3.
もうすぐ三年になる。
シルヴィアは十五から十八になり、大人へと変わっていた。
少女から娘に。
その変化は驚くべきものだ。
ハルヴェル子爵となった叔父も三年で変わっていた。
一時期は優しい風貌もあったが、今ではその面影もない。
全体的に肥え太り、目だけは鋭くぎらついている。
口元の笑みも下品だと感じた。
昔、まだオリヴィアと出会う前、この笑みが怖かった。
また何を言われるのか、それとも失敗を折檻されるのか。機嫌がよいように見えても、突然豹変する叔父に怯えていた。
でも今は違う。
三年の経験がシルヴィアを強く成長させてくれた。
何も知らなかった幼い子供から、知恵を持つ大人にしてくれた。
それに、今は叔父に対しての怒りがあった。
色々な人を巻き込んだことに対する怒りだ。
落ち込んで、泣いて――、そして決めた。
エルリックはバンフォードに任せておけば大丈夫だと言ったが、シルヴィアの問題なのに、全てを任せるのは違うと思っていた。
何もできなくても、言い返す事くらいはできる。
シルヴィアを見る叔父の目が、まるで品物を品定めしているようだったが、その視線でシルヴィアは全てを察した。
なぜ、今シルヴィアを探していたのかを。
おそらくその予想は間違っていない。
「おお、シルヴィア……本当に綺麗に成長したものだ。アカデミーを卒業していなくとも、いい嫁の貰い手が現れることだろう」
邂逅一番、そう言った叔父に、何も期待していなかったシルヴィアは、やはり昔のままの叔父なのだと理解するしかなかった。
「……ハルヴェル子爵、それはどういう事ですか? 久しぶりに会った姪に対する再会の挨拶にしてはいささか歪ですね」
シルヴィアの隣で聞いていたエルリックが眉を寄せた。
一人でもよかったが、エルリックが同席してくれると言ってくれたので言葉に甘えた。
いくら叔父でも、他人の屋敷でシルヴィアに無体な事はしないと思っていたが、誰かが一緒にいればさらに気を遣ってくれるのではないかと思って。
しかし、それは全く効果がなかった。
相手は始めから、自分の言いたいことしか言わないらしい。
態度を少しくらい取り繕うかと思ったが、それすらなかった。
「何をおっしゃる。結婚相手を探して、良縁をつなぐのは後見人の役目。もうじき成人の子ですよ、結婚こそ女の幸せ。見てくれを褒められて喜ばない子はいないでしょう」
叔父はそれが真実であるかの様に話す。
エルリックが痛まし気にシルヴィアに視線を向けているのが分かった。
穏便に済ませるために、周囲には詳しい事情は伏せられている。
しかし、この件に関わったエルリックは正確に、シルヴィアとハルヴェル子爵家の関係性を把握していた。
そのため、今日この場にいてくれているのだ。
保護した相手を不要に傷つけられないようにするために。
まるで、側にいられないバンフォードの代わりとでも言うように。
「叔父様……正直に言ったらいかがですか? 回りくどい事を言わなくても、エルリック様は事情を全て知っています」
シルヴィアにとって、叔父は敵でしかない。
シルヴィアを引き取り後見人になったが、それはシルヴィアの財産を自分のモノとして使うために他ならない。
子爵家の爵位や財産をシルヴィアの父親から継承したが、それだけで飽きたらず、シルヴィア個人に残されたものまで取り上げた。
教育費代わりだとでも言うように。
シルヴィアは幼くて、財産の事は何も分からなかった。だから、言われるまま叔父の言葉を信じた。
そして、気づいたら何もなくなっていた。
何も持たないシルヴィアを助けるものはいなかった。
オリヴィアや家政ギルドのギルド員を除いて。
「オリヴィアさんから、かなりのお金を受け取ってわたしを売るように手放したのは叔父様ですのに、今更、なぜわたしを探していたんですか?」
一瞬叔父の視線がエルリックに向かったが、叔父はすぐにシルヴィアに視線を戻した。
どうせ証拠はないとでも思っているのだろう。
実際、お金のやり取りの証拠はない。
お互い口約束だった。
正式に書類にすれば、お互いに困るから。
一人は、子供を売り、一人は子供を買った。そして、買った方が圧倒的に悪となってしまうから。
「それを口にして困るのは、あの平民の方だろう?」
「目に見たものが全て真実とは限りません。もし叔父様がオリヴィアさんを排除しようというのなら、わたしにだって覚悟はあります」
いくらだって証言する。
