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3.

「ね、ねえ……お父様は大丈夫よね? ちょっと疲れているだけよね?」


 震える声と同じように、シルヴィアに縋り付いているアデリーンの手は震えている。


「ええ、きっと。すぐに元気になると思います」

「そ、そうよね?」

 

 クラーセン侯爵が倒れた直後、誰もが我を忘れていた。

 妻であるリリエッタは、混乱しクラーセン侯爵の名を呼び、アデリーンは叫び声をあげた。

 シルヴィアもどうしていいのかわからなかった。


 その中ですぐに我を取り戻したのは、バンフォードだった。

 一番近くにいたバンフォードは、クラーセン侯爵を抱えて部屋に向かい、屋敷内の使用人に箝口令を敷き、医者の手配をしていた。


 リリエッタはその後ろを追いかけたので、シルヴィアはアデリーンを支えてソファに座った。

 自分やアデリーンがそばにいても、邪魔だというのが分かっていたからだ。


 それに、今にも気を失いそうなアデリーンの事が心配だった。


「シア……側にいてね、絶対よ」

「はい」


 バンフォードとリリエッタは今、クラーセン侯爵の部屋だ。

 何かわかればきっと教えてくれるはず。


 すでに医者は到着し、クラーセン侯爵を診察している。

 待つだけだからなのか、時間が経つのが遅い。


「もし……もしお父様が……」


 泣き出しそうなアデリーンは最悪の事を考えていた。

 彼女はまだ十五歳。

 

 きっと父親が亡くなる事に、覚悟は一切ない。


「アデリーン様……、きっと何かご病気だったとしてもバンフォード様が治してくださいます。難しい治療薬をおひとりでお作りになったのですから、きっと」


 それは無責任な言葉かもしれない。

 しかし、バンフォードならばとシルヴィアは信じている。それはアデリーンも同じだ。


「そうね、そうよね? お兄様がきっと助けてくださるわ……」


 ぎゅっと腕を回すアデリーンが、顔をシルヴィアの身体に押し付けてきた。

 そのまま、目を閉じた。


 どれほどそうしていたのかわからない。


 部屋のノック音が聞こえ、アデリーンが飛び起きるように顔を上げた。

 それと同時に部屋に入ってきたのは、バンフォードだ。


 難しい顔をしているバンフォードに、クラーセン侯爵の状態がよくないことが窺えた。


「お兄様……お父様は? 大丈夫なのよね?」

「アデリーン……、最善の手は尽くすから、きっと大丈夫……」


 無理矢理笑う姿に、アデリーンが縋るようにバンフォードを見上げた。


「そうよね? だって、お兄様はすごいお薬たくさん作ってるんだもの。お父様だって、いつもお兄様がすごいって、言ってるのよ? たくさんの病気の人を救ってるって!」


 泣き出す一歩手前の様なゆがんだ顔で、アデリーンが叫んだ。

 バンフォードが目を見開き、うれしいような悲しいような、様々な感情が入り交ざった顔でアデリーンの頭を撫でた。

 

「うん……、僕にできることは何でもするから」

「お父様の側にいたい……」

「叔母上がそばについてるから大丈夫だよ。叔父上も今は眠ってる、起きたら側にいてあげて。少し休んだ方がいいよ、アデリーン」


 促され、アデリーンは素直に自分の部屋に戻っていく。

 うなだれた姿は、まるで一人ぼっちのようで、思わずシルヴィアは声をかけた。


「今日は一緒に寝ませんか? わたしも一人は少し寂しいんです」

「……ありがとう、優しいのね。知ってたけど……」


 ようやく少し笑ってアデリーンが部屋を出ていった。

 その後ろ姿を見送って、バンフォードがアデリーンの座っていた場所に座る。


 バンフォードは背を丸めて膝に肘を突き、顔を俯かせた。


「……そんなに、難しいご病気なんですか……?」

「シアさん……」


 顔を上げたバンフォードは、アデリーン以上に泣きそうになっていた。

 泣くのをこらえて、唇をかみしめている。


「……病気じゃ……病気じゃなかったんです――……うっ」

「バンフォード様、病気じゃなかったって……」


 バンフォードはそれ以上続けることができず、再び俯いた。

 少し伸びてきていた、前髪が顔を隠すように落ちる。


「……どうして、言ってくれなかったのでしょう……。僕は――……そんなに頼りないんでしょうか……」


 自嘲するように、バンフォードが笑う。

 そんな風に笑うバンフォードを見るのは初めてだった。


「……どうして、僕は気づかなかったのでしょうか。もっと早く気づけていたら、せめてもっと……」


 呟きは次第に小さくなって、最後はぐっと拳を握って口を閉じた。


「バンフォード様……クラーセン侯爵様は……何が?」

「毒です……、かなりの長期間毒にさらされていたんです……、医者からも手の施しようがないと」

「でも、毒なら解毒薬さえあれば……」

「…………わからないんです、どの毒が使われたのか……、症状で成分が少し見当がつきますが、それが正しいのかもわかりません。間違った解毒薬を使えば、逆の効果をもたらすこともあります……」


