7.
顔を上げて相手を見るも、シルヴィアは見たことのない相手だった。
ただし、その気取った装いから貴族だという事が窺える。
肩幅はあるがバンフォードよりも頼りなく見えたのは、身体つきは細く薄っぺらい体つきだからか、それとも軽薄そうな顔付きだったからかは分からない。
顔つきは、それなりにモテるだろうと思うくらいには整っているが、その吊り上がった眼が嫌悪感を湧かせた。
というよりも、シルヴィアにとっては、相手がバンフォードを完全に格下だと思って見ていることが不愉快だった。
相手も女性を伴っているが、そちらの女性は派手な格好だ。
まるで今から夜会にいくかのような姿は、この場にはあまりにも異質だった。
昼間の明るいレストランに、妖艶な恰好程似つかわしくないものはない。
眉を顰めていると、男性の方が不躾なほどシルヴィアを眺め、にやりといやらしく笑った。
「ふーん……、そこのお前、男を見る目がないんだな」
いきなり無礼な発言に、さすがにムッとした。
先ほどまでの楽しい会話が、全て無に帰している。
バンフォードの方を見れば、彼は感情を全てなくしたかのように、話しかけてきた相手を静かに見返していた。
シルヴィアは、顔を上げ名を聞く。
「大変失礼ですが、どなたでしょうか?」
「俺の事を知らない? お前貴族じゃないな? なるほど……貴族の女は相手をしてくれないから平民から選んだということか。あははは、なるほどなるほど」
気障ったらしく髪をかきあげ、自分を知らないやつはいないとでも思っている自意識過剰な男は、うるさい声を上げて笑った。
その声に、店内の視線が集まってきていた。そして、店員までも近寄ってきた。
「申し訳ありません、いかがされましたか?」
「ふん、平民が貴族の会話に入ってくるな! 失せろ」
横柄な態度だが、相手は貴族。
それゆえ、店員の方も若干及び腰だった。
「ねぇ、カルテット様、こちらの方はどなたでしょう?」
「ああ、こちらは次期クラーセン侯爵様さ。まあ、そうなるかはわからないけどな」
馬鹿にしたようにくすくす笑う二人に、シルヴィアが言い返そうと席を立ちかけた。しかし、シルヴィアの手を抑えてそれを遮ったのは、バンフォードだった。
バンフォードはシルヴィアに軽く首を振り、ただ言われるがままだ。
「それでは、次期クラーセン侯爵閣下? せいぜいそこの女に、捨てられないようにするんですね。太った男が好きな女なんて、希少ですからねぇ。おっと、もしかしたらお金が目当てかもしれませんが、お金があれば女子にはモテますから、これからもしっかりと稼ぐといいですよ?」
「あら、お金持ちの方なのね?」
「そうだな、まあ貴族があくせく働くなど優雅さに欠けるがな」
最後の言葉は、慇懃無礼だ。
笑いながら去っていく二人は、店を追い出されることなく店員に案内され奥へと入って行く。
シルヴィアは苛立ちながら、椅子にしっかり座りなおす。
そして、きっぱりと言った。
「出ましょう」
と。
しかし、バンフォードは何事もなかったかのように、店員を呼び、さきほどシルヴィアが食べたいと言っていた料理を注文していった。
「バンフォード様」
バンフォードと店員の会話が終わると、シルヴィアは再びバンフォードに声をかけた。
彼は、笑って答えた。
「すみません、気を悪くされましたか?」
「……バンフォード様は嫌ではないのですか? あんな事を言われて。わたしはすごく嫌でした。バンフォード様の事を何も分かっていないあの人の態度に腹が立ちました」
「でも、僕にとってはどれも本当の事です。侯爵になるかも分からないし、太ってもいます。それに、女性にモテたこともない……。ただ、今まではそれをずっと後ろ向きに考えてきました」
ちっとも気分を害していないバンフォードに、シルヴィアは不思議な気持ちだった。
今までだったら、絶対縮こまって、俯いているのに。