借金の形の様に売られたのではなく、助けてもらったのだと。
大金を支払ったのに、シルヴィアの働いた金額からお金を引き抜くことはせず、全てシルヴィアの給料として手渡してくれている。
商業ギルドに預けているシルヴィアの資産を見れば、お金が目的でシルヴィアを買い取ったわけでないことは分かるはずだ。
依頼用紙も調べてもらえれば、信憑性が増す。
どちらが悪なのか、徹底抗戦する覚悟がシルヴィアにはあった。
でも、それで傷つくのはどちらか。
家政ギルドは信頼で成り立っている。貴族ともつながりがあるギルドだ。
貴族ともめるようなところに、依頼を持っていくのを戸惑う平民は増えるだろう。貴族ならもっと、避ける。
そうすれば、立ち行かなくなるのは家政ギルドだ。
先の未来を見据えるのなら、避けたい。でも、それでオリヴィアの名誉を傷つけられるのなら、戦うしかないとも思っていた。
「ふん……平民に混ざって性格まで平民に成り下がったか? 貴族の女なら、家長に唯々諾々と従うものだ」
「わたしは、叔父様に何一つ与えられていません。それでなぜ従わなければならないのですか? 貴族としての義務? わたしはすでに貴族ではないと思っています。成人したら、除名していただいてかまいませんよ? 貴族でなくても生きていける術を教えてもらいましたから」
それがシルヴィアの強みだった。
貴族の女性は貴族としてしか生きられない。
誰かの庇護の元でしか、生きることを知らない。その中で、自ら考えよりよい人生を歩む。
外に放り出されて、お金を稼いで生きるという方法を知らないのだ。
しかし、シルヴィアは知っている。
お金を稼ぐ方法も、市場でお金を使う方法も、生活するための知恵も。
それは全てオリヴィアが教えてくれた。
「お前を見初めた男がいる。その男からお前の居場所を知ったまでの事。さすがにクラーセンの元にいるお前を私が連れ出すのは難しいと思ったが、お前を見初めた男が方法を教えてくれたよ」
それが一連の話という事だ。
一から事情を説明しようとすれば、困るのは叔父の方だ。被後見人をあからさまに冷遇していたとなれば、立場が危うい。
上手く取り繕うとしても、クラーセンの名は伊達ではない。
少しでもおかしなことがあれば、シルヴィアを引き渡さなかっただろう。
しかし、騒ぎにすれば、醜聞を嫌う貴族ならシルヴィアを簡単に手放す。
未成年者を誘拐し無理矢理働かせていた――などと言われれば、さすがに叔父の元に帰すしかない。
つまり、エルリックたちは利用されたと言う事だ。
エルリックの目が一瞬鋭く光る。
「きっとお金で売り払うんでしょう?」
「家のために結婚するのが女の義務だ」
「そうおっしゃるなら、ぜひ従妹のララリアにもそうおっしゃって下さい。お金のためにその身を売れと」
「アカデミーを卒業しているのに、たかが成り上がりの男爵のような男を宛てがうつもりはない。あの子なら、伯爵以上の有望な若者と結婚できる。お前とは違うんだよ」
つまり、シルヴィアの相手は男爵だという事だ。
その時、ふいにバンフォードが頭に思い浮かんだ。
バンフォードも男爵だ。
絶対に違うのに、もし相手がバンフォードだったら、自分はどうするのだろうかと考えてしまう。
「もうすでにお相手が決まっているとは驚きですね」
横からエルリックが不愉快そうに言った。
シルヴィアを売り払うために探していたと聞けば、さすがに思うところはあるだろう。
「ああ、この子にはもったいない良縁ですよ、カルテット・ボブスドレーブ男爵です。彼がシルヴィアをクラーセン卿のところで見初めたようでして。私のところに申し込んできてくれたんです。支度金もかなりの金額で、持参金も不要との事」
シルヴィアはぞっと鳥肌が立った。
隣にいるエルリックも、立ち上がりかける。
「正気ですか!? 彼は――……」
「悪い噂があることは私も知ってますよ。しかし、噂はしょせん噂でしかありません。私のところに挨拶に来た彼は、なかなか好人物でしたよ」
「は? 本気で言っているんですか!?」
「さて、男は女次第で変わるとも言います。シルヴィアがしっかりお仕えすれば、きっと良い夫婦になることでしょうね」
叔父が笑い、エルリックがグッと拳を作る。
これ以上の話し合いは無駄だった。
すでに話は終わっていた。
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