10.
それから、シルヴィアとバンフォードの関係は劇的に変わることはなかった。
ただ時々、一緒に出掛けるようになったくらいだ。
「涼しい……」
風が吹くと、暑くなってきた日中には気持ちがいい。
小麦色の髪が風に逆らうことなくなびく。
シルヴィアは特別な事が無い限りは鬘をつけて、自分を偽るのをやめた。
初めてエルリックがシルヴィアの姿を見た時、驚いていたが、彼は事情を何も聞かずに、ただそっちの方が似合うねと笑っていた。
初めて訪れた時は寒かった外は、雇われて四か月経つと、夏に向かっていた。
木々の隙間から零れる陽射しに、もうすぐ夏だなと、手で光を遮った。
「あの、今ちょっといいですか?」
「はい」
洗濯物を干していたシルヴィアに、バンフォードが声をかけてきた。
その手には手紙を持って。
「叔父上から、近々侯爵邸に来いと言われまして……、シアさんも一緒に」
「わたしもですか?」
「……もしかしたら、三か月前の事を叱られるかもしれません……」
三か月前というのは、バンフォードが初めて人を殴った時のことだ。
結構噂になっていると、エルリックからは聞いていた。しかし、その事について、クラーセン侯爵は何も言ってこなかった。
それなのに、今更叱ることかな? と逆に首を捻る。
「大丈夫ではないでしょうか。もし叱るのならすでにこのお屋敷にいらっしゃっていると思いますよ」
「そ、そうですよね……」
本当に問題があったとしたら、来いと手紙を送るよりも来た方が早い。
それに、手紙で来いと伝えたところで、以前のバンフォードだったら絶対に行きはしなかった。
それを知っているのに手紙を送ってきたのは、クラーセン侯爵もバンフォードが変わったと理解したからかもしれない。
「それで、シアさんも一緒に行ってくださいますか?」
「クラーセン侯爵閣下がお呼びなら、わたしも行きます。以前のわたしはだいぶ無礼な態度でしたので、謝罪しなければなりませんし……」
そっちも今更だが、機会がなかったので仕方がない。
バンフォードがほっとしたように、頷く。
「良かったです……、それに叔母上もシアさんに会ってみたいらしくて」
叔母上というと、クラーセン侯爵の奥方の事だ。
「侯爵夫人が……ですか?」
「はい、どうやらアデリーンからシアさんの事を聞いたらしくて」
一体アデリーンがどんな話をしたのか気になった。
「アデリーンはきっといい事しか言っていませんよ。悪口を言うような子じゃありませんし」
確かに、アデリーンはいい子だと思う。
少し気が強いところもあるが、空気も読めるし、人の話もきちんと聞くタイプだ。
「侯爵夫人とは直接言葉を交わしたことがないですが、姿を見たことはあります。お優しそうなかたですよね」
「あ、そういえばシアさんは、叔父上の屋敷で働いたことが……」
「はい、使用人の手だけでは足りなかったときに、一時的に」
その時、侯爵夫人を見知ったが、使用人に寛大な主人だと感じた。
なんとなく、アデリーンの性格は侯爵夫人に似たのではないかと思った。
「そういえば、何を着て行きましょう……」
使用人として他家に赴くのなら仕事着でもいいが、今回の訪問はそうではないようで、着る物も気を遣う。
「あの! もしないようでしたら、買いに行きませんか? 今回は叔父の招待に巻き込んだ形なので、仕事のようなものです。僕が――……」
「以前買っていただいた白のサマードレスを着て行きます。まだ一度も袖を通していないですし、時期的にもちょうどいいと思いますが、どうでしょうか?」
初めて一緒に出掛けた時、買ってもらったサマードレスをまだ一度も着ていなかった。
あまりにももったいなすぎて、クローゼットに掛かったままだった。
バンフォードは少しばかり肩を落としたが、そうですねと頷いた。
「ちょうどいいと思います。シアさんに良く似合っていますから……」
結局バンフォードが誕生日プレゼントと称して買ってくれた、白のサマードレスを着る事にした。
「シアさんは、好きな色はありますか?」
唐突に尋ねるバンフォードに、シルヴィアは目を瞬かせた。
「好きな色……ですか?」
「その、白いドレスを僕が選んでしまったので、断り切れなかったかもしれないなと思いまして……。本当は別のものを買いたかったのかもしれないと、最近思う様になりまして」
シルヴィアはくすくすと笑った。
