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1.

 クラーセン侯爵がやってきた日、部屋で大泣きしたバンフォードは、翌日気まずそうな顔をしながらそれでも何かが変わった。


 一番大きな変化は言葉だった。

 緊張していると言葉が詰まるが、それ以外では詰まることなく話す事ができるようになった。


 聞くところによると、貴族アカデミー時代入学当初にからかわれて以来、ああなってしまったらしい。

 そして、それが一層いじめを加速させて、一時は食事も食べられないほどだったとか。


 ご両親は心配してくれていたが、自分がいじめられているとは言えなかった。

 もし言って、見限られたら? 軟弱者だと思われたら? そう思うと言葉を飲み込んでしまったと。

 二年時になると、一年時の時はクラスが違ったエルリックとクラスが一緒になり、いつも守ってくれるようになった。

 もともとエルリックとは友人――バンフォードが言うには知り合い――だったが、アカデミー入学時には別クラスということもあって、顔を合わせることがほとんどなかったそうだ。


 ちなみに、エルリックは好き嫌いがハッキリしていて、定期テストも教科ごとに相当点差があったらしく、落第点を取る前に勉強を教えていたと言っていた。


 そのおかげか、勉強を教えてくれるバンフォードの教え方はうまかった。

 天才は感覚で分かるので教えるのが下手だと聞くが、どうやら一部の人だけのようだ。


「シアさんは始めから読み書き計算ができましたが、ご両親から教わったんですか?」

「はい。十歳で両親が亡くなる前までは、かなり厳しくしつけられていたと思います」

「そうだったんですね。確かにシアさんはとても所作が綺麗ですから」


 母親仕込みの礼儀作法は、シルヴィアの中で生き続けている。

 それが認められるという事は、母も認めてもらえていると同義なので少しうれしい。


「色々苦労はしましたが、そのおかげで、そのまま両親と暮らしていたら知らなかっただろうことを色々学べて、それはそれで満足しています」


 これは本心だった。

 両親が生きていたら、きっともっと楽な人生だったとは思う。

 しかし、オリヴィアと出会えて、こうしてバンフォードと知り合えた事は、なかったことにしたくない。


 そのとき、そういえばバンフォードはなぜ名誉男爵の地位を望んだのか気になった。

 名誉にもお金にも興味なさそうなのに、なぜ貴族のしがらみを望んだのか。

 今なら何か話してくれるかもしれないと思い、シルヴィアが尋ねた。


「バンフォード様、少しお聞きしたいのですが」

「あ、はい。どこが分かりませんか?」

「すみません、雑談の続きと言いますか……、バンフォード様はなぜ名誉男爵の地位を望んだのか気になりまして」


 バンフォードは、口元を緩めて苦笑した。


「大した理由ではないんです……。実は、王立アカデミー卒業時に叔父に帰って来いと言われたんです。どうせ一人じゃ何もできないんだからと。全く、その通りだったんですが、その当時は働いて自立すれば僕を蔑む叔父に認めてもらえるんじゃないかって思っていたんです」


 別に蔑んでいたわけじゃないのは、今は分かってますと付け加え、話を続けた。


「名誉男爵になれば爵位も手に入り年金までついてくる。そのお金で自活できれば、何かが変わるのではないかと。今にして思えば、相当無謀だったと思います。叔父からは温室育ちが何を言ってるんだと散々馬鹿にされました」


