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7.

 シルヴィアが連れてこられたのは、中庭の温室だった。

 ガラス張りになっており、天井から月の光が入ってきている。今日は、随分と明るいなと思っていると、満月だった。


「こ、こ、ここに……」


 バンフォードが寝間着の上から羽織っていたガウンを脱いで、地面に敷く。そこに座るようにと指示されて、シルヴィアは何も言わずに従った。


 バンフォードはすぐに何か葉っぱ――おそらく薬草をちぎって、近くにあった道具でぐりぐりと押しつぶす。

 それを持って戻ってくると、バンフォードは片膝をついてシルヴィアの手を取った。

 布を取られると、そこはすでに血が止まっている。もともと、大きな怪我ではない。


「ちょ、ちょ、ちょっと沁みます……」

「――っ……」


 丁寧に塗りこめられていく。

 思いのほか慣れている事に少しだけシルヴィアは驚きながら、シルヴィアは自然と謝罪の言葉が口をついた。


「すみません……」


 何に対する謝罪なのか分からない。

 ただ、何か言わなければと思っていたら、謝罪が出てきていた。


「ぼ、ぼ、僕の方こそ……ね、ね、寝ていたんですよね?」

「少し、うとうとしていただけです」


 いつもは、バンフォードがシルヴィアに色々世話を焼かれているのに、今この瞬間は真逆だった。

 バンフォードは、塗り終わると再びポケットから布を取り出してぐるりと巻く。

 その布は先ほどのものとは違う布。


 種類が違う布をなぜ何枚も持っているのか。

 なぜかすごく気になって、シルヴィアは尋ねた。


「……あの、どうしてポケットにそんなに布が入っているんですか?」

「え、え、ええと……。や、や、薬草を少し()そうと……」

「そうだったんですね……せっかく準備した布を、申し訳ありません」

「そ、そ、そんな事は……」


 バンフォードが何を言えばいいのか分からず、口を閉じると、シルヴィアもまた静かな空間で何も話さず、ぼんやりと温室の一点を見ていた。

 何か目的があって見ているわけではない。

 ただ、正面にあったのがそれだった。黒っぽい葉の色が、月に照らされ艶が出ている。


 月がいつの間にか天井の上に来ていて、月の光がまぶしいくらいだ。

 二つの影の形を変えた時、ようやくシルヴィアが意を決して尋ねた。


「なぜ、何も聞かないんですか?」


 聞きたいことはあるはずだ。少なくとも一つは、絶対に。

 しかし、バンフォードは問いただすことはしなかった。


「シ、シ、シアさんも、何も、聞かないじゃないですか」

「わたしは雇われの身です。主人がどんな人でも、やるべきことはやります。聞く必要はないです」

「……じゃ、じゃ、じゃあ、僕も……、お、お、同じです」


 訝し気にバンフォードを見上げた。

 彼はまっすぐシルヴィアが見ていた正面の黒っぽい薬草を見ていた。


「あ、あ、あれは、い、い、偽り草と言って……、ま、ま、満月の夜、ああなります。い、い、いつもは金色、に――、輝いているんですが……逆、ですね」


 見え隠れする紫の瞳が、優しい光を放っていた。


「満月の夜だけ姿を変える……」


 まさに今のシルヴィアのように。

 満月の晩は何が起きても、おかしくない――そんな風に聞こえた。


「き、き、綺麗ですね」


 視線を再び偽り草に戻しながら、バンフォードが必死な声音で褒めた。

 月の光を受けて、小麦色のシルヴィアの髪は、淡い金色の様に見える。


 シルヴィアはぼんやりと、バンフォードと同じく偽り草を眺めながら、静かに囁くように口を開いた。


「……母が、同じ色だったんです。瞳の色は父から。わたしは両親どちらにも似ていて、いいとこどりしたってよく言われました」


 懐かしい思い出を語るように、シルヴィアはふわりと微笑む。

 バンフォードは何も言わず、ただシルヴィアの話を聞いていた。


「でも、色々とあって……、貴族の家では鬘を被ることにしました」


 普通は、その色々を聞きたいだろう。

 しかし、バンフォードはやはり何も聞かなかった。


「ひ、ひ、人には……」


 バンフォードが言葉を切り、深呼吸をした。

 何か覚悟を決めたような感じだった。


「ひ、人には、き、聞かれたくない事、もあります……ぼ、僕もあり、ます……」


 訳ありなのは、依頼書や使用人ギルドの事もあって知っていた。

 体格のこととか、引きこもりのこととか、なぜか勝手に何かをしようとして、逆に仕事を増やすとか……。先ほどみたいに。


だが、その問題は、シルヴィアにとっては大した問題ではなかった。

 

