5.
「全く、面倒をかけるな。迷惑だ」
深い失望のため息に、完全に委縮しているバンフォードは、何も言い返せずただ黙ってこの嵐が過ぎるのを待っているようだった。
少し我慢すれば大丈夫。あとちょっと叱られれば終わる。
ただ何も言わず、耐える方が楽――。
そんな意思を感じた。
ともに暮らして、分かったことがある。
彼は人が嫌いでも話が嫌いなわけじゃない。
ただ、怯えているだけなのだと。
どんな仕事をしているのか分からないが、きちんと自分の力で生きている。しかも、今回迷惑をかけられたとクラーセン侯爵は言っているが、それもバンフォードのせいじゃない。
もとはと言えば、女性をとっかえひっかえしているエルリックのせいだ。
いじめに関しても、いじめられたくらいでというが、子供は時に残酷で、相手の事を考えるよりも先に言葉で簡単に傷つけるものだ。
バンフォードにはどうしようもない事で責められ、彼は逃げ場のない子供のようになっていた。
頼みの綱になりそうなエルリックも、今は己の行動のせいでこうなっていると分かっているのか、余計な口は挟みにくそうだった。
シルヴィアは、覚悟を決めて口を開いた。
「どうやら、お茶の準備は不要だったようですね」
「何?」
鋭い眼光がバンフォードから逸れ、シルヴィアに向いた。
シルヴィアは、重ねた手に心ばかし力を入れぎゅっと握る。そうしないと気圧されてしまいそうだから。
「お客様でないのでしたら、お茶は必要ではないと――そう申し上げました」
完全に無礼な発言だったが、シルヴィアはこの小さくなっている傷ついた主を守りたかった。
同情とかではなく、そうすることが正しいと直感的に感じていた。
「ただの使用人の分際で、主人たちの会話に割って入るとは、なんと教育の出来ていない。使用人ギルドも質が落ちたものだ」
「主人たちの会話と申しますが、バンフォード様に一方的に言い募っているのは、クラーセン侯爵閣下です。会話が成り立っていません。会話を成り立たせたいのなら、言い方があるのではありませんか? それに、主人を守るのも使用人の役目だと心得ております」
「主人を守る? ふん――……笑わせてくれる。女に庇われているとは、情けなさに拍車がかかったな」
嘲笑うかのような視線が、バンフォードに向けられ、バンフォードの膝の上の握りこぶしがぐっと力が入ったのが見えた。
悔しいのか、悲しいのか、それとも恥ずかしいのか……、またはまた違った感情が隠されているのか。
シルヴィアはひとまずバンフォードの感情を考えず、なおも言った。
「お帰り頂かなければ、騒ぎが大きくなることでしょう。家の名誉を守りたいのでしたら、帰宅される事をお勧めします」
「はっ、使用人風情がどうすると?」
シルヴィアはエルリックに視線を向けた。
「捕えていただきます」
「なに?」
低く唸るようなクラーセン侯爵のつぶやきと怒りの紫の双眸を一手に引き受け、シルヴィアは精一杯平静を装った。
気迫がすごいが、ここで負けるわけにはいかない。
シルヴィアが、エルリックに問いかける。
「わたしの言っている事は間違っていますか? 先ぶれもなく、勝手に入り込んできたのなら、それは犯罪者と同義だと。これは兵士を連れてこないといけない案件だと思いますが、エルリック様はどう思われますか?」
突然話を振られたエルリックは、戸惑いながらも答える。
「え、ええと……、確かに法律上はクラーセン卿の非があるとは思うけど……」
「法が弱者のためにあると、わたしは信じております。それと同様に、騎士が弱者の味方であると」
そもそもの原因はそっちなのだから、少しくらいは働けとエルリックに念じながら、クラーセン侯爵に微笑む。
クラーセン侯爵とシルヴィアの間で静かな威嚇が続き、先に目を伏せたのはクラーセン侯爵の方だった。
俯くバンフォードに厳しい眼差しが向けられた。
しかし、それは一瞬の事。
「無駄に口の回る女だ。気分が悪い」
即座に、シルヴィアをそう評価し、勢いよく立ち上がった。来た時と同様にかかとを鳴らし、部屋を出ようとした。
すれ違いざま、クラーセン侯爵がシルヴィアを見下ろして言った。
「主人を守るのも使用人の務めなら、客を見送るのも使用人の務めだろう?」
「もちろんです」
シルヴィアの無理矢理なこじつけに対し、クラーセン侯爵が何を思ったのか引いたのだ。こちらも誠意ある対応はしておいた方がいいだろうと判断して頷いた。
