2.
バンフォードがよく使っている機材や薬草を持ち帰ると、玄関ホールでクラーセン侯爵の奥方である、リリエッタがシルヴィアとバンフォードを待ち構えていた。
「おかえりなさい、悪いけどちょっとシルヴィアさんお借りするわよ」
有無を言わせない言葉に、一瞬シルヴィアとバンフォードは目を合わせた。
「え? 叔母上、何が……」
「男は黙っていなさい。全く、シルヴィアさんはもうすぐ成人なのよ。本来ならとっくに色々準備していてもおかしくないのに、何も決まっていないの! 今からドレスを作ってもギリギリだわ。ああ、でもきちんとお披露目の夜会は開くわよ」
腰に手を当て、宣言するリリエッタはそのままぐいぐいとシルヴィアを引っ張った。
シルヴィアは、あとひと月ほどで成人になる。
貴族令嬢だけでなく、平民でも成人式の祝いは盛大に行う。貴族ならば、夜の社交界デビューも兼ねているので、夜会を開きお披露目をする。
準備期間は一年ほど前から行うのが通例だ。
しかし、シルヴィアの場合は急に様々なことが変わり、現在はクラーセン侯爵を後見人としてクラーセン侯爵の屋敷で暮らしている。
そのため、クラーセン侯爵夫人であるリリエッタが、シルヴィアの正式デビューのために現在奔走していた。
「そ、そんなに本格的でなくても……」
「ダメに決まってるでしょう! いいから文句言わず来なさい! バンフォードも体格がだいぶ変わったのだから礼服も仕立て直すのよ! いいわね!?」
リリエッタの勢いに押され、シルヴィアは引っ張られて一室に押し込まれた。
「さあ、やるわよ! 急がないと間に合わないわ。夜会のドレスだけでなく、昼間のお茶会用のものも必要よ」
「あ、あの?」
色とりどりの布がそこら中にかけられ、既製品と思われるドレスがいくつもラックにかかり、まるで簡易的ブティックの様相になっていた。
「リ、リリエッタ様?」
「後見人の妻として、母親の役目は任せなさい」
リリエッタはがぜんやる気になり、手をパンパンと鳴らす。
すると、何人もの人がぞろぞろと中に入ってきた。
その一番初めに入ってきた人物に、シルヴィアは目を見開いた。
「マダム、ローレン。どうかよろしくお願いします。あとひと月ほどしかないんですが、体裁を整えるのではなく、完璧にお願いします。社交界でシルヴィアさんが侮られないように」
「ええ、もちろんです! わたくしにすべてお任せください。以前縁あってサイズを測っておりましたので、試作品をいくつかお持ちしておりますわ」
「まあ、それはありがたいわ!」
目を白黒させている間に、リリエッタとローレンがああでもない、こうでもないと頭を突き合わせて話し出す。
シルヴィアは、ついていくので精一杯だ。
「あ、あの、リリエッタ様!」
「なんですか? ああ、もしかして何か気に入った布でもありましたか?」
「いえ、そうではなく……。わたしにここまでの支度は必要ないのでは……と」
困ったようにシルヴィアが口を挟むと、リリエッタの目が光った――ようにシルヴィアは感じた。
ローレンにも困ったように視線を向け、ぜひ説明してくださいと訴えたのに、彼女は楽しそうに笑っているだけ。
「いいですか、シルヴィアさん。あなたがしっかりとしなければ、あのバンフォードがいつまたうじうじして、逃げ出すか分かったものではありません。夫は、もう大丈夫だろうなんておっしゃっていますが、それは全てあなた次第だとわたくしは思っています」
そんなことはないと思います、と口にすることはできなかった。
リリエッタの勢いと圧が強かったので。
「それに、クラーセン侯爵家が後見をしているのに、成人の誕生日に何一つ準備を整えられないなどと言われては侯爵家の沽券にかかわります。しっかり準備して、お披露目しなければ! それに、ご両親もきっと綺麗に着飾って成人を迎えているシルヴィアさんを見たいはずです」
困惑しているシルヴィアをリリエッタが諭すように言う。
「いいですか、これはあなたのためでもあり、ご両親のためでもあります。きっとご存命ならこの日を誰よりも楽しみにし、準備してくれたことでしょう。あなたは、空の上からあなたを見守っているご両親にきちんと成長したことを見せなければなりません。それが娘としての義務です」
クラーセン侯爵邸で暮らし始め、リリエッタはシルヴィアを娘のように接してくれている。