 傷ついたような、怯えたような瞳が気になった。

逃げ出したいと全身で表していたのに、シルヴィアを避けることなくがんばって接してくれていたのは、バンフォードも変わりたかったからかもしれない。


「わたしは、十歳の時両親が亡くなりました。その後、親戚にはあまりいい扱いをされなくて、見かねて拾ってくれたのが家政ギルドのオリヴィアさんでした」

「ご、ご両親が……」


 痛ましそうな瞳がこちらに向いているのが分かったが、シルヴィアは淡々と語った。


「オリヴィアさんにとってわたしはただのお荷物でしたが、辛抱強く仕事を教えてくれました。親族がわたしをいらないと言っても、オリヴィアさんだけは必要だと言ってくれました。そのおかげで、今のわたしがいます」

「す、素敵な……、か、方ですね?」

「はい、オリヴィアさんは素晴らしい女性です。バンフォード様からの依頼をわたしに持ってきたのは、オリヴィアさんでした。なんでも、仲介料を金貨二十枚も払う、お金持ちだとか?」


 ちらりと見ると、バンフォードがなにやら焦っていた。


「せ、世間知らずだと……思いましたか? で、ですが……これくらい出さないと駄目だとい、言われて……」

「使用人ギルドの人ですか?」


 微かに頷いた。


「そ、それで家政ギルドに……」


 バンフォードにお金はあることは、使用人ギルドも知っていた。そして、使用人ギルドは自分たちにギルド員が悪いわけではなく、バンフォードに問題があるのだと決めつけ、お金を出させようとした。

 

 しかし、不信感もあり使用人ギルド経由で家政ギルドの事を知り、こちらに依頼書が回ってきたらしい。


「最近の使用人ギルドは質が悪いですからね。いい人もいたんですが、ギルド自体に問題があって、そういう人はやめていきました」


 シルヴィアは、ふうと大きく息を吐いた。

 そして、ばちんと頬を叩き立ち上がる。

 バンフォードはシルヴィアの勢いに目を白黒させて、立ち上がった彼女を見上げた。

 

 シルヴィアは、潔く頭を下げる。


「騙していたこと申し訳ありません」

「そ、そんな!」


 あわあわと中腰になるバンフォードに、今度は最大級の感謝を込めて微笑んだ。


「それから、ありがとうございます。バンフォード様は、やはり優しいかたですね」


 謝罪だけじゃなく感謝も伝える。

 すみませんと謝るのではなく、ありがとうと伝える言葉は、誰が聞いてもうれしいものだ。


 バンフォードにも伝えたかった。すみませんと言われるより、ありがとうと言われた方がうれしいのだと。


 それに、言われた感謝の気持ちは自信にも――自分を信じられる力になる、シルヴィアはそう思っていた。


 目を見開き、シルヴィアを見上げるバンフォードの瞳の色がひどく不安定に揺れ動いた。


 なんだか、泣き出しそうな一歩手前。

 バンフォードはかすかに俯きながらシルヴィアに言った。


「た、大したことではないです……」

「わたしにとっては、大したことなんです。バンフォード様は素敵な方ですよ」


 自分に自信がないのなら、何度だってシルヴィアは言ってあげようと思った。

 

 すごく優しくて、素敵な男性であるのだと。

 少なくとも自分は味方なのだと、知ってほしかった。

 

 その思いが伝わったのか、バンフォードは俯いたままぽつりと言った。


「……あ、……あ、――ありがとう、ご、ざいます……」


 呟かれた言葉に、良くできましたと言わんばかりに、シルヴィアはにっこりと笑った。




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