3.
シルヴィアは、王城をここまで近くで見るのは初めてだった。
馬車でやってきて、城門前で一度検査を受けたが、それもすぐ終わり、そのまま門の中を進んで行く。
白い城壁に、王城もまた白い。
大きくてこれほど近いと全体が見えない。
「珍しいですか?」
「そうですね、初めて入りますので」
子供の様に感動しているシルヴィアに、バンフォードはうれしそうに笑った。
「よかったです。楽しんでもらえて」
「すみません……、なんか子供みたいですよね」
ばつが悪くなり、シルヴィアは大人しく席に座り直す。
「そんな事はありません。僕も初めて訪れた時は感動しました。なんて大きいんだろうって。今日は入城許可をもらっていないのですが、いつか中も案内します。その時はエルリックに頼みましょう」
「うれしいです」
今日は騎士団の建物へ行くことになっている。
エルリックにはすでに話をしているようで、建物の前で待っていてくれるらしい。
王城の敷地内は、道が舗装され、いくつもの分かれ道になっていた。
分かれ道ごとにどちらに案内が書かれた看板が置いてあるので、道に迷うことはなさそうだ。
城門からしばらく進むと、厳つい雰囲気の建物が見えてきた。
騎士や兵士たちが出たり入ったりしている。
その前で、ひときわ目立つ赤い制服。
みんなちらちらとその人物を横目で見ていた。
「さすがは上級騎士様ですね。みなさん、エルリック様に感動しているみたいですよ」
「感動するほどの奴じゃないですけど」
むっとして答えるバンフォードは、自分が親しいとは思われたくないような様子。
誰が見てもバンフォードとエルリックは友人だと言うだろうが、本人だけが認めたくないようだった。
馬車がゆっくりエルリックの前で止まる。
外から馬車の扉が開き、エルリックが笑って手を振っていた。
「シアちゃんも一緒だったのか! ま、そうだよな。こいつ一人でここまでくるとか絶対にないと思ってたよ」
「あいさつくらいしろ……」
馬車を一人下りるバンフォードが、睨むように言った。
エルリックはバンフォードの言葉に、目を瞬かせ、ふーんと口角を上げる。
その顔付きに、バンフォードは嫌そうに眉をひそめた。
「じゃあ、あいさつ位しようじゃないか。わが友よ!」
「や、やめろ!」
がばりと抱き着かれ、バンフォードが引き離そうともがく。だが、相手は身体を鍛えた騎士。
いくらバンフォードが体格良くても、簡単には振り払えない。
「いやー、喜びの抱擁だよ! 良かったな……本当に――……」
ぽんぽんと背をたたかれ、仕方なさそうにバンフォードもエルリックの背をたたく。
まるで、長らく会っていなかった友人と再会したかのようだ。
抱擁は、すぐに放された。
しかし、エルリックはすがすがしい程満足していたが、バンフォードは苦虫を嚙み潰したような顔になっていた。
どうしたのだろうかと尋ねる前に、馬車の中にいるシルヴィアに、窓越しにエルリックが陽気に話しかけてきた。
「久しぶりだね。この間は、色々悪かったよ」
「こちらこそ、おもてなしもできずに……」
「いいよ、それどころじゃかったしね。でもシアちゃんも大変だっただろう? こいつのお守りは」
「お、お守りって――!」
「違うの?」
エルリックはバンフォードに振り返り、否定しようとしていたバンフォードに尋ねた。
バンフォードがぐっと言葉を飲み込む姿が見える。
そんな二人の姿に、シルヴィアは思わずくすりと笑みを零した。
「シアちゃんのおかげで、引きこもりがようやく外に出るようになって、本当に良かったよ」
エルリックの目が優しく笑い、それが本心なのだと分かる。
「ところでさ、シアちゃんこいつに何かした?」
「何かとは?」
「引きこもりを表に出すくらいの衝撃的な何かさ」
何か……。
「……何も、してませんが?」
一瞬、あの日バンフォードを抱きしめた時の事を思い出し、少しだけ頬が赤くなる。
女性の機微に聡いエルリックは、シルヴィアの様子に何かあったのだとすぐに察し、片方の眉を上にあげ、にやりと笑う。
「ま、男女の事なんて聞くのは野暮だからね。そのうち酒の肴にバンから聞くことにするよ」
「聞くな!」
即座に叫ぶバンフォードに、エルリックはからからと笑った。
