5.
「夜這いでしょうか……」
「え!? ち、ちち、違うから!! あ、ああ、あれ? ち、ち、違くない? いや、いやいや違う! 僕はエルリックとは違って――!」
つまりエルリックは夜這いというものを普段からしている――という事かとどうでもいい事を考え、エルリックの評価がグンと下がった。
そして、ちょっとした八つ当たりで、非常に言葉の詰まっているバンフォードの姿を見て、満足した。
「とりあえず……、中にどうぞ。このままでは、目立ちますので」
シルヴィアが勧めると、バンフォードは緊張しながらシルヴィアの後ろから恐る恐る部屋の中に入ってきた。
近い距離にバンフォードがいる。
その事実に、シルヴィアは少し変な気分がした。
気持ちはだいぶ落ち着いたが、今は、どう声をかけていいのか迷う。
背を向けたままのシルヴィアは、今バンフォードがどんな様子か気になるのに顔を見る事ができない。
どうやって、今まで会話をしていたの分からなくなった。
八つ当たり気味にだったシルヴィアに呆れているのではないか、と思うほど、バンフォードも何も言わず、困惑する。
話をしたいと言ったのはバンフォードだが、何か迷っている気配がしていた。
そして、意を決したように、どうしようかと俯いているシルヴィアの肩に、そっと何かをかけた。
暖かな温もりに目を見開き、身体を少し捻ると、すぐそばに困った顔のバンフォードがいた。
「えっと……夜はまだ冷えますから……」
肩にかけられたのはバンフォードが羽織っていた上着。
目元が赤くなり、シルヴィアの姿を直視できないように視線を逸らせた。
「ありがとうございます……」
バンフォードはシルヴィアの寝間着姿を初めて見たわけではない。
過去に何度も見ている。
しかし、今シルヴィアが着ているものは、貴族令嬢が着る絹の寝間着で、普段平民が着るようなしっかりとした生地ではない。
身体の線が、よくわかる様な代物。
それに気づくと、シルヴィアも少し頬を染め、上着の胸元をぎゅっと握りしめて身体を隠した。
「あの……ですね? ぼ、僕は別に不埒な目的で、こ、ここに来たわけではなくて……」
「分かっています。バンフォード様はエルリック様と違う事は。紳士的ですから……」
「いや……、うん、信頼してくれるのはうれしい……んでしょうか?」
とてもじゃないが、うれしそうな顔ではない、微妙な顔。
もっと違う答えを期待していたような顔だ。
しかし次の瞬間、ハッとしたように注意した。
「で、でもですよ! そ、そんなに簡単に男を部屋の中に通してはいけません!」
まるで父親の様な言葉に、シルヴィアは思わずくすりと笑ってしまった。
緊張していたのに、どんな言葉でバンフォードに謝罪すればいいのか悩んでいたのに、バンフォードへの気持ちをどう表していいのか困っていたのに、もう気にしないことにした。
気負わず、シルヴィアもいつも通りに返す。
「では、バンフォード様も今後は中に入れないようにしますね」
シルヴィアが上目遣いでバンフォードを見ながら言うと、相手はうっと言葉を詰まらせた。
「そ、そそ、それは……、ぼ、ぼぼ、僕は大丈夫ですので!!」
何がどう大丈夫なのかよくわからないが、とりあえず相当混乱しているようだった。
「そうですね……、バンフォード様は特別です。わたしにとって、危険な人ではありません」
「特別……でも、危険ではない……」
うれしそうに目を輝かせたかと思うと、次の瞬間には落ち込んで、忙しい感情の変化を見ていると、そうやってバンフォードを翻弄しているのが自分だと思うと、口元から笑みがこぼれた。
「すみません、笑ってしまって。なんだか、すごく懐かしい感じがして」
少し前までは、毎日顔を見合わせて話をして、時に出掛けて。
そうやって、何気ない日常を送ってきた。
今、その日常が遠く、二度と取り戻せない――そう思っていた。
それなのに、バンフォードはたやすくその日常を取り戻してくれた。
巻き込んで申し訳なくて、何を言っていいのか分からなかったシルヴィアだったが、自然と会話ができた。
それがうれしくて、ふいに涙がこぼれた。
「シアさん……」
「あ……どうして……」
バンフォードの手が伸び、頬を伝う涙をぬぐう様に指が頬に触れた。
その優しい動きに、余計に涙が止まらなくなった。
「すみません……」
「大丈夫です、何も心配することはありませんよ」
バンフォードは呆れることなく、困惑することもなく、優しく労わるように、微笑んでいた。
いつもと立場が逆転していた。
弱気になっているバンフォードを立ち直らせるのは、いつもシルヴィアの役目だったのに。
「今こんなこと言うのはアレなんですが……、少し新鮮です」
「え?」
「泣いている姿は初めて見ました……、シアさんはいつも我慢していましたよね? 泣き出しそうな時もあったのに、僕の前では絶対に泣きませんでした」
バンフォードの手が頬滑り、髪を一房手に取る。
バンフォードに髪の事がバレた時、確かに動揺して泣きそうだった覚えがあった。でも、泣きはしなかった。
我慢していたとうよりも、バンフォードに慰められたから。
何も聞かず、ただシルヴィアの謝罪を受け入れてくれた優しさに。
「強い人だとずっと思っていましたが……、それだけではないと知って安心しました」
「安心……」
「はい、可愛らしい人だなって」
「か!」
バンフォードの言葉に驚いて、涙がいきなり止まった。
逆に、顔がひどく熱くなっていく。
「いえ、いつも可愛い方だとは思っていましたが、僕にとっては憧れでもあったんです。強くて素敵な女性……、僕なんかでは到底手が届かない、まるで神――いえ女神のような存在だったんです。でも、こうして手を伸ばせば触れることのできる人なのだと分かりました。僕でも、慰めることはできるのだと――。涙は止まりましたね」
目じりが下がり、うれしそうにバンフォードが笑う。
揶揄われていたのか……、いつもシルヴィアが揶揄う側だからその逆襲かと、そう思った瞬間、再びバンフォードが爆弾を落とした。
「シアさん、ずっと側にいてくれるんですよね? 僕が望む限りずっと。……だから、ずっと側にいてください。隣にいて笑ってください。僕がくよくよ泣き出したら、慰めてください。その代わり、僕も同じようにしますから」
それはつまり……。
バンフォードは決定的な事は何も言わなかった。
ただ穏やかに笑っているだけで。
でも、それでよかった。
それを知りたかった。
「側にいても……いいんですね?」
「もちろんです。先に言い出したのはシアさんでしょう?」
また、泣きそうだった。
その前にシルヴィアは、一歩バンフォードに近づいた。
「もっと……近くにいてもいいですか?」
「えっと……」
戸惑っているバンフォードを無視して、シルヴィアは軽く抱きしめた。
バンフォードからはいつもの薬草の匂い。
安心する匂いだった。
かちんと固まりかけていたバンフォードが、ゆっくりと抱きしめ返してくれた。
その腕は、どこまでも優しかった。
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