5.
勉強が一段落し、ちょうど昼食の時間だったのでアデリーンは、ここで食べていくことになった。
はじめは、課題を押し付けて帰る予定だったアデリーンだったが、かなりの時間頑張ったので、ふわふわパンケーキを作った。
なんとなく、アデリーンも好きそうな気がして。
案の定、アデリーンもすごい気に入ってくれて、隣に座って共に昼食を食べていたシルヴィアにレシピ教えてくれと言った。
家でも作ってもらうと。
シルヴィアは紙にレシピを書いて渡すと、何かに気づいたような顔でアデリーンに聞かれた。
「あなた、そういえば読み書きできるのね」
「ええ、両親から教えていただきました」
「ふーん、ご両親は何してる人?」
「……そうですね、普通だと思います。どこにでもいる普通の両親です。ただちょっと知識があっただけですね」
シルヴィアのこれ以上聞いてほしくないという雰囲気を感じ取ってか、アデリーンそれ以上聞いてこなかった。
空気の読める子で助かった。
バンフォードは、朝より短くなった前髪の隙間から、こちらの様子を窺っているだけだった。
「でも、今日は本当に疲れた……」
「ぎょ、ぎょぎょ、行儀が悪いぞ」
食事中だが、ソファにもたれるアデリーンにバンフォードが言った。
そもそも、応接室で食べていること自体ちょっと行儀が悪いです、とは言わなかった。
食べる時に前のめりになるので、正直行儀がいいとは言えないのだ。
「お兄様までお母様みたいな事言わないで。だって、今日はたぶん、今までで一番勉強したわ」
それはちょっとまずいのでは? と心の中で呟くと、バンフォードがシルヴィアの内心を代弁するように言った。
「そ、そそ、それはもっと勉強したほうがいい」
「勉強好きのお兄様は、ちょっと黙って」
にべもなく言われて、バンフォードはうぐっと言葉を飲み込んだ。
アデリーンはぷくりと頬を膨らませて、さらに言う。
「アカデミー始まったら、頭使う勉強も始まるのに、今度は社交界デビューのためにあいさつの仕方まで教え込まされるのよ。あれ、女には拷問だって知ってるのかしら? 誰があんなもの作ったのよ」
「し、しし、仕方ない。で、でで、できないとどんな目で見られるか」
「だから、男は楽でいいわよねって話。シア、知ってる? 男は腕を胸の高さに持っていき、直立不動で頭を下げるだけなのよ。それに比べて女はスカートを摘まんで、足を少し後ろに下げて膝を曲げる。これ、全然男の方が楽じゃない」
字面的にそう見えるし、実際その通り。
ただ、男性側にだって、背筋を曲げずに腰から頭を下げなければならないし、綺麗に見えるような角度もあるだろうから、向こうからすれば、アデリーンとは違った意見も出てくるだろう。
しかし、女性からしたら女性の挨拶は拷問かもしれない。
そもそも、足を少し後ろに下げ膝を折る――これだけでも相当大変だ。一時的にならいいが、それを上位者に挨拶するときに何分も繰り返すのは足がぷるぷるする。
しかも膝を曲げて、腰を落とす時、背筋を伸ばし、首を下げる角度も綺麗に見える角度がある。
さらに、相手からの許しが無ければ下位の者は顔を上げることもできないのだから、ただの拷問だと思われても仕方がない。
実際、いじめに使用されている事もあるくらいだ。
「本当に、こんな文化なくなればいいのに!」
「ですが、礼儀作法というのは身につけておいて損はないと思いますよ」
これから先、貴族社会で生きていくのなら絶対に必要な事だ。
「分かっているわよ。でも、礼節の先生はすっごい厳しくて、毎年何人も泣かされてるって話なの。それを聞いただけでも憂鬱よ……合格は貴族の中でも上位者にしか出さないから、依怙贔屓してるって聞くし。合格できなかったら地獄の補習らしいわ」
「地獄の補習?」
「そうよ。外を何周も走らされるんだって。ほかにも重い者持って何度も立ったり座ったり繰り返させたり、絶対やりたくないわ!」
シルヴィアはすぐになるほどと頷いた。
まあ、間違いではないよねと。
「そ、そそ、それは体力がないから……」
「はあ? 挨拶するのに体力必要なの?」
