2.
シルヴィアはれっきとした貴族令嬢だ。正確に言うのなら、貴族令嬢だが、今年貴族でなくなる予定だ。
ハルヴェル子爵令嬢として生を受けたが、十歳の時両親が馬車の事故で他界してから、世界が変わった。
両親の死を嘆き悲しむシルヴィアに近づいたのは、叔父夫婦。
子爵位を継ぐのはこの叔父しかおらず、シルヴィアは叔父夫婦に引き取られた。
その後しばらくは、優しい叔父夫婦や叔父夫婦の娘であり従妹に慰められながら暮らした。
しかし、そんな優しさは幻想なのだとすぐに悟る。
同じ年の従妹と分け隔てなくかわいがってくれている、そう思っていたのに、シルヴィアが両親に買ってもらった品を従妹が横取りしてきたのだ。
両親の形見にもなるものだ。
嫌がっていたら、それを見咎めた叔母にひどく叱られた。
いつまでも子爵令嬢のままでは困ると言われ、その日のうちに折檻され部屋を取り上げられ、形見の品まで奪われた。
それ以降、シルヴィアの寝床は古びた倉庫になっていた離れだ。
当時十歳のシルヴィアは無力で、すっかり奪い取られてから、ようやく理解した。
自分に味方がいないことに。
それからは、典型的な冷遇が始まった。
一応引き取った手前なのか、最低限の食事は渡されていたが、十三になった年、そろそろ働ける年齢だろうから働けと言われた。
その頃には見知った使用人はほとんどおらず、蔑まれながら使用人として働くことを強要される日々。
せめて給金かお小遣いでももらえれば、この先の希望にもなったかも知れないが、食べ物を与えているのだから、その分の仕事だと言われていた。
ある日、外での用事を言いつけられた。
その時、シルヴィアは十五歳だった。疲れ果て、考える思考もなく、ただ言われるまま動く人形のようになっていた。
しかし、シルヴィアは外の世界を知らない。
そのため、道に迷ってしまった。
その時出会ったのが家政ギルドのギルド長オリヴィアだった。
シルヴィアは屋敷のお仕着せを着ていたが、様子がおかしかったので声をかけてくれたのだ。
本当にオリヴィアがいなかったら、今のシルヴィアはいない。
その後、すっかり話を聞きだしたオリヴィアは、なんとハルヴェル子爵家に赴きシルヴィアを雇いたいと堂々と言った。
叔父夫婦は、シルヴィアが屋敷の使用人だと思われていると考えていたので、多額の費用と引き換えにオリヴィアに売り払おうとした。
しかし、一応貴族の娘。
簡単に死亡扱いにも養子扱いにもできず、身柄はオリヴィアに渡されたが、正式書類はまだ子爵家の娘だった。
それでもつかの間の自由を得て、そして家政ギルドで多くの人に出会い、シルヴィアは大きく変わった。
人に無関心な人も多い中、優しい人も温かい人もいるのだと気づき、両親が自分を愛していてくれたことを思い出した。
現在はオリヴィアの好意でギルド会館の一室を借りている。
部屋を借りるにも未成年では難しいからだ。
もし借りるとなると身内に頼むしかないが、頼りたくもない。
「お給料は商業ギルドに預けているのよね?」
「はい、オリヴィアさんのおかげで順調に貯まっています」
「それは良かったわ」
「できれば目標金額まで貯めたかったんです。なので、貴族のお屋敷での長期仕事はありがたいですが、これはちょっと依頼を受けるか悩みます」
値段が高いのは、それ相応になにかあるからだ。警戒するのは無理ない。
しかも、そもそも仕事内容を詳しく聞いていないとシルヴィアが言った。
基本三コースを希望なのは依頼書で分かっているが。
「そういえばそうだったわね! えっと書いてある通り、三コース全ての活用なんだけど、現在使用人は一人もいないから、できる範囲でいいそうよ。食事は三食出してほしいみたいね。王都郊外の屋敷を持っていて、自活してる方よ。お金に頓着しない感じだったから、相当稼いでいるんじゃないかしら?」
「何をしてる人なんですか?」
稼いでいると言っても、領地を持っているわけではなさそうだ。
領地を持っている貴族が、使用人を全く雇っていないのは領地経営するのに無理がある。
