8.
「た、度々申し訳ありません……」
「いえ、昼食を摂っていませんでしたので仕方ありません」
あの後、泣き止んだかと思ったバンフォードが、突然シルヴィアにもたれかかってきた。
なんというか、ぐったりして。
シルヴィアではバンフォードの身体を支え切れず、押し倒れされる前に座り込んだ。
何度も声をかけて名前を呼ぶと意識だけは戻ったが、とても大丈夫そうには見えず、部屋に入るのは申し訳なかったが、身体を支えてベッドへと向かった。
なんとか自力で立って支えがあれば歩けるくらいにはなっていたが、すぐに倒れそうで気が気じゃなかった。
シルヴィアはバンフォードの部屋に入るは初めてだ。
おそらく執務室だと思われる場所は、何やら機材が色々置いてあり、ごちゃっとしている。
ベッドのある寝室は、奥の扉の向こうらしく、そこまでがんばって歩いてもらった。
案の定というか、ベッドはぐしゃぐしゃだったが、整える暇はなく、そのままバンフォードを横にした。
涙は止まっていたが、顔は青い。
医者を呼んだ方がいいのか、それとも休んでいればいいのか分からず少し慌てていると、盛大にバンフォードの腹の音が鳴った。
それは盛大に。
青かった顔が、うっすらと赤みを帯びた。
静寂の中に響き渡ったそれは、あまりにも素晴らしく自己主張してくれたおかげで、しんみりして暗くなっていた空気が一気に変わった。
シルヴィアは少しお待ちくださいと冷静に声をかけ、何事もなかったかのように皿に盛りつけた残り物を持ち、バンフォードが引きこもっている間に作った冷たいお茶をグラスに注いで部屋に持って行った。
バンフォードは動けなさそうだったので、ベッドにトレーを置くと、シルヴィアに気まずそうな視線を向け、それでも空腹に負けて食べ始めた。
まあ、お腹がすいて食べる元気があるのなら、一応少しは気持ちが浮上したのだと前向きに考えた。
「た、食べますか?」
「先ほど少しいただきましたので」
にべもなく断るシルヴィアに、バンフォードは恥ずかしそうに、もそもそと全て平らげた。
最後にお茶を飲み干すと、一息ついてようやくいつもの感じに戻ってきた。
「大丈夫ですか?」
「はい……。本当にご迷惑を……」
「迷惑だなんて思っていませんから」
「だって、僕は清らかな女性に抱き着くなんて! エルリックに言って捕えてもらってください!! ぜひそうしてください!!」
気持ちが落ち着くと、自らがしでかしたことに対し、バンフォードはまるで死刑を宣告された囚人になったかのように、絶望の顔を手で覆った。
ただ、そもそも先に抱き着いたのはシルヴィアの方なので、バンフォードは犯罪者どころか被害者なわけで。
しかし、一番気になったのはそこではなく、感情的になって気づいていなさそうだが、言葉がつかえることなくするする出てきている事だ。
「それならば、先に捕まるのはわたしの方では?」
「違います! 誰が見たって僕が犯罪者なのはわかります!!」
覆っていた手を外し、勢いよくシルヴィアに言う。
見た目だけの話なら、おそらくほとんどの人はバンフォードの方を加害者だと答えが返ってきそうだが、実際は違うので裁判になったら、きちんと証言しようと心に誓う。
なぜだかバンフォードが裁判所に飛び込んでいきそうな勢いなので。
「しかも、僕はなんてみっともない姿を!」
「それは今さらで――……いえ、なんでもありません」
苦悩で渦巻くバンフォードには聞こえていないようだが、とりあえず訂正しておく。
「どうして僕はいつもこうなんでしょう。叔父上が言った通り、何も言い返せず、女性に庇われても顔を上げることもできず……うっ……。情けなくて、頑張ろうと思っても、どうしていいのか分からなくて……」
泣き出しそうになっている、バンフォードにそっと新しいハンカチを差し出す。
それを受けとったバンフォードはぐっとハンカチを握った。
「どうせ、僕なんかが叔父上の期待に沿えるようにはならないんです……、叔父上も僕を見限ればいいのに、いつもいつもああやって僕を奮起させようとして。でも、怖いんです」
時代の流れとともに、子供たちの性格も変わってきている。
昔は叱って奮起させるやりかたが主流だったそうだが、今は褒めて子供を伸ばすと聞いた。
おそらく、クラーセン侯爵は自分の子供時代のことを思い出して、接しているのだろう。