「こちらへどうぞ」
長い廊下を先導して歩いていく。
この道は良く使うので、掃除も行き届いている。むしろ、今日昼前に掃除したばかりだった。
気難しそうな相手に少しでもマシなところを見せられてよかったと、シルヴィアは心の中で独り言ちる。
玄関ホールでは、従者のような恰好の使用人が待っていた。
クラーセン侯爵の姿が見えると、頭を下げ出迎える。
「先に行って馬車の扉でも開けておけ」
「かしこまりました」
クラーセン侯爵の使用人がさっと無駄のない動きで外に出ていき、扉が閉まるとクラーセン侯爵が扉の前で振り返る。
「お前は、没落貴族か何かか?」
瞬間、シルヴィアの心臓がどきんと大きな音を立ててなった。
口元が引きつっていないか心配だったが、どうにかやり過ごす。
「違います」
「それにしては所作が美しすぎる、どこかで専門で習わない限りは」
さすが侯爵。
目の付けどころが違う。
「私の知る限り、貴族の中でもこれほど美しい立ち姿はなかなかいない。その中でもハルヴェル前子爵夫人は群を抜いていた」
シルヴィアは、手が震えそうになりぐっとこらえた。
両親の生前中にシルヴィアがクラーセン侯爵と会ったことはなかったはずだ。
それに、シルヴィアは容姿が整っているが、両親どちらにも似ている。どちらかに飛び抜けて似ているのではない。
二人のいいとこ取りをしたと、良く言われていた。
そのため、どちらか一方を知っていても、並んで立たなければ親子には見えなかった。
それに今のシルヴィアは鬘を被っている。そう簡単に関連付けられないだろう。
「まあ、いい」
素晴らしく鋭い審美眼は、貴族にとって武器になるが、シルヴィアにとってはありがたくない。
「どちらにしても、戦わずして逃げている者にはこの先も逃げ続ける癖しかつかないだろう。興味は失せるな」
それは果たしてバンフォードの事を言っているのか、それともシルヴィアの事を言っているのか。
「逃げることでしか、身を守れぬ者もいます」
「貴族社会にいる以上、逃げるだけでは守れるものも守れぬ。貴族の地位を守りたければ、それなりの行動は必要だ」
「その地位が不要ならば、逃げてもいいという事ですね?」
そういえば、バンフォードはなぜ名誉男爵の地位を受けたのか気になった。
確かに王立アカデミーを首席で卒業し望めば名誉男爵が手に入る。それに年金も。だが、彼は貴族としては欠陥も抱えていた。
貴族社会で生きてきたバンフォードは、自分自身を良く知っていると思う。
貴族社会に適応できないと知っていながら、なぜ名誉男爵の爵位を……。
年金だけではない何か理由があるのだろうか。
「今回の事は不問にしよう。私に意見する様な気概のある使用人は久しぶりだからな。もし、バンフォードから解雇されたら、侯爵家に来るがいい」
それだけ言い残し、今度こそクラーセン侯爵は去っていった。
玄関ホールにクラーセン侯爵の香水の残り香。神経質そうな彼には似合わなそうな、薬草系のスッキリした香りだ。
外から馬の嘶きが聞こえ、軽快な音を立てて馬車が走り去っていく音がした。
扉を施錠して、シルヴィアはほっと息をついた。
クラーセン侯爵は厳格の代名詞な人だと聞いているが、仕事はきちんと評価するとも聞いている。厳しい人だが、公平な人だとも。
領地の他に王城でも働いているので、よほど有能なのだろう。
彼はなんとなく、使えない駒はあっさり切り捨てそうなイメージだ。
それなのに、バンフォードを叱りつけにわざわざやってくるだろうかと考えてしまった。あれだけ散々の評価をバンフォードに突きつけながら、切り捨てることはしていないのは、やはり親族だからだろうか……、いや、親族だからこそ使えないと分かれば家門のためにあっさりと見切りを付けそうなのに。
「よくわからない人だわ」
シルヴィアがクラーセン侯爵に言い返したとき、彼はバンフォードに命じて自分を追い出すこともできたはずなのに、それをしなかった。
どんな意図があるにせよ、バンフォードの味方になったシルヴィアを側に置いた。
何か思うところがあっても、もう少し言い方を考えてくれればバンフォードもあそこまで委縮しなくて済むのに、そんな事を考えながらシルヴィアは応接室に戻った。
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