2.
三日後、一張羅の外出着を着て、それに見合う少しだけお高い皮の靴を履く。編み上げのブーツで、しっかりと上まできゅっと革紐を結ぶ。
この屋敷にやってきて以来しまわれた外出着は、中古品だがなかなかいい品だった。
しかし、これを買ったのはまだ寒かった時期で、そこそこ厚手だ。そろそろ別のものを買わなければいけない時期。
そのため、本格的に暑くなる前に行こうと休みをもらった。
外に出れば、今日も日中は汗ばみそうな陽気だった。
黒い髪の鬘は首筋が熱くなってきたので、全ての髪を束ねて一本の三つ編みを作りくるりと丸めた。
正直、首筋よりも黒髪の鬘の中が蒸れて暑いが、これは我慢しなくてはならない。
「さて、これでいいわね」
備え付けの姿見で全身を確認し、そっと頬に手を当てる。
「少しくらいはお化粧必要かしら……」
シルヴィアは、肌が白く白粉を塗る必要性はないが、大人のマナーとして化粧は必須。
それに、今日は一人で出かけるのではなく、バンフォードと一緒だ。
礼儀として、やはり少しくらいは――……。
そこまで考えて、鏡の前で腰を折り前のめりになっている姿勢を正した。
「別に逢瀬ってわけでもないのに……」
しかし、視線は仕舞われた化粧用品に向く。
そう、マナーだ。
これは、大人としての礼儀。
ちょっとくらいは大人びても――……。
シルヴィアはうんうん悩んで、はあと思い切りため息をついた。
*** ***
準備が整うと、帽子をかぶって玄関ホールへ向かう。
すると、すでにそこにはそわそわとした大きな身体の持ち主――バンフォードが待っていた。
少し遅れたかと、ちょっと反省しながら近寄ると、シルヴィアの姿に気づいたバンフォードがくるりと振り向いた。
「あ、シアさん……」
「バンフォード様、その恰好は……」
ぽかんとした表情の彼は、今まで見たことのない恰好をしていた。
普段はシャツにズボン、時々ベストを着る程度の楽な姿だ。それに見慣れていたせいか、驚くほどしっかりお洒落した姿に、言葉もなくシルヴィアは全身を観察していた。
シルクハットこそ持っていないが、シャツにベスト、それにネクタイも締めて上着もしっかり着込んでいた。
全身紺色の布を使っていたが、上着の襟は綺麗に刺繍が縁取り、ネクタイについているネクタイピンは自身の瞳に合わせた色で良く似合っている。
正装は、痩せた人間よりも少し厚みがあった方が似合うと聞いたことがあったが、そうかもしれない。
完全な正装ではなく準正装だが、正直着こなしだけならクラーセン侯爵より上かも知れない。
それにしても、一番驚いたのは髪を整えていることだ。
いつも目を隠す長い前髪が後ろに撫でつけられて、照れたような紫の瞳がはっきりと姿を現していた。
「あ、ああ、あの……いかがでしょうか?」
何も言わないシルヴィアに、おどおどしながら聞いてくる。
シルヴィアは、これでは本当に貴族と貴族に仕える使用人だと思った。間違ってはいないが、なんとなくもやっとする。
服についてはどうにもできないが、化粧をしてよかったと少しだけ思いながら微笑んで答えた。
「大変お似合いだと思います。失礼ながら、クラーセン侯爵閣下よりも似合っていると思います」
「そ、そそ、それはほめ過ぎです……」
クラーセン侯爵はさすがに言い過ぎだと、恐縮するバンフォードだが、本当に良く似合っていると思う。
この姿のまま外に出れば、少なからず女性の目に留まるのではないかと思えるくらいには。
そこまで考えてシルヴィアは再びなんとも言えない気持ちになった。
しかし、軽く頭を振りその気持ちを切り替えた。
「シ、シアさんも……に、似合っています。お、お化粧しているところを初めて見ました」
照れている姿を見ていると、なぜかこちらまで照れてくるが、褒められて嫌な気持ちはしない。
「ありがとうございます。それでは行きましょう。ここからだと乗合馬車に乗ることになるのですが――……」