「わたしは買っていただいたサマードレスをとても気に入っております。でも、あえて言うのなら――……」
シルヴィアは、バンフォードの瞳を見て答えた。
「紫……が好きですね。と、いいますか……紫の服は大人っぽいので憧れている、と言った方がいいかも知れません。成人したら、着てみたい色です」
「そ、そそ、そうですか……」
シルヴィアの答えを聞くと、バンフォードがそそくさと屋敷の中に戻っていく。
その姿が可愛くて、思わず背中に向けて小さく笑ってしまった。
その晩、シルヴィアはサマードレスをクローゼットから出し、汚れがないか確認していた。
侯爵邸に赴くのは七日後だ。
手土産も準備しなければと、あれこれ考えていた。
「やはり甘いものが……それとも、形に残るもの……?」
これはバンフォードにも相談しなければと、明日にでも聞こうと心に決めた。
そして、明日はバンフォードとの約束したふわふわパンケーキを作る日だ。
最近では手伝う事を覚えたバンフォードと一緒に作っている。
明日もきっとそうだろうなと思いながら、着替えようとしたその時、玄関の扉が強く叩かれた。
すでに夜も更け始めている時に、一体誰だろうと訝し気ながら、シルヴィアは部屋を出た。
バンフォードは聞こえていないのか、上から下りてこない。
以前、バンフォードを泥棒と間違えた時に、危険な事はしないように言われている。もし、何かあったら自分を呼ぶようにと。
少し考え、鍵を開けずに扉越しに話を聞けば、大丈夫だろうと判断し、シルヴィアは声をかけた。
「どちら様ですか?」
「シアちゃん? バンフォードいるかな?」
返ってきた返事はまぎれもなくエルリックだった。
勝手知ったる友の家。
いつもは扉をノックなどしないで、鍵で勝手に入ってきている。
夜だから気を遣ったのかと思い、シルヴィアはエルリックを中に入れるために、鍵を開けた。
「エルリック様、一体どうして――」
玄関の扉を開けると、そこにいたのはどこか暗い顔のエルリック。
しかし、そこにいたのはエルリックだけではなかった。
兵士が幾人かと、そして――。
シルヴィアは大きく目を見開き、足が震えた。
「ど、して――……」
兵士と共にいた貴族然とした男性が、シルヴィアの姿を見て、しっかりと頷いた。
そして、心底心配したんだぞと言わんばかりに大げさに腕を広げる。
「ああ、我が姪よ! もう何年も探していたんだぞ? 誘拐されてから、私はずっと心配で兄上たちにも顔向けできずに!」
「叔父、様……」
シルヴィアの震える声が、再会を喜んでいる――そんな風にも聞こえた。
ただ、エルリックだけは痛ましそうな色を浮かばせていた。
「子爵、申し訳ありませんが少し下がっていただいても? こちちらでも事実確認が――」
なぜ、エルリックと叔父が――……。
どういうことなのかエルリックに問いかけようとしたとき、背後からバンフォードが現れた。
「エルリック? 一体何事だ?」
騒がしい様子に、バンフォードが部屋から出てきた。
そして、玄関前にいるエルリックと兵士の姿に、ただ事じゃないと感じ取り、足早に近づいてきた。
しかし、こちらに近づこうとするバンフォードとシルヴィアの間を兵士が遮るように動く。
その様子に、バンフォードの眉が顰められた。
「一体どういう――」
「バンフォード・クラーセン男爵、あなたには誘拐の嫌疑がかけられています」
はっきりと言った兵士の言葉に、バンフォードが目を見開く。
シルヴィアも驚きで絶句する。
どうしてそういう話になっているのか。
エルリックを仰ぎ見れば、口を引き結び、顔が強張っていた。
兵士が、バンフォードを捕らえようと動き、咄嗟にシルヴィアが庇おうと口を開く。
「ちが――!」
シルヴィアは違うと叫ぼうとした。
しかし、言葉が最後まで続くことはできなかった。
突然、首筋に落とされた手刀で、意識が一気に混濁したからだ。
ふらりとふらつく身体を誰かが支えた。
揺らぐ視界の先に、慌てたようなバンフォードの姿が見えた。
ごめん、という謝罪と、シアさん! という叫び声。
それがシルヴィアの最後の記憶だった。
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この章はこれで完結。
この章だけで三万文字を超えてるんだよな……。
当初考えていた文字数十万文字は、軽く超えていきそうですね。