7.
シルヴィアは、気合を入れた。
目の前にはこの屋敷の当主部屋であり、バンフォードの私室の扉がどんと構えている。
エルリックの予想通り、バンフォードはあれから姿を見なかった。
屋敷内のバンフォードが行きそうなところを気にしていたが、気配を感じないところを見ると、本当に部屋に閉じこもっているらしい。
さすが、付き合いの長い友人。バンフォードが認めなくても、これはまぎれもない事実だろう。
いつも食事の時に呼びに来るが、普段とは違う緊張にふう、と深呼吸を一つして、シルヴィアは部屋の扉をノックした。
そして、いつも通りの声音で扉越しに話しかけた。
「バンフォード様、夕食はいかがしますか?」
しばらく待っても返事がない。
泣き疲れて寝ているのではないかと思うほどの静けさだ。
人の気配も感じられない。物音一つ聞こえてこなかった。
もしかしたら、本当に寝ている可能性もある。
念のため、と思ってもう一度扉をノックしようとすると、部屋の中から、何かを引きずる音とぺたぺた歩く音が聞こえたきた。
そして、ゆっくりと扉が開く。
その恰好に目を見開いた。
――本当に……。
バンフォードは、大きな身体を覆い隠すようにシーツを頭からかぶっていた。寝間着に着替えることもせず、普段着のままベッドで丸くなっていたのか、服はしわしわだ。靴も履かず裸足のまま。
クラーセン侯爵が見たら、絶対何か小言を言われるだろう。
乱れた髪の隙間からアメジストのような紫の瞳が片方だけ覗いていた。
目元が赤くなって、瞳が濡れていつも以上に輝いている。
男としてみっともない姿に違いないが、これが彼の一面なのだと知ると、可愛く思えてしまった。
失礼ではあるが、やはり子供のようだと。
大きな子供。
部屋の中は薄暗く、バンフォードの心を映しているようだ。
「シ、シア……さ……」
「大丈夫ですか?」
刺激しないように、シルヴィアが優しく微笑んで尋ねる。
すると、バンフォードの瞳が再び潤み始め、立ったまま涙をあふれさせた。
ぽろぽろと大粒の雫が、床にしみを作っていく。
「す、す……すみま……せ――ひっく」
「謝る必要はないですよ」
泣き止んでいそうだったのに、シルヴィアのせいか再び溢れてきたバンフォードの涙をハンカチでぬぐう。
うっ、うっ、としゃくり上げながら鼻をすするバンフォードは、唇を噛み締めて肩を震わせていた。
シーツの隙間から見える拳が強く握られて、そのままだと爪で掌を傷つけてしまいそうだ。
シルヴィアはゆっくりと、手に触れる。
すると、バンフォードは怯えるように肩を震わせた。
「手が……傷ついてしまいますよ」
「ど、どうして……あ、あなたは――……」
どうして、あなたは……。その先に言葉はない。
何を問いたいのか、正確には分からなくても、シルヴィアの言いたいことはただ一つだ。
「わたしは、あなたの味方ですよ、バンフォード様」
バンフォードが涙の浮かんだ瞳でシルヴィアを見下ろしている。
その瞳の奥には、シルヴィアが映っていた。シルヴィアの瞳にはバンフォードが映り、互いしか見えていない。
シルヴィアは、力が緩む掌をゆっくりと開き、ぎゅっと握った。
バンフォードは握り返してはこない。
それでもよかった。
ただ、少しだけでもシルヴィアを信じてくれるなら、話を聞いて、敵ではないのだと知ってもらえたら。
バンフォードが何も話したくないと言うのならそれでもいい。
でも、一人ではないのだと気づいてほしかった。
「出て行けと言われても、そう簡単には出て行きません。優しい旦那様のもとで楽しく仕事をさせていただいてますから、他で横柄な旦那様の元で仕事をしたくありません。こんな風にわたしを変えたのはバンフォード様なのですから、責任をとってずっと雇っていてください。その代わり……、あなたのそばにずっといます」
