6.
「あれ……」
シルヴィアは、ベッドの上で身を起こす。
よく眠れた――むしろいつもよりたくさん寝ていたようで、太陽はすでにだいぶ高い。
ここ最近、食欲が落ちていただけでなく、よく眠れていなかったので、ここまで清々しい気持ちは久しぶりだった。
よし、今日も一日がんばるぞ! と気合を入れて働いていたときを思い出す。
「……夢……?」
途中で記憶がない。
バンフォードが夜這い――ではなく、何か届け物に来て話をして……、最後よくわからないまま、抱きしめて、抱きしめ返された。
そして――。
「夢?」
そこから先の記憶がなかった。
夢は自らの願望を表すとも言う。
「が、願望……」
両手で頬を覆っているシルヴィアの顔は赤い。
「わ、わたしは――……!」
自覚をすると突然恥ずかしさが襲う。
どうしていいのか分からず、身体を二つに折りベッドに顔を押し付けた。
誰にも見られていないから、思う存分悶えていた。
しかし、その途中で視界に入る大きめの入れ物。
それに気づくと、一気に現実が押し寄せた。
「夢……じゃない」
ベッドの横に置いてある小さな机の上、そこに存在しているのは昨夜バンフォードが持ってきたもの。
それはそれで色々と考えさせられるが。
しかし、夢ではなかったことに、安堵もしていた。
あの時交わした言葉は間違いではなく、寄り添った熱は冷えた身体を温めてくれた。
「体温……高いのは本当なのね」
恥ずかしすぎて、誤魔化す様に口から出たのはそんなどうでもいい事だった。
「おはよう。なんか疲れているみたいだっから起こさなかったけど、起こした方がよかった?」
朝食兼昼食を食べ終わると、部屋を訪ねてきたのはエルリックだ。
なぜか、昨日のバンフォードとの会話が思い出され、若干目つきが冷ややかになった。
「あ、あれ? なんかちょっと怖くない?」
「昨日……、面白い話を聞きましたので」
「え?」
「エルリック様が、常日頃から女性に対し夜這いなるものをしていると」
「ええ!? 誰が……、も、もしかしてバンがそんな事言った? いや、違うからね! そんな事してないから!」
シルヴィアは目を閉じ、一口食後のお茶を味わう。
そして、ゆっくりとティーカップを置き、対面に座って弁解しているエルリックに言った。
「つまり、バンフォード様を唆したのはエルリック様で間違いないんですね。おかしいと思いました。バンフォード様が人を訪ねるのに不向きな時間に訪ねてくるなんて」
バンフォードが訪ねてきたことを知っているような口ぶりに、確信を深めた。
エルリックが、あははと誤魔化す様に笑う姿にさらに。
エルリックは隠すつもりがないようだ。
「いや、別に唆してなんて……。まあ、確かにちょっと部屋の位置は教えたかなぁって程度で」
「それは、それで問題なのでは?」
女性のいる部屋を安易に他人に教えるなど、普通に考えても許されるような行為ではない。
この件に関しては、圧倒的にエルリックが不利だった。
そのため、エルリックは話を変えるように、机に置いてあった入れ物に話を逸らす。
「と、ところで……、それ何? バンが持ってきたの?」
「ええ、どうやら先日エルリック様から渡された軟膏のようです」
「ん?」
「薬草が手元に少なく、量が作れなかったからと、今度はたっぷり作って持ってきてくださいました」
シルヴィアがまっすぐエルリックの顔を見ると、彼は口元が引きつっていた。
どうやら、あの時の言葉はシルヴィアを元気づけるために言ったのではなく、本当にそう思っていたのだと知った。
深読みしすぎた盛大な誤解。
気まずい話を逸らしたつもりで、さらに墓穴を掘っていた。
「ま、まあ……バンらしいな?」
「ええ、本当に……バンフォード様らしいと思います」
くすりと笑みを零すと、エルリックがおやっと、片眉を上げ反応した。
「何かいいことあった?」
「ええ、色々とありました」
色々とあった。
しかし、それをエルリックに伝えることはしなかった。
それに、エルリックの方も深くは聞いてこない。
「そう、なら良かったね」
機嫌が戻ったと判断したエルリックが、ホッとしたように肩の力を抜いた。
「ところで出発は……?」
「迎えは来てるけどね、待たせてるよ」
昼前に迎えを寄越すとは聞いていたが、エルリックはシルヴィアに気を遣って休ませてくれていた。
お茶を飲み終え、支度を整える。
とは言っても、シルヴィアの持ち物はバンフォードが作ってくれた軟膏ぐらいなものだ。
今着ているものは、すべてエルリックが整えてくれていた。
今まで着ていたものでもよかったが、保護という名目で預かっている手前、きちんと衣食住を整えておかないと、ハルヴェル子爵から苦情が来たら面倒だとの事だった。
ちなみに、費用に関しては教えてもらえなかった。
誰が支払っているのか非常に気になるところだったが、エルリックが何も言わないので、あえて深く聞くことはしなかった。
「お世話になりました」
「むしろ、軟禁みたいな感じでごめんね? ちょっと家でも問題が発生してさ」
「問題ですか?」
「そ。私が女性を連れ込んだって噂になっちゃってね。仕事関係だって押し切ったけど、母上からしたら気が気じゃなかったみたいで。なんというか、過保護なんだよね」
過保護というか、遊んでいるエルリックが悪いんじゃないのかと思ってしまった。
親としたら、いい歳した男児がふらふらしているのは気が揉むだろう。
特に、引く手数多のエルリックなら、間違いを起こす前になんとかしたいと思うのも当然で。
バンフォードの場合は、そういう意味では心配にならない。
昨夜も非常に紳士的だった。
紳士的過ぎて、ちょっとシルヴィアの方が我慢ならなかったところもあったが。
思い出すとまた赤くなりそうだったので、首を軽く振って考えを霧散させた。
「一応、こっちでも気にかけてるから。たまに様子を見に行くよ」
「ありがとうございます。さすがに、子供の頃のように冷遇することはないと思います」
誰も知り合いがいないのなら、小部屋にでも押し込まれてもおかしくないが、エルリックという強力な後ろ盾があれば、叔父も無体なマネはできない。
しかも時折様子を見に来るとなれば、嫌でも丁重に扱うだろう。
「シアちゃん、もし何かあったらすぐに言うんだよ?」
心配そうにエルリックが言う。
「はい。我慢するのはやめることにします」
「そうそう、我儘に生きたっていいんだよ。だって、シアちゃんの人生だからね」
生きる術があるのは、心を軽くする。
拠り所が見つかれば、何も気負う事はない。
「バンフォード様にもよろしくお伝えください」
「いいけど、すぐに再会できると思うよ」
ウインク一つ飛ばし、エルリックが自信満々に答えた。
しかし、先日の深読みで少しその言葉に信用はない。
「期待しないで待ってます。期待しすぎると、がっかりしそうなので」
「それ、ずっとネタにするつもり?」
「しばらくは」
肩を落としてわざとらしくため息をつくエルリックに、別れを告げると馬車が動き出す。
シルヴィアは馬車の中で、ハルヴェル子爵邸はどんな風に変わったのだろうかと、自然と考えていた。
三年も経てば色々なところが変わっていそうだ。
両親が生きてた頃の面影はないかも知れない。
もともと、内装は叔父一家が引っ越してきたときにがらりと変わったが、それでも懐かしい場所はあった。
きっと、今はそれすらないんだろうなと思うと、やはりあそこは自分の居場所じゃないんだと強く感じていた。
いるべき場所は、もう決まっているのだ。
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