6.
応接室に戻ると、ソファには深々と座り背もたれに背を預けているエルリックだけがいた。
天井に顔を向け、手で光を遮るようにしてぐったりしていた。
バンフォードの大きな身体は姿形見えず、どこに行ったのだろうかと首を捻る。
「ああ、シアちゃん。お疲れ様」
「エルリック様も、お疲れ様です。バンフォード様は?」
「今頃部屋で泣いてるかもね」
つまり、自分の城に戻ってしまったという事だ。
「バンには悪い事したなぁ、まさか母上がバンをやり玉に挙げて侯爵家に攻撃するとは思っていなかった」
「……仲、お悪いんですか?」
ん? とエルリックが天井に向けていた顔をシルヴィアに向けた。
「私の家と侯爵家の関係? 特別仲が悪いと感じたことはないよ。そもそも仲が悪かったら私たちもこんな関係じゃなかっただろうし……ただ、母上がバンの事を良く思っていないのは知ってる」
「なぜですか?」
「なぜ、か――……バンはいい奴だけど、中には釣り合わないと感じる奴がいるってだけの話。将来バンが侯爵家を継げば価値も出てくるけど、現時点ではどう転ぶか分からない。もし侯爵にならなかったら、一緒にいればただのお荷物になる――母上はそう考えているのさ。そして、侯爵を継ぐ可能性が現段階で低い、というのがもっぱらの見方でね」
シルヴィアは、すっかり食べる気がしなくなった籠の中身をお皿に盛りつける。エルリックがもういらないと言ったからだ。
食べ始めだっただけに、料理はかなり残っていた。
せっかく料理人が作ってくれたのに、もったいない。
まあ、食べる気も失せる話だったのは間違いなかった。
「シアちゃんって、有能なんだね。クラーセン卿から声かけてもらうなんてそうそうないよ。しかも覚えてるってなおさらね……そんなシアちゃんに聞くけど、クラーセン侯爵家の事どれだけ知ってる?」
「少しだけ」
隠しても意味がないので素直に告白した。
クラーセン侯爵家現当主のヴィンセント・クラーセン侯爵は、前侯爵の弟だった。
不慮の事故で兄夫婦を亡くし、生き残った甥を引き取り侯爵家を継いだことは知っている。そして、クラーセン侯爵家でのお茶会の時、次期侯爵があまりにも頼りにならないと聞いていた。
それがバンフォードの事だとは知らなかった。
「概ねその通り。クラーセン卿は、別にバンの事が嫌いじゃないよ。まだご両親が健在だった頃は、クラーセン卿はバンの事をすごく可愛がっていたし、バンもすごく尊敬していた。いい叔父というよりも、いい兄貴分って感じだね」
懐かしむようにエルリックが虚空を見上げ、話を続けた。
「両親が死んだ時、バンは十五でね。次期侯爵だったけど、その頃にはちょっとつつけば逃げ出して泣き出すようなバンになってたし、親族分家は大反対。結果、クラーセン卿が継いだんだけど、そうなるとバンの存在が邪魔じゃない、普通。だけどバンを引き取って次期侯爵としたのはクラーセン卿だったのさ。クラーセン卿は中継ぎのつもりだったんだろうね」
なるほど、やはり嫌っているわけではなかったのかと頷く。
忙しい人だろうに、わざわざ理由を付けてやってくるのは、心配しているからなのかもしれない。
それに切り捨てないのは、きっとバンフォードが優秀だと認めているからだ。
なにせ、王立アカデミー主席。その肩書だけでも相当すごい。
「別に、優秀だからバンを切り捨てないわけじゃないからね」
シルヴィアの考えを読んだかのように、エルリックが付け加えた。
「単純に、叔父としての愛情があるんだって私は思ってるよ。あの人見た目じゃ分からないけど、家族愛には肯定的だから」
「人は見た目じゃないんですね」
「奥方とも恋愛結婚だって聞いてるよ。あの仏頂面でどう結婚を申し込んだのか想像すると楽しくない?」
くくくっと笑うエルリック。
そういえば、愛妻家だって聞いたことあったなと、思い出す。
「奥方との間にはご令嬢が一人いて、今年十五だったかな?」
「存じております。アデリーン様ですよね?」