 どうしようもない、無力感に陥っているバンフォードの膝の拳が震えていた。


 その拳に、シルヴィアがそっと手をかぶせた。


「バンフォード様、毒が分かればなんとかなるんですか?」

「……それは――……」


 バンフォードは言い淀む。

 何か言いたいのに、言い出せない。


 ぐっと口を引き結び、バンフォードは答えなかった。


「バンフォード様?」

「ぼ、僕は……」


 顔を上げたバンフォードは、何かに怯えているようだった。


「バン――……」

「二人とも今ちょっといいかしら……」


 シルヴィアの声を遮ったのはリリエッタだった。


「ノックはしたのだけど……、ごめんなさい。ヴィンセント様が目を覚まして二人に話があるとおっしゃってるの」


 バンフォードは、暗い表情のまま立ちが上がり、シルヴィアの手を取った。


「わたしにもですか?」

「ええ……」


 リリエッタは、クラーセン侯爵が何を話そうとしているのかわかっているようだった。

 寂しそうに笑いながら、どこか覚悟も決まった顔をしている。


「叔母上……」

「バンフォード、全部を自分のせいにしてはだめよ。人生にはどうにもならないことがたくさんあるのだから」


 それは、どういう意味か尋ねなくても分かっていた。

 シルヴィアもバンフォードもいやというほど知っている。


 突然失われる命があることを。

 そして、様々なことが変わってしまうということを。




 クラーセン侯爵の寝室は、今は厚いカーテンで覆われ暗かった。

 薬草の匂いが充満し、いかにも病室といった様子だ。


「きたか……」


 クラーセン侯爵はベッドに横になったままだ。

 目を閉じ、声にもいつもの力がない。


「叔父上……」

「……バンフォード、これは私の甘さが招いたことだ。もっと、警戒してしかるべきだったのに」

「どう、して……」

「気づいたときには、遅かったのだ。もう、どうしようもないほど、毒に身体が侵食されていて」


 思いのほかしっかりとした声に、バンフォードが項垂れた。


「僕が、知っていれば……どうして言ってくれなかったんですか?」

「言ってどうなる? お前は、毒薬の解析だけはやらないだろう」


 はっとしたようにバンフォードが顔を上げた。

 クラーセン侯爵は分かり切ったことを言わせるな、と言わんばかりに言う。


「知らないとでも思ったか? 人一倍臆病なお前が、絶対に手を出さない分野だと、ずっと分かっていた。解析(・・)が得意なお前は、どんな毒薬だろうときっと解析して解毒薬を作り出せるだろう……だが、それは同時に危険も招く」


 重々しく、クラーセン侯爵が言った。

 その時、ようやくシルヴィアはバンフォードが毒薬解析をしない理由を知った。


 バンフォードはできないのでなく、できすぎてしまうのだ。


 どんな毒でも解析し解毒薬を作れるとなれば、一部の人には喜ばれるが、後ろ暗い人間からは歓迎されない。


 それこそ、命を狙われることになる。


「自分一人ならともかく、周りの人間まで危険を及ぼす行為――……お前は絶対に選ばない」


 それは、叔父であるクラーセン侯爵が一番知っていた。

 だから、言わなかったのだ。


 言えば、バンフォードはきっと助けてくれる。

 しかし、一度例外を作れば、きっともっと悩ませることになるから。


「もっと、もつと思ったが……意外と早かったようだ」

「やめてください! もっと……もっと、色々なことを教えてほしいのに……、僕一人では」


 泣き出しそうなバンフォードに、クラーセン侯爵はかすかに笑う。


「一人ではないだろう? お前を支えてくれるのは大勢いる。特に彼女は、きっといつだってお前とともに歩いてくれる」


 不意に、クラーセン侯爵がシルヴィアに視線を移した。


「こんな甥で申し訳ないが、あきらめて側にいてやってくれ」


 シルヴィアはその言葉に頷く事しかできなかった。




お読みくださり、ありがとうございます。

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