投資や商会経営でもしているのだろうかと考えた。
「さあ? 実はこの話は使用人ギルドの方から回ってきた話なのよ。誰も長続きしないからって押し付けてきたの。これくらいの依頼は家政ギルドでもなんとかなるでしょう? ってね」
「上から目線は健在ですね。馬鹿にしてるのも今の内だって、言いました?」
「言ってないわよ。でも、もう少しギルド員をまともに育てた方がいいんじゃない? とは言っておいたわ」
実は、シルヴィアは一度使用人ギルドに引き抜きの話を持ち掛けられたが、色々事情のあるシルヴィアはお断りした。もともと、恩のあるオリヴィアに恩返しするまでギルドを離れるつもりはなかった。
それに、使用人ギルドのギルド員はお高く留まって仕事をしない。
一緒に貴族の屋敷で働いた時、散々な目に遭った。
使用人ギルドは住み込みの長期雇用可能な人材の仲介をしているが、今回の依頼は使用人ギルドが手放すほど。
絶対に何かある。
「お金自体は持っていそうだけど、偏屈みたいね。人嫌いかもしれないわ。それに、屋敷の敷地内から全く出ないそうよ」
「引きこもりですか……」
それはなんだか面倒くさそうだ。人柄的に。
「何がきっかけかなのかは知らないわ。貴族というのも、貴族の一員ってくらいで親族とは音信不通らしいわよ」
「オリヴィアさん、詳しいですね? 使用人ギルドが懇切丁寧に教えてくれるとは思えませんが……」
「そりゃあ、いわくつきの依頼だもの、少しくらいは調べるわよ。大事なギルド員を行かせるんだから」
稼ぎ頭ね。
悪い気はしない。シルヴィアがオリヴィアに恩を返せるのは、働いて返すしかないと思っている。
頼られるとき、シルヴィアはきちんとオリヴィアの役に立っているのだと、実感できた。
「でも、そうなると指名依頼料がこの先しばらく取れなくなるわねぇ」
仲介料で金貨二十枚は破格だ。
しかし、同時にシルヴィアへの指名依頼は全てお断りすることになる。
稼ぎ頭のシルヴィアは、やはり貴族からの指名依頼が多いのだ。
「そこは、他のやる気のあるギルド員を回してあげてください。わたしとしては、最低一か月以上、できればわたしの成人までの半年間は雇われていたいですね。住む家探すのも、未成年では難しいですから」
「そうね、でも本当に一か月は頑張って! 仲介料のために」
手に持つ依頼書をそのまま持ち、シルヴィアは心に決めた。
「この依頼、わたしが受けます。頑張ってはみますが、使用人ギルドでも匙を投げた案件なので、期待はしないでくださいね」
「そうは言っても、なんだかんだで上手くやっちゃうのがあなただから! 期待して待ってる」
期待するなと言いながらも、期待されるとうれしくなる。
シルヴィアは依頼を受けに行こうと部屋を出ようとした。扉のドアノブに手をかけたその時、背中にオリヴィアが質問を投げかけた。
「そういえば、髪はどうするの? そのまま?」
「一応鬘を被っていこうかとは思っています。今までも貴族の家で働くときはそうしてましたから。もし万が一にもわたしが貴族令嬢だとバレると叔父たちがうるさそうなので」
シルヴィアの髪は本来淡い小麦色の髪だ。
光に当たると透き通り、金色にも見える。
特別珍しい色合いでもないが、貴族の屋敷で働くときのみ、黒髪の鬘を付けていた。
今日も一仕事終えた後、そのままの姿でやってきたのだ。
髪の色だけでシルヴィアを子爵令嬢だと見抜ける人はいないと思うが、用心に越したことはない。
「そ、じゃあいい知らせ待ってるわ!」
最後に朗らかに笑い、オリヴィアはシルヴィアを送り出した。
扉を閉めながら、シルヴィアは依頼書をじっくりと見て、最後に依頼書の名前を再び確認した。
名前はバンフォード。姓は書かれていない。
貴族は家名を大事にする、そのため、家名を書かないのはそれだけでも厄介な気配が漂っていた。
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