いつまでもここで雇われているつもりはなかった。
でも、ここにいてはいけない理由もシルヴィアにはないと気づいた。
「ぼ、ぼぼ、僕は……ひっく、うぅ……」
バンフォードは、このまま水分を全て出し尽くして萎みそうな程、涙を流している。
「ぼ、ぼぼ、僕も……が、がが、頑張って――……」
唇を噛み締め、身体を震わせる。
バンフォードも頑張っているのだ。少しずつだけど。
シルヴィアと暮らし始めて、人の気配に緊張し、慣れようと頑張った。
慣れない会話に、なんとか言葉を飲み込まず、話すようにもなった。わがままも少し言うようになって、交渉だってするくらいには、自分を出し始めていた。
「うぅ! ぼ、ぼぼ、僕は……、い、いい、生きて――……だめで……」
ぼそぼそと話す言葉は意味をなしていないのに、何が言いたいのか分かる気がした。
生きていていいのか、それともだめなのか。
追い詰められるたびに考えているのかもしれない。
でも、生きてこうして暮らしている。
傷つきながらも、この世界に踏みとどまっていた。
「お、おお、叔父上に……ひっく……、ど、おお、思われて――……」
死ぬのが怖いのではなく、死んだあとにクラーセン侯爵が自分をどう思うのかが怖い、もし死に損なったら? そんな自問自答を繰り返していた。
クラーセン侯爵がバンフォードに気をかけているのと同じように、バンフォードもまたクラーセン侯爵を気にかけていた。
色々あっただろう二人の関係は、なぜ壊れないのか。
そこには過去二人が築いた絆があったからだ。
お互いが大事な存在であることを知っている。
しかし、絡まった糸はそうたやすくほどけず、どんどん固く絡みつく一方だった。
それがバンフォードを苦しめていた。
クラーセン侯爵に呆れられている、もしかしたらもう二度と来ないかもしれない、そういう気持ちが彼を不安にさせていた。
一人の方が楽なのに、一人は嫌だと全身で語っていた。
「うぅ――……」
叱られて泣いている姿に、幼い頃の自分が重なった。
自分ならどうしてほしいのか。
両親がいた時、母に叱られて泣きだしたら、父に抱き着いていた。
なにせ、母から守ってくれるのは父だと知っていたから。
味方が欲しかった。
自分は悪くないのだと、主張するために。自分だって頑張っているのだと言いたくて。
実際は、子供の自分に非があることが大概だったので、母が怒りの形相で父に貼りつくシルヴィアを引きはがそうとして、父は笑ってシルヴィアを諭すだけだったが、それでも母を多少は諫めてくれていた。
叱ってばかりでは子供は反発ばかりするだろうと。
シルヴィアは、まるで子供のようなバンフォードを抱きしめた。
シーツごと、大きな身体を。
「側にいます。必ず」
怯えて傷ついた心が癒されるまで。
必要だと言われている間は、ずっと。
シルヴィアの背丈では、頭はバンフォードの胸あたりにしかこないので、抱きしめるというより抱き着くと言った方がいいかもしれない。
それでも、人の体温で少しは落ち着いてくれるといいなと思っていた。
振り払われる可能性もあった。
しかし、バンフォードはシルヴィアを振り払う事はしなかった。
むしろ、バンフォードも腕をシルヴィアに回してきた。
縋りつくように。助けを求めるかのように。
そのままぎゅっと抱き寄せられると、息が苦しかった。しかし、何も言わずそのままで過ごす。
泣いていて興奮しているせいか、バンフォードの身体が熱い。そして、背後から射す夕暮れ時の太陽も。
シルヴィアはあやす様にぽんぽんと背中を叩いた。
うぅっ、と泣き声が小さくなり、しゃくり上げに変わるまで。
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