 実際、生活してみると叔父の言っていたことが良く分かったそうだ。

 屋敷を借りる、もしくは買うのにどれほどかかるか、王都内の物価にさえ疎く、使用人を雇う術も分からずと、とにかく何も知らない状態だった。


「でも、僕の薬を販売している商会が力になってくれて、あれこれと世話してくれました。あの時ほど自分が無知だと思ったことはありません」


 薬師であるのなら、薬を作って販売しているのは分かるが、商会があれこれ世話するということは、それだけの価値があるという事だ。


「商会が、手助けしてくれたのですか……」

「はい、マトリアクス商会です。そこで売られている軟膏は、僕が作ったんですよ」

「え!?」


 思わず驚きの声が素で出てしまった。


 マトリアクス商会が売っている軟膏は現在一種類だけ。水を使う事が多く、手が荒れる女性のために、開発されたものだと聞いているが、とにかくこれがすごかった。

 少しの量で手の指先まで伸びるほど伸びがよく、保湿性もありなおかつ傷薬としても使える。

 冬の日の荒れた手には、これなしでは生活できないほど。


 シルヴィアも愛用している。


「わたしも使ってます」


 ポケットから小さなケースを取り出すと、バンフォードがぱあっと嬉しそうにはにかんだ。


「う、うれしいです。シアさんにも使っていただけてるなんて……」


 というか、王都で使っていない女性はいないんじゃないかと思う。

 貴族令嬢でさえ、使っていると聞く。


「この軟膏は王立アカデミー時代に、同級生の母君の話を聞いて作りました。それが、マトリアクス商会の目に留まり、売り出したのが始まりです」

「ア、アカデミー時代に作った軟膏……」


 学生の時には、すでに薬を開発していたとは。


「できるだけ安価で手に入るように、材料もその辺でとれる薬草をいくつも組み合わせました。もちろん、成分分析されても分かりにくいような工夫はしていますし、調合配分なんかも秘密です。この軟膏が今のところ一番の稼ぎ頭で、そのおかげで生活できているようなものです」


 シルヴィアは忘れかけていた事を思い出した。

 シルヴィアに支払っている金額は、通常よりも割高だったことを。


 卑しい考えだが、一体いくら稼いでいるのかすごく興味があった。


「この軟膏で、月に金貨二百枚くらいは入ってきます。研究費用に苦しむ研究者は多いですが、僕は結構運に恵まれました」


 勝手に教えてくれた。


「つ、月に二百枚……わたしの多いときの五十倍……」


 王都で家族四人過不足なく暮らすとして、平均で金貨四枚ほど必要になる。シルヴィアは、月金貨二~四枚と幅があるが、これでも稼いでいる方だ。

 王都で一人暮らしする分には十分だと思う。


 家政ギルドは、主婦が手に空いた隙間時間で仕事を選べるのが特徴のギルドで、所属するギルド員も主婦が多く、がっつり働く必要性がない。

 そのため、家政ギルドの中ではシルヴィアは稼ぎ頭なわけだが、次元が違い過ぎた。


「あ、あの! ですがこれは研究費でほとんどなくなってしまって……。一応投資なんかもしてます。領地の鉱山事業に開始当初から結構つぎ込みました。叔父から、投資するなら自分の領地でやれって言われてましたし、もちろん叔父の手腕は信じていましたので。おかげで今は配当金もかなりのもので」


 外から投資者を募るより、身内で固めていた方が後々いいのは分かるが、クラーセン侯爵は色々先を見据えていそうだ。


「も、もしかして……給金は少ないですか? シアさんには色々してもらっているのに……」

「十分いただいております。ただ、週に一度くらいは休みをいただいてもよろしいでしょうか?」


 シルヴィアは働き始めてからひと月以上が経っているが、休みらしい休みはなかった。

 ここには娯楽もないので、結局同じように掃除して洗濯して食事を作っていたが、そろそろ自分自身に必要な品物が減ってきていた。

 例えば、さっき言った軟膏とか。


 バンフォードが顔を青くして、ショックを受けて立ち上がった。


「す、すす、すみません! ぼ、ぼぼ。僕はなんて酷い雇い主なんでしょうか!!」

「確認しなかったわたしも悪いですから。本当は来た時に確認しようと思ったのですが、忘れてしまって」


 色々と衝撃を受けたもので、とこっそり内心で呟く。


「や、やや、休んでください!! 好きなだけ!」

「では、お言葉に甘えて三日後に休ませていただきます。少し王都中心部で買い物をしたかったので」


 ここから王都中心部までは少し遠い。

 行ったら色々買いこまないと、と今から買うものを上げておく。


 シルヴィアがそんな事を考えていると、バンフォードが何やらもじもじとシルヴィアに聞いてきた。


「そ、そそ、それは一緒に行っても……よ、よよ、よろしいでしょうか?」

「え?」


 考え事をしていたシルヴィアは、ぼそぼそ尋ねてきたバンフォードの言葉を少し聞き逃し、聞き返す。


「い、いい、嫌ですよね!? ぼ、ぼぼ、僕なんかとい、いい、一緒では!! い、いい、いいです! き、きき、聞かなかったことに――……」


 勇気を振り絞ったであろう引きこもり――本人曰く出不精――に、シルヴィアは微笑ましいものを感じた。

 子供が新しい事を始めようと一歩進むときの危うさ、はらはらするのに、目が離せない、そんな事を思わせた。


 シルヴィはクスリと笑って頷いた。


「いいですよ。一緒に行きましょう」

「い、いい、いいんですか? ほ、ほほ、本当に……」

「はい、大したことない用事ですけど、ついでにエルリック様にお薬を届けに行かれては?」

「そ、そうします。エルリックには迷惑かけたので……」


 そのうち取りに来ると言っていたが、きっとこちらから行けば歓迎してくれるはずだ。

 なにせ、外にめったに出ないであろうバンフォードが行くのだから。



 

お読みくださりありがとうございます。

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ここから後半戦。

更新がんばります!


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