ただし、もともと自信のかけらもないバンフォードにとってはつらい時間だった。
「臆病なんです、僕は。失敗して、人に失望されるのが怖いんです……」
「誰でも失敗はあります。わたしも、昔は失敗ばかりで。むしろ、失敗をしない人はいないんじゃないでしょうか?」
「……近くに完璧な存在がいると、劣等感ばかりが刺激されてしまって……」
クラーセン侯爵の事だとすぐに分かった。
確かに、あの人は完璧かもしれない。
仕事はできるし、貴族の当主としても秀でている。だけど、欠点がないわけでもなかった。
「アデリーン様が言うには、クラーセン侯爵閣下は甘いものがお好きなんだとか」
唐突すぎる話題に、バンフォードが眉を寄せた。
「どういうことでしょう?」
「実は、この間のお礼の手紙をいただいたんです。その時、知ったのですが……、バンフォード様がお好きなふわふわパンケーキをクラーセン侯爵も気に入り、ほぼ毎日食べているそうです。そのせいで、虫歯になったとかで。しかもその事を隠していたせいで、奥方様に叱られていたと」
バンフォードが目を瞬かせた。
「叔父上が?」
「医者はお嫌いみたいですね」
アデリーンの手紙には最後にそう記されていた。
お父様は医者嫌いなのよ、苦いお薬が嫌いなのよと。
「子供のようで笑ったと、書かれていました」
「し、知りませんでした……」
「バンフォード様の前では、なんでもできる叔父でいたいみたいですね」
「……はい、叔父上は僕の目標でもあります」
なんでもできるような人でも、少し違った角度から見れば、子供の様でもあるのだ。
完璧な人間はいない。
「とりあえず、クラーセン侯爵のために飲みやすいお薬でも作ってみたらいかがでしょう?」
「それで叔父上が認めてくれるなら苦労はしません……」
確かに、それができれば苦労はしない。
すごい薬を開発しても、自分はすごい事をやったのだと言う自負がない。
自信のかけらもないバンフォードには、少しだけでも自信が必要だ。
そのため、シルヴィアはさらに提案する。
「それならわたしに、勉強を教えてください。人に教えるという事は、自信にもつながります。わたしも昔はずっと自信がなくて、どうしてどうしてと嘆いてばかりだったんです。でも、人に色々教わり、逆に自分でも教えられることあると分かったとき、自信が少しつきました」
子爵邸にいた時、ただ嘆くだけだった。できないことは悪い事だと植えこまれ、どうして自分はと卑下して泣いて。
でも、オリヴィアに出会って変わった。
少なくとも、読み書きできる時点で平民の世界では職に困らないと知り、礼儀作法も人に教えられるくらいで、感謝された。
「自信はすぐにつくものじゃありません。でも、何かを成し遂げた時、きっと自分の力に自信につながるんだと思います。わたしは、バンフォード様はすでに優れた薬師様であることをエルリック様に教えていただき、知っています。今までの功績で納得できないのでしたら、もっとすごい事を成し遂げてください」
バンフォードは何も言わなかった。
簡単に成し遂げられることではなく、難病の治療薬を作って認められたくらいじゃ満足できない、それこそ、誰かに畏怖されるくらいの功績。
並大抵のことではできない。
いつもだったら、きっと無理だと言われるだろう。
しかし、今回は違った。バンフォードはぐっと力を込めた拳を眺めて、一つ頷いた。
「やってみます……。納得するまで。それに、僕の知ってる知識でいいのなら、勉強も教えます」
少しだけ前向きになった、バンフォードが初めて心から穏やかに微笑んだ。
初めて見たその笑みに、よくできました、と子供を褒めるような仕草でシルヴィアは無意識に頭を撫でた。
真っ赤になって硬直するバンフォードにやりすぎたかと、手を放そうとすると、腕をとられて頭に固定される。
「もう少し……、お願います」
可愛い我儘に、シルヴィアはこっそり笑って、バンフォードが満足するまで頭を撫でてやった。
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この章で折り返し。
物語的には残り半分になります。
本当なら、十万文字程度で終わる予定だったのにな……。
書いているとだんだん長くなってくる。
感想は小説家になろう規約を守ってお書きください。
突っ込み、批判的意見もOKです。