「それなら大丈夫です。手配しておきました」
「そうなんですか?」
「出かけるときはいつも頼むんです。乗合馬車は待たなくちゃいけないので。いつ来るかもわかりませんし」
お金はかかるが、考えてみればバンフォードはかなり稼いでいるのだ。
むしろお金を使って経済を回す側。
ありがたくも、その恩恵にあずかりバンフォードのエスコートの元、外に出た。
二頭立ての馬車が待っていて、御者が下りて扉を開いて待っていた。
「立派ですね……」
普通、借りるとしても平民は一頭立ての馬車が主流だ。
街中で走っている馬車でも、貴族の中で金持ちの貴族以外は一頭立ての馬車だったりする。
そこに財の格差があるのは歴然とした事実。
「いつもは一頭のものですが、今日はシアさんがいるので……」
「わたしのために?」
「は、はい! お休みも上げなかった情けない主ですので、せめて馬車ぐらいは快適に過ごしてほしくて……」
バンフォードが恥ずかしそうに説明した。
俯きがちだが、今までとは違う。顔色は明るく、楽しそうだ。
シルヴィアは、ゆっくり口元を緩ませた。
「その気遣いありがたくいただきますね、バンフォード様。わたし、二頭立ての馬車に乗るのは初めてです」
貴族令嬢として屋敷にいたときも、家にあったのは一頭立ての馬車だった。
大きな馬車にはちょっとした憧れがあったのでうれしくなって、わくわくしてきた。
「どうぞ」
「ふふふ、なんだか貴族令嬢になった気分です」
手を支えられて中に入る。
なかなか広く、身体の大きなバンフォードが一緒でも、狭さを感じない。
バンフォードが乗り込む際に、大きく馬車がきしむがそれもすぐに収まる。
御者が二人が乗り込むと扉を閉めた。
バンフォードが御者に指示を出すと、馬車はゆっくりと動き出す。
規則正しい馬の足音が、リズミカルで楽しくなってくる。
ガラスのはめられた窓を開けると、涼しい風が入ってきた。
初めて屋敷内のこの道を見た時は鬱蒼とした場所だなと思ったが、今は神秘的な光の揺らぎを楽しめるくらいにはなった。
「楽しいですか?」
「そうですね、すごく! 使用人のために立派な馬車を雇うのはバンフォード様だけです。本当にうれしいです」
ニコニコと笑っていると、バンフォードが顔を少し背けた。
その耳が若干赤くなっていることから、照れているのが分かる。彼はすぐに顔に出るのだ。
「ところで、エルリック様にお渡しするものは?」
「馬車の天井に積んでます。そんなに重い物でもないですし。まずは、王城から行ってもいいですか? 荷物がない方が買い物した後に積めるので」
「もちろんです。わたしは特別急ぎの用事はないので」
「ところで、シアさんはどういったご用事が?」
そういえば、今日の目的を話していなかったことに気づく。
「実は、外出着がこの一枚だけなので、そろそろ買い換えないとと思っています。これを買ったのが寒い時期だったので、そろそろ涼しいものが必要で。本格的に暑くなると外に出るのも億劫ですから」
「確かに、そうですね……。僕は、夏が好きじゃないので」
「わたしは逆に冬が嫌いです。寒くて、凍えるから……。わたしどちらかと言えば体温が低いので」
「僕は逆に体温が高いです」
体格的に体温は高いだろうなと勝手な想像通り、本当に高いようだ。
冬はさぞかし温かそうだなとシルヴィアは考えていた。
その時、あっ、と小さく声を漏らす。
あることを思い出したシルヴィアは慌てたように聞く。
「すみません、わたしいつも寒いと判断して朝晩は暖炉に火を入れていましたが、実は暑かったですか?」
「そんな事はありません。むしろ、寒いのなら日中も好きに暖炉に火を入れてください」
そんなたわいない話をして過ごしていると、すぐに賑やかな声が外から聞こえてきた。
久ぶりにやってきた王都の中心部は、いつも通り活気にあふれていた。
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