「前向きに認めてしまえば、どうってことないのだと知りました。僕は侯爵の地位などほしくないし、太っていてもありのままを受け入れてくれる人もいるのだと知っています。女性に関しては……好かれるように努力しますとしか言えませんが」
「別に努力しなくたって、バンフォード様は素敵ですよ」
初めて会った時から、彼は優しかった。
弱いところもあるが、自ら稼いで自立している。一人でなんでもこなそうと、努力しているし、頭もいい。
時々子供っぽくなるところも、魅力の一つだと思う。
シルヴィアは、ふうと息を一つ吐いて肩の力を抜いた。
「バンフォード様がそこまでおっしゃるのなら、わたしはもう何も言いません。エルリック様のおごりですし、もったいないですからね」
「その通りです。きっと、店員の方も気にかけてくださるでしょうし、もう顔を合わせることもないでしょう」
騒ぎを起こされると、店側のイメージが下がる。
どちらかを追い出せればよかったのかもしれないが、どちらも貴族でそれが難しかった。
「ところで、先ほどの方はどなたでしょうか? わたしは貴族には疎くて……。向こうの方は、自分を知らない貴族はいないと自信をもっていらしたみたいですが……」
「そうですね、悪い意味で知らない貴族はいないかもしれません。危険な遊びを良く知っている奴ですから……。僕との関係は、貴族アカデミーでかかわりがあるくらい、でしょうね。卒業してから再会したのは今日が初めてです。名前はカルテット・ボブスドレーブです。確か今は父君の後を継いで男爵だったかと」
貴族アカデミーの単語と少し濁した言い方に、クラーセン侯爵が以前言っていた事を思い出した。
上位者におもねる男爵家の子息に、バンフォードが体型を馬鹿にされていたことを。
バンフォードは詳しくシルヴィアに説明しなかった。
しかし、相手の言葉の端々から感じる蔑みに、分からないはずない。
「昔――というか、つい一か月ほど前の僕なら、さっさと逃げていたでしょうね。そもそも、こういう店に入ることもしなかったと思います」
むしろ、屋敷から出なかったはずだ。
「もしここで僕の方が店を出れば、負けを認めたようで嫌なんです。僕は、何も悪い事はしていませんから、堂々としていたいんです。そうすることでしか、相手にも伝わらないとも思いました。どうせ、向こうは僕が何を言っても負け惜しみとしか取らないでしょうし」
バンフォードの言う通りだった。
向こうはバンフォードを自らよりはるか格下としか考えておらず、格下の言葉を素直に聞きはしない性格だ。
初めて会ったのにも関わらず、シルヴィアにもそれは分かった。
「言葉で伝わらないのなら態度で示すしかないのかなと思いましたが、シアさんには不快な思いをさせてしまったようですね。すみません、何も聞かずに勝手に決めてしまって」
シルヴィアはいじけたようにふいと視線を逸らした。
子供の様にシルヴィアが守らなければと思っていたのに、彼はこの短い期間で驚くべき速さで成長していた。
それが少し悔しかった。
これではむしろ、店を出ようと逃げの選択肢を与えようとしたシルヴィアの方が子供のようだ。
「バンフォード様がよければ、それでわたしはいいです。確かに、わたしたちは何も悪い事をしていないのに、店を出るのは負けたようですしね」
そうして、逃げたと思われるのも嫌だ。
「お腹がすくと悪い事ばかり考えるものだと、つい先日知ったので、とりあえずお腹を満たしましょう」
意外に早く、何品か料理がやってきた。
店側もどうやらかなり気にしているようだった。
「少しずついただいてもよろしいですか?」
「ええ、余ったものは僕が食べますので、好きなだけどうぞ」
甘やかすのはシルヴィアの方だった。
しかし、今はシルヴィアの方が甘やかされていた。
お読みくださり、ありがとうございます。
よろしければ、ブックマークと広告下の☆☆☆☆☆で評価お願いします。