優しさと厳しさを兼ねそなえている彼女は、バンフォードから結婚の際に色々あったことを聞いていたが、今ではクラーセン侯爵夫人として誰もが一目置く存在。
貴族として様々な知識が不足しているシルヴィアを教育してくれているのもリリエッタだ。
とても尊敬できる、第二の母親のような存在に言われ、本当に両親が喜んでくれるのかと半信半疑で聞き返した。
「リリエッタ様……両親は喜んでくれるでしょうか?」
「もちろんです。わたくしも娘を持つ母、成人する娘をこの目で見られることは喜びですからね。きっと、綺麗に育った娘の成長を喜ぶでしょう」
にこりと微笑むリリエッタに、シルヴィアは少し気恥ずかしい気持ちになった。
しかし、その優しい笑みは一瞬のこと。
次の瞬間には、キラリではなく、ギラリと目を光らせた。
「ではシルヴィアさん、ドレスの布を選びますよ。一着だけではないのですから、しっかり頑張りましょう。費用に関しては問題ありません。後見人である夫が費用を持つのが当然というものですからね」
果たしてそれは当然なのか……。
確かに、未成年の後見を引き受けたのなら衣食住を保証するのは義務だ。
「これくらいで破産するような財政はしてませんから、大丈夫ですよ。お金を持つ者がお金を使って経済を回すのもまた、義務です。今後、大きな買い物をすることが多くなると思いますが、慣れていきましょうね」
リリエッタの言うことは正しいが、シルヴィアの金銭感覚は平民として育ってしまっている。
お金の使い方などしっかり学んでいかないと、変なところで失敗しそうだと、しっかりリリエッタの側で学ばなければと決意をする。
「それでは、まずは軽く部屋着から……。こちらは時間もないので、既製品ですが仕方ないでしょう。既製品とは言っても、一点物ですからね」
「奥様、こちらはいかがでしょう」
身体にドレスを当てられ、着せ替え人形となる。
何着か着ては脱いでを繰り返していると、いつのまにかアデリーンまでやってきていた。
「シア、大変そうね。これ、わたしもやるのよねぇ……」
「アデリーン様」
うんざりしているアデリーンに、シルヴィアは苦笑するしかない。
しかもアデリーンは侯爵家の娘。
もっと準備は大変なのではと思ってしまった。
「わたしの時はシアが手伝ってね。一人で乗り切るなんて無理すぎるわ」
「わたしでよろしければ」
二人でこっそり笑っていると、今度はクラーセン侯爵まで現れた。
後ろには、バンフォードも伴って。
「あら、ヴィンセント様にバンフォードもいらっしゃったの?」
「でかい図体で部屋のまえでうろうろしていたら、気になって仕方がない。入ればいいだろうに、何を戸惑っているのか」
「そ、そ、それは……」
ふうと息を軽く吐き出したクラーセン侯爵は、バンフォードを部屋に置いて部屋を出ていこうとした。
頭が痛いとでも言いたげのクラーセン侯爵は、顔色が悪い。
最近特に悪い気がしていたが、今日は血の気がなかった。
我慢強いとバンフォードは言っていた、そういう問題ではない気がした。
「あの、クラーセン侯爵……、体調は大丈夫ですか?」
すでに背を向けて部屋を出ようとしていたクラーセン侯爵が、シルヴィアの方に顔を向けた。
しかしその瞬間、ぐらりと身体が前のめりになる。
「叔父上!」
隣にいたバンフォードがクラーセン侯爵を支える。
一瞬だけ意識を失ったようだが、すぐに戻りなんでもないと立ち上がろうとしたクラーセン侯爵だったが、しかし、立ち上がることができなった。
「だ、大丈夫……だ」
「全然そうは見えませんよ!」
「少し……疲れているだけだ」
なんでもないように振る舞うも、それは強がりにしか見えない。
「ヴィンセント様、やはり医者に診てもらった方がいいと思います。かなり前から、寝不足だ忙しいからとおっしゃってますが、やはり診てもらいましょう」
リリエッタが心配そうに、背に触れる。
その瞬間――。
「ぐっ!」
クラーセン侯爵が口を手で覆い、えずく。
その指の隙間から、ぽたりぽたりと血の匂い。
そのまま、支えるバンフォードの腕に体重がかかる。
誰もが固まり、その光景に言葉を無くす。
「叔父上……」
目を見開き、震えるバンフォードの声だけが小さく部屋に広がった。
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