「そうそう。もともとバンの御父上とクラーセン卿が年が離れてたから、アデリーンともそこそこ離れてるんだよね」
だから、叔父というより兄貴分だったというわけだ。
「王立アカデミーに進学するように勧めたのは、クラーセン卿だったはずだよ」
「そうなんですね。一刻も早く当主の仕事を教え込みそうなのに」
貴族が通うアカデミーは十二から十五の三年間通う。
この間で、貴族としての教養などを身に着け、コネを作るのだ。
十五歳ならば、貴族のアカデミーも卒業で次期当主として学び始めてもいい頃だった。もちろん、進学する者もいるが、バンフォードの場合、クラーセン卿が早く当主に就任させるために自分の手元で育てそうだ。
「バンの事を考えたら、もう少し様子を見たいじゃない。あんな、ちょっと傷ついたらぽっきり折れそうな精神力で、貴族の当主は務まらないよ。それに、勉強面に関しては、とにかくすごかったから、各方面からもったいないって声もあって」
バンフォードが優秀だったのは、子供の頃からだったらしい。
「ちなみに、進学を勧めたのはクラーセン卿だけど、決めたのはバン自身だよ。それで、今じゃあ、国有数の薬師様だ。様々な薬を安価な値段で作れるようになって、国全体が彼を認めてるよ。クラリーゼンって知らない?」
「知ってます、手足の痺れから全身が硬直して、死に至る難病の治療薬で――……え? まさか……」
「それ開発したのはバンだよ。ほかにも、今ある治療薬を改良したり、まあ色々やってる。騎士団でもバンが作る傷薬とか扱っててね。なんでかよくわからないけど、あいつが作ると効きがよくて……、って、しまった。私が今日来たのも、騎士団で使う薬をもらうためだった……、あいつ扉開けてくれるかな」
頭を掻きながら、エルリックが肩をすくめた。
今日はもうあきらめる様子だった。
長い付き合いの彼は、今の状態のバンフォードがやすやすと部屋から出てこない事を知っているのだろう。
「声かけてみましょうか?」
「いや、いいよ。たぶん落ち着くまでは出てこないから。なんだか、話したら少しお腹すいてきたな。甘い物が欲しいけどある?」
「あ、こちらでよろしければ」
「すごい色だね。オレンジ――とはまた違うかな?」
「キャロットケーキです。その……バンフォード様は砂糖などの甘味類をよく吸収しますので」
「すぐ太るって言ってもいいんだよ?」
直接的な言い方は避けたのにエルリックがあっさりとぶち壊してきた。
「そのために作ったケーキか。バンフォードのためにここまで尽くしてくれた使用人はあまりいないんだよね」
切り分けたケーキを置いて、すっかり冷めてしまったお茶を替えてこようとすると、これでいいと、エルリックが二層の崩れたお茶を飲んだ。
「どっちも甘いけど、おいしいよ。バンもこのケーキきっと気に入るだろうね」
「ありがとうございます」
お世辞だとしても、うれしいものだ。
キャロットケーキを食べ、一息つくとエルリックは帰ると言って、さっさと帰り支度をして、玄関を出た。
「降りてこなかったら、日が落ちてくる頃にでも声かけてみて。少しくらいは落ち着いてるといいんだけど」
「エルリック様は、バンフォード様の事をよくご存じですね」
「ま……、そうだね。バンには色々助けられてるし、たまには助けてあげたいけど……なかなかね」
エルリックが空になった籠を持って、ひらりと馬の鞍にまたがる。
そういえば今日来た時、馬がどうとか言っていたなと思い出し、この際だから何があったのかシルヴィアは聞いてみた。
「ああ、この間さ。うっかり馬を放したままにしてて、好き勝手に薬草園にある薬草をむしゃむしゃと。あの時は、今までで一番バンに怒られて、しばらくむっつりして口も利いてくれなかった」
思い出して笑うエルリックに、それだけですんで良かったのではと心の中で思いながら、帰っていくエルリックを見送った。
よろしければ、ブックマークと広告下の☆☆☆☆☆で評価お願いします。
感想は小説家になろう規約を守ってお書きください。
突っ込み、批判的意見もOKです。