気にするな。継がなくてもいい。爵位がなくとも、もうしっかり生活できる基盤があるのだからな。ただ……リリエッタとアデリーンの事は頼みたい」
「叔父上……僕は――」
「すまないが、少し休みたい」
何かを言いかけたバンフォードを遮り、クラーセン侯爵は目を閉じた。
しっかりした口調だったが、かなり無理をしているようで、バンフォードは言いかけたものを飲み込み、シルヴィアと共に部屋を出た。
後ろからリリエッタもついて出てきた。
「バンフォード、ヴィンセント様の言う通り、クラーセン侯爵家は気にしなくてもいいわ。それに、ヴィンセント様はああ言いましたが、わたくしとアデリーンの事もね」
「それは!」
「あなたは、あなたが守りたいものを優先するのよ。そうしないと後悔するときがきっと来ますから」
慰めるように、腕を軽くたたくと、あなたも少し休みなさい、といってバンフォードを送り出す。
ふらふらと力なく歩き出すヴァンフォードの後ろ姿に、シルヴィアが心配してついていこうとすると、リリエッタに声をかけられた。
「シルヴィアさん、あなたの成人前にこんなことになってごめんなさいね。でも、きちんとお祝いはするわ」
「無理しないでください……、わたしは大丈夫ですから」
「無理ではなく、やりたいのよ。バンフォードの事お願いね」
そっと手を取られまっすぐ相手を見れば、覚悟していたような強い眼差しが、返ってきた。
バンフォードは、シルヴィアがリリエッタと話している間に、外の庭園前で椅子にぼんやり座っていた。
「バンフォード様……」
声をかけ、隣に座るとバンフォードがやりきれない苦悩を吐露した。
「僕は……、できるのに……逃げることでしか守れない……」
選択するのはバンフォードだ。
できること、できないこと、人それぞれある。
できるのにやらない事を非難する人は大勢いるだろう。
しかし、できることが、その人の人生を幸福に導くとは限らないのだ。
バンフォードは、クラーセン侯爵を助ける術がある。
ただ、その道はさらなる苦痛をもたらす可能性が高い。
それなのに、バンフォードは逃げずに考えている。部屋に引きこもりもせず、助けるか助けないかを。
大事な存在をとるか、それともこの先の人生の平穏さをとるか。
どちらをとっても、バンフォードにとっては苦悩することにはなる。
「バンフォード様、あなた様は本当はどうしたいんですか?」
だから、シルヴィアはそっと尋ねた。
本当の気持ちを。
本当は、何をしたいのかを。
シルヴィアは優しく問いかけた。
責めるのではなく、ただ自然に。
どうしたいのか、本当は何を望んでいるのか、それがシルヴィアにはわからない。
いや、本当は分かっている。
バンフォードは、クラーセン侯爵を助けたいのだ。
しかし、それは表裏一体の危険をはらむ事。
今回だけだと言い訳しても、一度の例外はいずれ外に漏れてしまう。
「僕は……」
バンフォードは言い淀む。
最近は、はっきりと自分の意思を伝えていたのに、今は昔に戻ったようだ。
「わたしは、バンフォード様の選択を支持します。たとえ、リリエッタ様やアデリーン様を悲しませることになって、恨まれたとしても、わたしだけはあなたを恨みません。みんなが離れて行っても、わたしだけは絶対に離れません」
たとえ、クラーセン侯爵を救う道を閉ざし、家族から見放されても。
何度も繰り返した言葉。
そばから離れない。
あなたの味方だと。
「だけど、もし苦難の道を進むのならわたしも一緒に歩みます。命を狙われるというのなら、わたしも一緒に狙われます。死がふたりを分かつまでともにいるのではなく、死んでも一緒にいます。バンフォード様も、そうしてくださるんでしょう?」
これはシルヴィアの覚悟だ。
どれほど苦難の道だろうと、乗り越えてみせるという覚悟。
死にたいわけではないが、いつまでも一緒なら何も怖いことはない。
「僕は……シアさんを傷つけたくはないんです……」
「守ってくれるんでしょう? わたしはバンフォード様を信じています」
バンフォードは何も返さなかった。
どうしたらいいのか、自分の中で葛藤している。
そして、日が沈み月が出てきたその時……、バンフォードはようやく顔を上げた。
「シアさん……、僕の選択は間違っているのかもしれません。知らない方がいい事はこの世の中たくさんありますから……」
「そうですね」
「でも……、僕は、ずっと見守ってくれた叔父上を助けたいんです……、解毒薬の事はできる限り隠しますが、それでもいつか外に漏れるでしょう。その時、世間がどのように僕を見るかはわかりません。解毒薬を作れるということは逆に言えば、未知の毒薬だって作れる可能性があるのですから」
それは考えてはいなかった。
でも、そうだ。
毒薬と解毒薬、どちらか一方だけしかないということは普通ありえない。
毒薬は、相手を殺す役目を持っているが、交渉道具に用いられることもあるのだから。
「バンフォード様は、そんな事なされないでしょう?」
「わかりません……、もしかしたら、いつか悪魔の手を取ってしまうこともあるかもしれません……」
未来はまだわからない。
しかし、そんな未来はきっと来ない。
「わたしが止めます。そんな選択をしようとしたら、バンフォード様を殺してでも止めます。でも、そうなるとわたしも死ななければならないので、できれば長生きできる道を選んでほしいです」
わざと最後は明るく言うと、バンフォードが泣きそうな顔で笑った。
そして、バンフォードは悩みながらも、少しだけ紫の瞳に強い意志の力が戻った。
その様子に、シルヴィアはそっと手の中にあったものを見せた。
「これを……」
シルヴィアは、そっと小瓶を渡した。
驚いたように、バンフォードが目を見開く。
「これは……」
「リリエッタ様が持っておりました。おそらく、おかしいとは思っていたのでしょうね」
ずっと連れ添った、苦楽を共にした夫が隠したこと。
それに気づかないはずない。
部屋の前で、ひっそりと渡された。
リリエッタは、ひそかに調べて知っていたのかもしれない。そして、夫の覚悟を知り、何も言わずに見守っていた。
「香水だそうです……」
香水の中に微量に毒が含まれていた。
一度や二度で効力を発揮するようなものではなく、長期間摂取することによって徐々に身体を蝕んでいくように調整してあるもの。
そして、気づいたときには手遅れとなる。
「わたしがきちんとお伝えできていればと思っていました……」
「シアさん?」
「クラーセン侯爵様が郊外のお屋敷に来た時、わたしはお見送りに出ました。その時、薬草の匂いがしたんです。すれ違う時に、かすかに。クラーセン侯爵様には似合わない匂いだったので、不思議だったんです……おそらく、わたしが嗅いだのは、毒薬だったんでしょう。もし、それをお伝えできていればと、今はとても後悔しています」
あの時、不思議に思ったことを話題にできていれば、もしかしたら何かが変わっていたかもしれない。
「バンフォード様、わたし、誕生日の時にはみんなに笑っていてほしいんです……、ダメでしょうか? 我儘になってもいいとエルリック様に言われましたが、大それた願いでしょうか?」
間に合わないかもしれない。
でも、努力したのとしなかったのでは、全く未来は違ってくる。
「僕が……僕が必ず叶えてみせます。僕はシアさんからの頼みは断れないので」
涙がこぼれそうだった紫の双眸は鳴りを潜め、ただ力強く笑っていた。
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