4.
馬車でやってきたのはシルヴィアが想像してもいなかった場所だった。
降りましょうと声をかけられて、人形の様に馬車の外に連れ出されたシルヴィアは、ぽかんと口を開けていた。
「女性服ならここだと思いまして」
「え……ここ?」
「はい。評判も良く、既製品もありますが、オーダーメイドもできます。なんでも好きなもの買ってください!」
いや、確かにこの店はかなり評判がいい。
質もよく、デザイン性も機能的で、しかし可愛く繊細。
女性なら、誰もが一度は憧れる店。
そう、ここは――……。
「ブティック《ローシェリア》……」
呟いた名に、にこにこと笑うバンフォード。
え、本当にここに入るの? え? と混乱している間にもバンフォードがシルヴィアの手を取ってエスコートして入って行く。
すぐに店員がやってきて、バンフォードが何事か言うと個室に通してくれた。
「人の目が気になるので、個室をお願いしました。気になるものは店員に言えば、持ってきてもらえますから」
何てこともないようにバンフォードが言う。
「あの……え? ここで、買うんですか?」
「あ、もしかしてお気に入りのお店が? すみません……女性ならみんなここが好きだと勝手に勘違いを……すぐに出ましょう!」
「いえ! 大丈夫です!! ここで!!」
店員がこちらを見ている。
そんな中で、気に入らないから出ていく――などと口にする勇気がシルヴィアにはなかった。
貴族御用達高級ブティック《ローシェリア》にケチをつけるなど、恐れ多くてできないのだ。
ローシェリアは、確かに女性の憧れだ。
貴族女性はこの店でオーダーメイドドレスを買うのに、何か月も待ち、相当なお金をかけると聞く。
既製品もほとんどが一点もの。
それでも手に入るのは難しく、そもそもこの店は紹介者がいなければ入ることもできない。
しかも店に入るのにも、事前予約は必要で、ましてや個室など一部の貴族しか入れないはず。
こんなところで買い物をするなんて聞いていなかったシルヴィアは、戦々恐々としていた。
場違いすぎる自分に、店員は一体何を思うのだろうと、びくびくしてしまう。
そんな様子のシルヴィアに、バンフォードは意外そうに言った。
「シアさんでも、緊張することがあるんですね……、あ、いや馬鹿にしているわけではなく、本当に驚いてしまって……。叔父上にも意見できる人なのにと思うと、どんな事にも動揺しないのかと思っていまして……」
「そんな事はありません。この間も言いましたが、完璧な人間なんていないんです」
というか、どういうことなのか、むしろそっちを説明してほしい。
ぎりぎり睨むようにバンフォードに顔を向けると、彼は少し困ったように頬かいた。
「ええと……」
どう説明したものかと、考えているバンフォードは実は――とようやく白状した。
「あの、僕が開発した治療薬、クラリーゼンは知っていますよね?」
「はい、エルリック様からお聞きしています」
「実はここの店主がクラリーゼンのおかげで、命が助かったんです。指先の硬直もあまり進まずにすんで、デザイナーとして今でも活躍しているんですが、その――薬を作った僕に非常に感謝してくれて、いつでも来てほしいと言われていまして……」
唖然としてバンフォードを見た。
確かにすごい薬を開発して、人に感謝されているだろうことは分かるが、まさかそんな繋がりがあるとは思っていなかった。
「……すごい方だって、今すごく実感しています」
「そ、そうですか? そんなすごくもないんですが……。僕、薬の開発よりも改良の方が専門なので、本当にたまたま発見した治療薬なんですよ」
謙遜するバンフォードだが、むしろたまたま発見したほうがすごいのではと突っ込みたくなった。
それに、薬の改良だってそんなに簡単にできるとは思えない。
「あ! 薬の改良は結構簡単なんですよ。僕、なんと言いますか得意なんですよね、成分分析が」
それはもはや天性の才能なのではないだろうか、とシルヴィアは悩む。
照れくさそうにぽやんと笑うバンフォードは、本当に自分がどれほどすごい事をしているのか自覚がなさそうだ。
下手をすれば嫌味にしか聞こえないが、バンフォードの人柄なのかそんな風には聞こえなかった。
「ところでシアさん……、その……普段は、髪を……どうされているんですか?」
言葉を濁して尋ねてくるバンフォードは、シルヴィアの鬘について聞いてきた。
「貴族のお屋敷で働いているとき以外は、いつも何もしていません。ただ、貴族の家では少し気を遣ってこの髪にしているんです」
「ああ、シアさんの髪はお綺麗ですから……」
詳しい事情は説明していないが、バンフォードは相変わらず何も聞いてこない。
本当のところ、バンフォードはこの事をどう思っているのだろうかと逆に気になった。
「シアさん……あの、ここでは秘密は必ず守られます」
バンフォードが真剣に言う。
「それは……」
シルヴィアは戸惑う。
それは、バンフォードなりの気遣いだった。
「外は……暑いですし」
確かに今日は暑い。
鬘があると、蒸れて特に熱く感じた。
シルヴィアは悩む。
鬘を付けているのは、万が一のための保険でもあった。
両親を知っている人が今のシルヴィアに気づいた時、それが叔父夫婦の耳に入り、何を言ってくるか分からない怖さがあったから。
でも、果たしてそんな事が起こり得るのかと、最近はよく思う。
今まで、自然体で出歩いているとき、貴族とすれ違ったことくらいおそらくある。
しかし、誰一人シルヴィアを気にかけるひとはいなかった。
それに、叔父夫婦から離れて二年半。
この月日は子供が大きく成長するのに、決して短い年月ではない。
もしかしたら、今のシルヴィアを見ても叔父夫婦も分からないのではないかとも思った。
「あ、余計な事を……」
誰にでも秘密はある。
言いたくない事も。
だけど、そのままでいられるわけでもない。
いつか秘密は秘密で無くなるときがくるのだ。
「いいえ……」
シルヴィアは、バンフォードの言葉を否定した。
前向きになってほしいと思っていたのに、自分の方こそ後ろ向きな考えをしていた。
「わたしの方が色々だめだったみたいです」
「え?」
シルヴィアは子爵令嬢だが、もうその身分は捨てているも同然だ。
二年半も叔父夫婦はシルヴィアに接触してきていないのに、シルヴィアは未だにあの二人を気にしていた。
それが馬鹿馬鹿しくなってきた。
考えてみても、もしシルヴィアが子爵令嬢だとバレても、どうだと言うのだ。
恥をかくのは叔父夫婦であってシルヴィアではない。
なにせ、シルヴィアは平民として生きていくと決めているのだから、貴族から馬鹿にされたってどうってことないのだ。
むしろ、叔父夫婦が乗り込んできたら、意気揚々と貴族籍の除籍願いを書いてもらっている。
すでに一人で生きていく術は身についている。
もし仮に、何かしてくるようなら国を越えたってかまわない。
手に入れた技術はどこでだって通用するのだから。
そう思うと、すっと気持ちが楽になった。
「これ、外しますね。本当は、必要のないものだったんです」
鬘を外すと、すっきりとした。
生まれ変わったみたいに、すがすがしい気持ちがして、思わず笑みがこぼれた。
「涼しいですね、これがないと」
本当に、気分がよかった。
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