「さてと、荷物はこちらで全部引き取るよ。わざわざ悪かったな、それとこの間の事もさ。母上にはハッキリ言っておいたから、これ以上クラーセン卿に絡むことはないと思う」
「……悪かったな、母君とケンカになったんじゃないのか?」
「今に始まったことじゃない。それに、これに関しては父上からも母上に一言あったから。母上としては、別にクラーセン侯爵家を攻撃したつもりはなかったそうだ。あくまで、私とお前との付き合いをやめさせたかったらしい。ま、そうだろうと思ったけど」
肩をすくめるエルリックに、バンフォードが神妙に頷いた。
「分かってる……叔父上が大げさに言っただけだろう? 僕にも分かってる」
クラーセン侯爵とはあれ以来接触はない。
バンフォードにとってみれば、心を整理する時間が必要で、いつかはきちんと向き合わなければならないと分かっている。
「そうか……」
エルリックは苦笑しながら、ポンとバンフォードの肩をたたいた。
「それでは失礼いたします」
「またね、シアちゃん」
「今度来るときは、先ぶれを寄越せ」
「はいはい、それまでシアちゃんがいてくれるならね。いなくなったら、慰めてあげるから、連絡しろよ」
その言葉を無視して、バンフォードは御者に馬車を出すように言う。
シルヴィアは軽く手を挙げているエルリックに会釈をした。
「挨拶なんて不要です」
「そういうわけには……」
不機嫌そうに言うバンフォードにシルヴィアは苦笑した。
「そういえば、先ほど何か言われていました?」
「何か? エルリックにですか?」
「はい、抱きしめられていた時に。お互い離れた時に、バンフォード様のお顔が少し……」
苦虫を噛み潰したかの様な顔が少しだけ気になった。
耳元で何か言われているような感じもしたので、何か嫌な事でも言われたのかと心配になる。
せっかく立ち直ってきたのに、余計な一言はいらない。
まるで、子供を守る母親のような心情になっていた。
「あれは……その――……まあ、なんでもないと言いますか、餞別を渡されたと言いますか……とにかく、なんでもありません」
なんでもないと二度も言うところを見ると、話す気はないようだった。
シルヴィア、こくりと頷きその言葉を信じることにする。
ほっとしたようなバンフォードが、印象的だった。
「ところで、先にシアさんの服を買いに行きましょう。この陽気では、それは暑いのではありませんか?」
「そうですね、生地が厚いので今日の陽気では少し」
帽子をかぶっているので多少日差しが遮られているが、それでも暑い。
ここ最近、特に暖かくなり、日中は汗をかくこともある。
「あの……」
バンフォードが窓から空を見上げるシルヴィアに恐る恐る話しかけてきた。
「はい」
俯き加減で、様子を窺うようなバンフォードの頬が少し紅潮していた。
これは、何か緊張して照れているなとすぐわかる。
「あ、ああ、あの……」
言いかけては口を閉じ、何度かそんな事を繰り返したバンフォードは、ようやく覚悟を決めたように、シルヴィアの手を取った。
「ぼ、ぼ、ぼぼ、僕が買います!!」
ここで、何を? と聞き返すのはかわいそうな気がした。
「そ、その! 色々お世話になっていますし、それに休みも全然気にしていなくて、申し訳ないしで……。つ、つまり――、特別報酬! そう、特別報酬として……ですね……」
尻すぼみになっていく勢いに、シルヴィアは少し考えた。
これが正しいのか正しくないのか。
付き合ってもいない、雇い主の男性からこんな事を言われたら、さすがにちょっと疑う。自分を好きなのでなかろうかと。
しかし、バンフォードはどう考えてもシルヴィアを女性として好きだとは思えない。
なにせ、つい最近までもだもだしていたような人が、突然女性を好きになるという行程が思い浮かばなかった。
つまり、今言ったことは本当にただの好意なわけで。
この好意を受け取っていいのか悩み、すぐに笑みを浮かべて了承した。
自信のないバンフォードが、自ら行動したのに否定する様な言葉は、水を差す。
それに、特別報酬ならば、受け取っても問題ない。
――そう、特別報酬だもの。
なんとなく、言い訳がましく聞こえることは気にしないことにした。
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