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4.

書き直していたら、時間に間に合いませんでした。

そしていつもより長いです。

時間があるときにお読みください。(4500文字くらい)

 緊迫した空気のせいで、シルヴィアの鼓動も高鳴っていく。

 耳を済ませれば、確かに廊下を歩いてくる足音が響いていた。


 この屋敷は現在、主人のバンフォードとシルヴィアしか住んでいない。

 荒れているわけではないが、無人だと思う人もいるかもしれない。


 屋敷が広いせいで手入れが行き届いていないからだが、正面からやってくるのなら、薬草園の存在で住んでいる人がいるのは気づきそうなものだ。


 裏から入ってきたとすると、一体どこから入ってきたのかと首を捻りたい。


 なにせ、この屋敷を囲う壁はかなり高く、その上には侵入防止用のいばらのとげの様なものが張り巡らされている。

 ただ、門は門番がいないので開きっぱなしで、不用心ではある。

 しかし、いつも屋敷の鍵は閉められているので、そうやすやすと屋敷内に侵入できるとは思えない。


 そもそも、物取りの場合、人がいないことが大前提になるわけで――……などと、シルヴィアがぐるぐると定まらない考えを脳裏に思い浮かべていると、靴音がぴたりと止まる。


 エルリックが剣の柄に触れながら、ドアノブに手をかけた。

 どきどき鼓動が早鐘のように鳴っているが、抑えるようにぐっと両手を祈るように交差させ組んだ。


 それと同時にエルリックが一気に扉を開け放つ。

 そして、エルリックの動きがぴたりと止まった。


「……あ」


 しばらくの沈黙。

 その後、小さな呟きが聞こえてきた。


 エルリックの陰に隠れて、扉の前にいる人物が誰か良く見えない。

 ただし、エルリックの様子はちょっとおかしかった。


「…………この家は客を出迎えることもまともにできんのか」


 渋く低い声が、静かな廊下に響く。

 その声音から感じる相手の様子は、不愉快だと言わんばかり。

 エルリックが、一瞬バンフォードに視線を投げかけた。


 シルヴィアを庇う様に立っていたバンフォードの動きが、止まっている。いや、固まっていると言った方がいいかも知れない。


「そのでかい図体をどかせ」


 命令しなれた口調に、エルリックがどうしようか迷いながらも、結局その命令に従った。


「あ、あはは……ど、どうぞお入りください」


 エルリックが誤魔化すように笑い、身体を横にずらすと、ようやく相手の顔が見えた。

 その瞬間、先ほどとは違った緊張が部屋を支配する。

 カツカツとかかとを鳴らして部屋の中に入ってくる四十歳くらいの男性は、ぐるりと応接室を眺め、ふんと気難しく鼻息でせせら笑う。


「相変わらず辛気臭い」


 バンフォードはその人物から顔を背けるように俯き、火掻き棒を持つ手が震えていた。


 入ってきた人物は紺色のシルクハットをかぶり、手には真っ白な手袋をつけ、杖を持っている。しっかりと着込んだ上着はパリッとして皴一つない。履いている革靴もピカピカに輝いていた。


 背は高く、背筋もピンとしている。

 白髪交じりの黒い髪を撫でつけ、老獪な政治家を思わせる厳しい紫の瞳が、応接室を見回した次に真っ直ぐバンフォードを射抜く。


 眉間にだいぶ深いしわが刻まれ、顔中にも大小様々なしわが存在している男性だが、堂々とした立ち姿はまだまだ現役の働き盛り。


 その顔を見た瞬間、シルヴィアは相手が誰か瞬時に理解した。


 確か――……。


「お、おお、叔父上……ど、どど、どうして……」


 バンフォードは唇を震わせ、真っ白な顔でおどおどと言った。

 その様子をシルヴィアはつぶさに見ていた。


 先ほどまでの楽しそうだったバンフォードは鳴りを潜め、今あるのは強者に対する弱者の姿だけだった。


「アデリーンから少しはまともになったと聞いたが……全く変わっていないんだな」

「あ、そ、そそ、それは……」


 バンフォードが何か答えようと必死になっている中、睨みを効かせて男性がバンフォードの言葉を遮った。


「全く以て耳ざわりな言葉だ。まともに話せるくせに、私を馬鹿にしているのか? それに、背を丸めるな。みっともない」


 そう言われても、ますます身体が小さくなっていく。


「あ、あの! クラーセン卿、座って話しませんか?」


 見かねたように、エルリックが声をかけた。


「以前に来た時よりは少しがまともになったかと思ったら……、全く変わっていないな」


 はっ、と短く嘲笑し、バンフォードが叔父上と呼んだ貴族紳士は、規則正しくかかとを鳴らして、主人であるバンフォードの許可が出る前に上座に座る。

 ここでは、彼が支配者のようだ。


「さっさと座れ。でかい図体に立たれると、邪魔だ。お前もだ、エルリック」


 逃げたいような雰囲気を出していたエルリックは、逃げ出す機会を失いしぶしぶ席に着く。しかし、真っ青を通り越して真っ白になっている顔のバンフォードは、はっはっと短く息をして動こうとしない。