「必要ですね。少なくとも、美しく身体を保つためには、多少の体力――といいますか、筋力は必要かと」
シルヴィアは食べ終わった食器を片付けながら、バンフォードの言葉に同意した。
バンフォードも分かっていた。その礼節の先生が彼女たちに何を求めていたのかを。
「少しだけ、ご覧いただいてもよろしいですか?」
シルヴィアはワゴンを横にずらし、広い場所でスカートを摘まむ。
そして、アデリーンの言った通り足を――右足を後ろに下げ、左足を少し左に曲げる。
スカートを広げる角度はちょうど腰骨の位置。
そのまま背筋を伸ばしたまま、膝を曲げ首をかすかに下に下げた。
久しぶりの正式なカーテシーだったが、何度も練習させられた身体は、自然と動きを覚えていた。
一、二、三、と数を数え、十を数えたところで姿勢を正した。
「いかがでした?」
アデリーンとバンフォードは二人ともぽかんと口を開けて見ていた。
その表情がやはりよく似ていて、二人は親族なんだと実感する。
そういえば、親族とは音信不通となっていたが、あれは間違いだったのだろうかと首を捻った。
「あ、ああ、あなた!」
アデリーンが、がたりと立ち上がってつかつか歩いてくる。
そしてシルヴィアの手をとり、目を輝かせた。
「す、すっごい! すごい完璧だったわ! どうやったの? わたしなんてすぐ足が痛くなって形が崩れるのに!!」
「おそらくですが、足の筋量の違いだと思います」
「ええ?」
「美しく形を保つためには、ある程度の体力は必要です。もちろん筋力も。貴族のお嬢様方は普段外では馬車での移動が普通ですよね? 家の中でも行く場所は限られています。それでは、筋力はつきません」
「でも、それだけで簡単にできちゃうものなの?」
「もちろん、練習や慣れもありますよ。上位貴族の方は、幼いころから礼節に関して学んでいらっしゃいます。恥をかかないために。下位貴族に侮られないために。だから、礼節の授業では合格も早いのでしょう」
アデリーンがあいさつ時の形はできても、すぐ崩れてしまうのは、きっと足の筋力が少ないからだ。
「走らされたり、立ったり座ったりさせられるのは、体力とか筋力をつける為なの? でもそれ重点的にやらされるのは、下位貴族よ。先輩方がやらされるのを見てると公平じゃないって思うんだから。さすがに上位貴族の中でも、あれはちょっとって思う人は多いのよ?」
それはきっと――……。
「い、いい、いじめられないため……だよ」
後ろからバンフォードが言った。
本当に彼は、シルヴィアの考えていることとよく意見が一致する。
「いじめ?」
「悲しい事に、下位貴族は何か上位貴族の怒りに触れれば、すぐにいじめの対象になります。今の挨拶、アデリーン様も大変だとお思いになるでしょう? それを延々とさせられるのです。できなければ、馬鹿にされ攻撃されてしまいます」
「あ……」
アデリーンは思い至ることでもあるのか、小さく吐息を零した。
「逆に言えば、上位貴族にはそこまで体力も筋力も必要ないのです。守ってくれる身分があるから。礼節の先生は、厳しく接しながらも、下位貴族の彼女たちのために教育してあげているのではないでしょうか? もしもの時のために、社交界で生き残るために」
もしかしたら、考えすぎかもしれないし、本当に嫌がらせで痛めつけている可能性もあるが、それはアデリーンが実際に見て考えればいい事だ。
先入観で相手を貶めてほしくない。
「自分の目で見て、考える事はとても大事な事だと思います。礼節の先生がどのような先生か、ぜひ教えに来てください」
「……計算問題と一緒ね。自分で考えるって――。でもそうね、お父様も同じこと言ってたわ。噂に惑わされるなって」
シルヴィアはにこりと微笑んだ。
「いいお父様ですね」
「大好きよ、ちょっと厳しいところあるけど」
アデリーンが照れくさそうに笑うが、その時、ふいにバンフォードがアデリーンから顔を背け、小さく背を丸めた。
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