「バンフォード様?」


 シルヴィアがそっとバンフォードの腕に触れると、はっとして火掻き棒を落とした。

 カランと音が鳴り、今にも泣き出しそうな双眸がシルヴィアを見下ろした。


「愚鈍なのか? 私の言葉さえ理解できないほどに」


 その言葉を合図に、バンフォードはのろのろと動き出し、対面のソファに座る。


 シルヴィアは、心配そうにバンフォードを見ながらも、自分のやるべきことをやることにした。

 これ以上バンフォードが悪し様に言われる前に、上座に並べられていた食器を片付け、使われていないティーカップにお茶を注ぐ。

 もともと熱めに入れていたので、むしろちょうどよい温度になっていた。


 音を立てずに、上座に座る男性にお茶を出す。


 シルヴィアは、退室したほうがいいのか迷い、結局バンフォードの後ろに立った。

 怯えて泣き出しそうなバンフォードの瞳が気になったからだ。

 命じられた時に退室すればいい。


 シルヴィアがバンフォードの後ろに立つと、男性が目を細めた。


「……お前はどこかで見かけたことがあるな」

「はい、クラーセン侯爵閣下のご自宅で行われたお茶会の折、一時的に雇われたことがございます」


 隠すようなことではないので、シルヴィアが説明した。

 その間も、バンフォードは俯いたまま。

 話を聞いているのかいないのかも判断がつかない。


「ああ、そうだった。なかなか良い働きで、執事からも引き抜いてはどうかと進言された記憶がある」


 つぶさにシルヴィアを観察する相手の名は、ヴィンセント・クラーセン侯爵。

 南側に広大な領地を持ち、いくつもの鉱山も持つ資産家だ。


 一年ほど前の社交シーズン中に、使用人ギルドだけでは手が足りない一日だけの案件が回されていた。

 その依頼の一つが、クラーセン侯爵家のお茶会だった。

 しかし、よく覚えているものだと感心する。


 確かに、直接声をかけてもらったが、住み込みで働くことはできないので、やんわりとお断りした。

 まさか、それが記憶に残っているとはシルヴィアは思わなかった。


「シ、シシ、シアさんと、お、おお、叔父上が知り合い……」

「驚いた。クラーセン卿に声をかけられるとは、有能なんだ」


 驚いたように振り返ったのはエルリックだった。

 むしろ、驚いたのはシルヴィアの方だ。


 バンフォードが上位の貴族だというのは、立ち居振る舞いやアデリーンの言動から何となく察していたが、まさか政財界の重鎮とも言われるクラーセン侯爵の甥だとは思わなかった。


 確かに、バンフォードとクラーセン侯爵の瞳の色は似ているが、醸し出す雰囲気が違い過ぎて、親族だと気づかなかった。


「そんな事は今はどうでもいい」


 ぴしゃりと二人の会話を終わらせ、鋭い眼光が再びバンフォードに向けられた。

 びくりと、肩を丸めたバンフォードに、クラーセン侯爵が大げさにため息を吐く。


「はぁ……。何度も言ったはずだが、背を丸めるなと。人と話をするときは目を合わせろ。その髪はいつになったら切るんだ。切りたくないのなら、しっかり目を出せ」

「こ、ここ、これは……」


 恐る恐ると言った体で、バンフォードが言葉を詰まらせながら言った。


「その話し方もだ。侯爵家の嫡男ともあろう人間が、上位貴族の魚のフンのような男爵家の人間に、体形を馬鹿にされたくらいで、そんな風になるとは全く以て嘆かわしい」


 どうやら、もともとはきちんと話せていたらしい。それが、いじめられてこうなったようだ。

 ここ最近は、シルヴィアに慣れてきたのか、はじめの頃よりずいぶんと言葉を詰まらせることなく話すようになっていた。


 エルリックとも比較的まともに話していたと思う。

 しかし、今はそれが微塵も無くなっていた。


「あの……クラーセン卿、その辺で――」


 クラーセン侯爵を止めようと、エルリックが緊張しながら話しかけた。

 しかし、それは逆効果だったようで、バンフォードを睨みつけていたかと思うと、今度はじろりとエルリックに視線が向けられた。

 エルリックは、即座に背筋を正し緊張している。彼でも逆らえない人のようだ。


「先日、伯爵夫人にお会いした」

「母上に?」


 まるで頭が痛いとでも言うように、背をソファに預け、クラーセン侯爵は足を組む。


「その時、エルリックの話が出た。いいかげん結婚して落ち着いてほしいが、良くない友人とつるんでいるせいで、なかなか結婚してくれないのだと言っていた。遠回しにバンフォード、お前の事を言っていたのはすぐに分かった」


 言葉を吐き捨て、じろりと二人を睨みつけた。


「バンフォード、お前のせいでエルリックが結婚できないと言われた私の気持ちが分かるか? 恥ずかしい思いよりも、怒りが湧いて出た」


 怒りに満ちた瞳が注がれて、二人が身体を強張らせた。


「結婚しないのはエルリックの意思だ。他家の事など、各自で問題解決に勤しむべきだと思っている。しかし、まさか甥のせいに――ひいてはクラーセン侯爵家のせいにされたのだ。私や兄上たちがきちんと教育しないから、お前がダメになったと……!」


 杖を掴む手に力が入って震えている。


「亡き兄上の事まで言われ、侯爵家の教育が悪いと――!!」


 自分が言われたことよりも、前侯爵夫妻である兄君の事も同時に非難され、それに対し怒りに満ちていた。


「……そ、それは申し訳なく――……」

「お前は、黙ってろエルリック!」


 有無を言わせぬ命令に、エルリックが即座に口を閉じた。


「私が死んだあと、跡を継ぐお前がこの調子では、この先クラーセン侯爵家は馬鹿にされ笑われ続けるだろうと思うと、兄上たちに合せる顔もない。将来没落していく未来しかない我が家門を、すでに馬鹿にしている輩も多い。それが目に耳に入る形で現れ出している。家臣や親族たちまでもだ。それもこれも、お前がそんなだからだ!」


 クラーセン侯爵がバンっと机を強く叩き、ティーカップの中身がその勢いで零れそうなほど揺らいだ。

 バンフォードの肩がびくりと震えた。




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